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Benesse発 2010年「子どもの教育を考える」
このコーナーでは、教育のあるべき姿をベネッセ教育研究開発センターと、皆さんと共に考え、創りあげていきます。
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『Benesse発2010年「子どもの教育を考える」』更新終了のお知らせ

『Benesse発2010年「子どもの教育を考える」』は、2010年3月31日をもって、更新を終了させていただきました。
これまでたくさんのアクセスをいただき、ありがとうございました。

特集
日本の家庭教育で何がおきているのか? 〜その変化と課題を追う〜

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家庭の「教育力」は低下したのか?(1) −現代日本の子育てをめぐる四つの課題−

広田照幸 日本大学文理学部教授

「しつけと家庭教育は専業主婦の専管事項か」

 これまでお話したように、歴史を遡ってみると、子どもの教育に熱心な層が次第にふえてきたことがわかりました。ただし、明治時代から戦後の1970年代あたりまでは、その主役が「母親」でした。専業主婦が家事や育児・しつけに専念することで、子育ての質を高めようという家族の姿です。「もっと子どもに手をかけよ」という要請は、母親一人の上に課せられていったわけです。しかし、80年代半ばから状況は変わってきます。

 このころから、フェミニズムの論客からは、子育てを母親の専管事項にする性別役割分業が女性を抑圧している、と意義申し立てが成されました。あるべき像として、脱専業主婦、すなわち女性の自立、働く女性といったことが取り上げられるようになってきます。実態としても女性の就労率が上昇し、いわゆる「M字型雇用」のVの底が浅くなっていきました。つまり結婚・出産・育児による退職が減り、仕事を続けたりして自己実現をはかることに喜びを見いだす女性が増えました。こうした女性が増えることは、ごく自然なことだろうと思います。

 80年代から「働く女性」は増えたのですが、その一方、家庭における育児や子どもの教育を重視する考え方が弱まったわけではありません。ここに大きな困難が存在しています。

 一方では女性の労働力化が進んでいます。しかし、他方で、「子育ての質」への関心はよりいっそう強まっている。では、誰がどう「子育ての質」を支えるのか、という問題が出てきます。たとえば、本田由紀さんが『多元化する「能力」と日本社会』(NTT出版、2005年)で描いていらっしゃるのは、高学歴女性が子育てをとるか自分のキャリア形成をとるかというジレンマに悩まされている姿です。

 実際、夫婦共働きの家庭の調査をみると、家事・育児の負担は依然として圧倒的に女性(母親)に割り当てられています。父親の分担はまだ非常に不十分な状態です。また、行政や民間の育児サービスなんかもまだ不十分な状態です。子育てを母親だけに押しつけるべきではない、とする考え方は広がってきたものの、それを保証するだけの条件整備や環境整備が進んでいないため、そのギャップに苦しむ状況が生まれているのです。

 つまり、家庭では熱心に子どもを育てようとする傾向が続くなか、女性の社会進出とあいまって、子育てを誰が担うのか−子育てが母親の専管事項ではないとすると、いったい誰がどう分担・支援していくのか―といった問題を解決しなければならなくなっています。しかし、この点については手探りが続いている状況です。

「子育ての担い手」と「親の育児責任」

 くりかえしになりますが、昔と比べて日本の家庭(親)が子育てに熱心でなくなっているとは思いません。現代の家庭教育の課題は、家庭のしつけが衰退したというよりも、むしろ重視されるようになりながら、それをこなしきれない状況におかれている、と考えるべきです。ここでは4つほど課題をあげたいと思います。

 先ほどから述べている、子育ての担い手をどうするかといった問題が、そうした課題の1つめです。何よりも、父親がもっと家事・育児に関われるように、雇用制度の見直しを進める必要があります。生活時間の国際比較では、日本の父親の平日の帰宅時間はずいぶん遅い。働かされすぎです。「キャリアにひびく」とか「職場の暗黙の雰囲気がある」と、父親が育児休業を取得する率は、情けないほど低い。また、女性が子育てのためにいったん退職してしまうと、もとの職場に正規雇用として復帰が難しいという問題も改善されていかねばなりません。つまり、個々の夫婦の努力の問題ではなく、外側の条件や環境をきちんと作らないといけません。厚生労働省が「ファミリー・フレンドリー企業」を表彰したりしていますが、労働法制のレベルでもっと踏み込んで、母親も父親も人生の一時期に安心して子育てにエネルギーを注いでいけるような、制度を作っていってほしいですね。

 また、母親に代わる「子育ての担い手」は、父親だけではありません。社会学者の舩橋惠子さんによれば、フランスでは、イスラム系の人たちをナニーさん(ベビー・シッター)として雇うことが盛んで、同時に、公的な保育サービスが充実しています。スウェーデンのように育児休業制度が発達し、夫婦でしっかりと働きながら子育てをシェアできる態勢が整っている国もあります(『育児のジェンダー・ポリティクス』剄草書房、2006年)。中国では祖父母が乳幼児の世話に活用されているようですし、台湾や香港の富裕層では、フィリピンからの出稼ぎの女性を雇っていたりします。だから、親族や公共サービス、民間サービスなど、夫婦以外にも多様な「子育ての担い手」は考えられるんですね。「ダンナか私か」という夫婦間での綱引きだけでやっていこうとすると、夫婦間の関係が険悪になってしまいます。社会の側にどう受け皿を作っていくのかという点が大事です。

 今述べてきたように、「子育てを母親任せにしないとすると、誰がどう分担するのか」という点については、日本はまだ明確な形が見えていません。それが1980年代以降の難しい問題です。仮にナニーのような労働力が広がるとすると、それはそれで低賃金労働を増やすことにもなりかねない。育児休業制度を実質化し、男女ともに休業や退職の後も正社員に戻れるよう保証して、夫婦で楽しく子育てシェアをすることがキャリアのハンデにならない仕組みをつくるべきだと思いますが、企業の側の抵抗は非常に強い。

 現代の家庭教育の課題の2つめは、家庭での子育てが重要視されるようになったことで、子育てに神経質なくらい振り回される親が多いことと、何か子どもが問題をおこしたときに親の責任とする傾向が強くなっていることです。

 たとえば、高度経済成長期に形成・流布された「3歳児神話」が、いまだに親を苦しめています。子どもが小さいときの子育てが大切であることを強調するあまり、人間形成は3歳までの母親の子育てで決まる、といった俗説を生み出してしまった。これは薬も効き過ぎれば毒になるのと同じです。子育てに神経質になりすぎてはマイナスの影響も出てきます。

 また、子どもが何か重大な事件を起こすと、それが成人後であっても、すぐに親の責任を問う風潮が強まっており、そのことがまた親を追いつめています。思春期以降の子どもの逸脱に関して、親の育児責任を問うのは比較的新しい傾向です。こうした事件に対して、十分な情報もなしに単純な原因で説明しようとすることは避けるべきです。もっとさまざまな要因が複雑にかかわっていていることが多いはずです。これもまた子育て重視の風潮が生み出した問題ですね。



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