BERD 2008 No.13
【特集】
インタビュー
profile
池谷裕二
東京大学大学院薬学系研究科薬品作用学教室准教授
いけがや ゆうじ

東京大学大学院薬学系研究科薬品作用学教室准教授。
薬学博士。専攻は神経薬理学、光生理学。
記憶を司る脳部位「海馬」の研究などを通じて、脳の成長・発達や老化にともなう変化の有様を研究。
主な著書に『記憶力を強くする』『進化しすぎた脳』(以上、講談社)、『脳はなにかと言い訳する』(祥伝社)など。
Refarences
●池谷裕二著『脳はなにかと言い訳する〜人は幸せになるようにできていた!?〜』祥伝社/2006年
●池谷裕二著『進化しすぎた脳〜中高生と語る「大脳生理学」の最前線〜』講談社/2007年
BERD
   PAGE 1/5 次ページ

やる気は脳ではなく体や環境から生まれる
──「環境に存在する意欲」の捉え方──
池谷裕二[東京大学大学院薬学系研究科薬品作用学教室准教授]

池谷裕二
  気分や態度といったあいまいなものでしか捉えられない意欲という心の運動に、脳科学の光を当てると何が分かるのか。
大脳生理学の最前線で活躍する東京大学の池谷裕二准教授は、意欲の源は脳ではなく、体を通じて感知される環境にこそ求められると説明する。
実験から浮かび上がる脳の世界に目を向けることで、意欲に結びつく環境の在り方のヒントを提示する。
内発的に生まれる意欲などない
 「意欲とは何か」とよく聞かれますが、意欲を脳の中に探しても見つからない、これが脳研究から見た私の結論です。「やる気を出せ」といわれて出せるものではない。
図表[1]大脳基底核の部位(正面から見た図)  では、勉強や仕事に対してやる気がわくとか、意欲的になるというとき、脳では何が起こっているのか。答えははっきりしています。大脳基底核の一部である「淡蒼球(たんそうきゅう)」から送り出された信号によって、モチベーションが高い状態になる。重要なのは、淡蒼球を活動させるのが脳そのものではなく体だということ。同じ大脳基底核に位置する線条体から体への刺激が伝わるとき、この信号は同時に淡蒼球にまで達するのです(図表1参照)。運動野が体を動かし、実際に筋肉が動くと、この刺激が脳に戻ってくる回路があって、線条体を含めたループが形成されている。このループが意欲とかやる気と大いに関わりがあるわけです。最近は「脳トレ」がブームのせいか、皆さん脳を他人事のように自分から切り離して見ている気がします。少しは、脳の立場になって考えてみてほしい。脳の立場なんて、妙に思われるでしょうが、想像してみてください。脳はひとりぼっちですよね? 固い頭蓋骨に覆われ、外の世界とつながっていないのだから。脳が環境のことを知る唯一の手掛かりは、体です。五官や手足の動きなど、体を通じてしか、今の状況を知る術がないのです。
 脳科学の研究で、ペンを噛んだ状態で漫画を読んでもらうという実験がありました。くわえ方が2種類あって、ストローを使うときのようにペンを縦に口に入れるのですが、一方の被験者は歯をむき出すようにしてペンを噛み、もう一方の被験者は唇だけでくわえ、この状態で同じ漫画を読んでもらいます。そうすると、くわえ方によって漫画の面白さに差が出る。歯で「イー」っと噛んだまま読んだ方が面白いと感じる被験者が多かったのです。やってみると分かるのですが、表情筋の使い方が、笑顔と似ているからです。このことから何が分かるか。脳はひとりぼっちなので、自分の今の身体状況しか、つまり、笑顔でいることしか分からない。笑顔でいる以上、つまらないと思っていては矛盾する。だから、ペンを唇だけでくわえているときに比べて、面白いと感じられるのです。このような感じ方のプロセスを「自己知覚」といいます。これについてはまた後で触れます。要は、悲しいから泣くのではなく、「泣いている」という生理現象を脳が「悲しい」ことなのだと解釈する。意欲とかやる気についても同様で、脳よりも、体や環境の側の条件を考えないと、論じても意味がありません。脳より体が大切なんて、脳科学者の発言としてどうかと思いますが。
 朝起きるのが苦手な人がいますけれども、しっかり目が覚めるまで待って、それから起き上がるというのはあり得ない。実際には体を動かすから脳も覚醒してくるのです。だからどんなに眠くても、とにかく布団から出る。新聞を取りに行ったり洗面所で顔を洗ったりして、それでようやく頭が冴えてくる。論文を書くのも同じです。書き始める前は面倒に思っても、始めて5分か10分もすると気分が乗ってくる。ああいう状況のときに、淡蒼球が盛んに活動していると思ってください。
 合格したい大学の下見をするのも、これと似たところがあります。教室とか講堂に入って、自分がそこで授業を受けている様子を想像してみると、よし、やってやろうという気分になる。こういう風に、目的の場所に体ごと持っていくのは、脳への刺激という観点からも大切な経験です。その点では、メールやインターネットのバーチャルな世界だけに浸るのは、脳の成長の点で若干の問題があるといえるでしょう。
   PAGE 1/5 次ページ
研究者(BERD)TOPへ戻る 2008年度バックナンバーへ戻る