ベネッセ教育総合研究所 ベネッセコーポレーション
目標・指導・評価の観点を踏まえた学校づくりをどう進めるか
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「目標分析」をすれば授業の流れが見える
村松先生 「目標分析」といっても、ちょっとピンと来ないでしょう?
 実は、いま、陣川先生からも古川先生からも「目標分析をできないと評価規準をつくるのは難しい」という話が出ましたよね。「目標分析をする」とはどういうことかというと、目標の構造をとらえることなんです。目標は平面的です。それだけでは構造はわからない。しかし目標を分析して構造がわかると、規準表ができるという話なんです。それと、子どもを見る物差しができるということです。
古川先生 村松先生、その「構造がわかる」ということをもうも少し具体的に、現場的にわかるように説明してください。
村松先生 目標の構造がわかるというのは、評価規準表のなかで、いちばん大切なのは何か、10時間ぐらいでつけたい力は何か、知識・理解でこれだけは欠かせない内容は何かがわかるということなんです。それから、早稲田大学の浅田匡さんがおっしゃっているんですが、「目標分析をすることによって、学習活動が具体的に記述できるようになる。そういう芽が育ってくる」ということです。
陣川先生陣川先生 ここに、20年前の私の実践例を持ってきてます。先生たちに「この単元で何をしたいの、何を教えたいの、何を指導したいの」とまずきく。そして、「それを指導するために、何がいるの」と投げかけて出してもらう。そしてそれを4観点に分類する。これを教えるためには何が必要かが出てくるんですよね。それを、「目標の構造化ができてくる」といいます。
 そうすると、1時間目にはこれを知っておかなくちゃいけない、2時間目にはこれとこれだということがわかってくる。例えば4時間目のことを中心に評価の問題をつくれば、4時間分の力が評価できる。1時間目〜4時間目の学習の流れが、この構造から出てくるんですね。
 私は、非常に抽象的な教科全体のことを「目標分析」、教材単元のことを「目標分類」と分けて話しているものですから、10時間の目標分類をしたときには、そういう、構造とともに授業の流れがわかる、そして、「ああ、ここを評価すべきなんだなあ」というのが、先生たちに見えてくる。そういう問題をつくったり、発問で確かめたりっていうことをやっていく。そのようなことができる力を先生たちにつけてほしい。
司会 目標分析・分類は各学校の先生、あるいは集まった先生の討議によってさまざまに変わってくるものなんですか? 客観的な評価に基づいて目標を立てるとなると、基本的には同じ目標になるような感覚を持つんですが、目標は、各学校、各エリアによって、構造も変わってくるものですか。
陣川先生 目標は変わらないと思うんですよ。だけど、目標の構造は、子どもの実態によって変わる。学級が荒れて授業に入らないような子どもがいるのに、どんな理想的な構造をつくっても何にもならない。子どもの実態、先生の指導方法・指導力、そういうことを含めた教材研究がなされて初めて目標分類ができると思っている。
 福岡市の場合は、先生方にこの規準表を一応渡していますので、このうちからどれが自分の子どもに合うのか、これはもう少し表現を柔らかくしよう、少し難しくしようというのは自分のところでしてほしい。そして、力のある人はマトリックスだけを見て、自分でくってもらっていいと思っているんです。
古川先生 ここ1、2年ほど見ていると、評価規準づくりのファーストステージは、国政研が2001年3月に示したり、教科書会社などが出したように、「はじめに評価規準ありき」ということで、トップダウンのようにフレームが降りてきた。総合的学習以外の教科であれば非常に系統性が強いから、ほぼ教えることは決まっている。
だから、全国一律の、そのフレームに自分の学校を当てはめるという流れでした。
 それが、昨年の秋ぐらいからちょっと変わってきた。つまり陣川先生がおっしゃったように、自分の学校の身の丈でつくってみる、子どもの様子を見てつくってみるというというふうに。そもそも、総合的学習は自分の学校でつくるわけですから、最初から評価規準はないわけで、子どもの様子に合わせてつくらなくてはならない。村松先生の言葉で言うと、「第1次は試行の授業をやってみて、評価規準を見直してみる。使いやすく修正してみる」ということですね。そういう意味では自校化の取り組みの段階に入ってきたように思いますね。
陣川先生 早く自校化の段階に入っていってほしいなと思いますね。
古川先生 ちょっと進んだところでは、そうなりつつあるなあと思うんですね。
村松先生 評価規準を「やらなければならないこと」ととらえるとダメ。そして、「評価規準がある」ではダメなんです。評価規準だけがあってもなんの役にも立たない。古川先生のおっしゃったことは、授業との関係のなかで自分の評価規準を持つことです。自分が規準を持つ限りは変わっていいんですよ。また、評価規準は、学校や先生で変わらないとおかしいと思うんですよ。そうでない場合、「あなたの学校はなぜ県と同じ記述なの。あなたの学校には静岡県の標準的な子どもがいるんですか?」と反対に質問されても、おかしくはないんですよね。
 公教育である限りは、ある程度水準を保たなきゃいけない。なぜそうなのかと説明ができるように、その学校が責任を持って押さえておかなきゃいけないから、学校としての規準表を持っているわけです。
古川先生 学校の校庭の隅に、石柱に教育目標が書かれているのと、教育目標が生きて持っているのとは違うということですね。
村松先生 はい、そうです。目標、つまり規準をつくるときの基本になるのは、陣川先生がおっしゃったように、「この教科でうちの子どもにいちばん大切なのは何か」を考えることです。
陣川先生 梶田先生のお話にあったように、教師の願いをもとにして、そして教材に即してつくる。それを表として、構造として、どこまで表したらいいか?
 とくに、これからは、総合的学習が大きく問題になってきます。保護者は、「先生、総合の時間は何をしているの」とききます。そのとき、「人との対し方を学んでいる」ということを先生が言い切れないと、総合的学習はつぶされちゃう。
 今回私たちは、総合的学習についても、目標分類をして、全部規準をつくりました。先生たちに求められているのは、それをもとにして授業をどうするかです。
 福岡県の甘木中学校がモジュール学習をやりたいと考えていました。授業を見に行って、「モジュールを甘木中学校方式にする」ということで指導してきましたが、教材の作り方はいろいろあるだろうと思います。しかし、指導の流れ、計画なども、もう少し、思い切って変えるべきじゃないかなと思いました。そのなかでは、ATI(適性処遇交互作用)理論(注:クロンバックが提唱。学習者の適性に基づいて、指導、カリキュラムなどの適切な措置を考えること)がもういっぺん見直されていいんじゃないかなと思います。
 余談ですが、私は、梶田先生との出会いの前に、東洋先生のところでATI理論について学びました。昭和53年か54年です。そのとき東先生が、「ATI理論は教育界では採用されず、産業界に入ったばかりなんだ」と言われたんです。私は、子どもの学び方、スタイルなどから、ATI理論をもういっぺん勉強すべきじゃないかなと思っています。
 とくに私が大事にしたいのは技術なんですよ。教育技術とは何なのか、小学校での技術は何か、中学校では何なのかをもういっぺん見直したい。机間巡視でも、散歩でもしてるんじゃないかと思われるくらい、意図や計画性が感じられないものもあります。もちろん発問・助言のスキルもあります。
 そして、その次は授業の充実なんです。そして、体験活動の充実、その次が評価の充実なんですよね。
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