指導変革の軌跡 兵庫県立夢前高校
兵庫県立夢前高校

兵庫県立夢前高校

◎兵庫県立福崎高校定時制課程の分校として設立され、1974年に夢前高校として独立した。「健康・誠実・敬愛」を校訓として、生徒一人ひとりの能力の開発と個性の伸長を図ることを重視。地元ケーブルテレビ局と提携して「夢前高校ワンポイント英会話」を放送、オープンスクールなどを通して地域に開かれた学校づくりを進める。

設立●1948(昭和23)年

形態●全日制/普通科/共学

生徒数(1学年)●約120名

09年度入試合格実績(現浪計)●4年制大・短大には、兵庫県立大、大阪芸術大短大部などへ16人が進学。その他、専門学校進学者15人、就職者40人

住所●〒671-2103 兵庫県姫路市夢前町前之庄643-1

TEL●079-336-0039

WEB PAGE●http://www.
hyogo-c.ed.jp/~yumesaki-hs/

原潤之輔

▲兵庫県立夢前高校校長

原潤之輔

Hara Junnosuke
教職歴32年。同校に赴任して2年目。「自学自習できる生徒を1人でも多く育てたい」

若松修

▲兵庫県立夢前高校

若松修

Wakamatsu Osamu
教職歴26年。同校に赴任して3年目。3学年主任。「熱意は能力に勝るということを、生徒に伝えていきたい」

篠原歩

▲兵庫県立夢前高校

篠原歩

Shinohara Ayumu
教職歴24年。同校に赴任して9年目。教務部長兼進路指導部長。「生徒あっての教師であるという意識を常に持っていたい」

藤井生也

▲兵庫県立夢前高校

藤井生也

Fujii Ikuya
教職歴19年。同校に赴任して2年目。生徒指導部長。「どんな生徒にも厳しさと優しさをもって対応していきたい」

島村美奈子

▲兵庫県立夢前高校

島村美奈子

Shimamura Minako
教職歴2年。同校に赴任して2年目。総務部。「知ること、学ぶことに生徒がワクワクするような授業をしたい」


VIEW21[高校版] 新しい組織的な生徒指導による学校改革のパートナー
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指導変革の軌跡123


兵庫県立夢前(ゆめさき)高校 「指導力向上」

徹底したOJTで教師の意識が高まり、
そして、生徒が変わる

変革のステップ
背景(STEP1)
実践(STEP2)
成果(STEP3)
◎生徒の「荒れ」によって、地域からの信頼が低下。生徒指導も組織的な動きにならず、成果が上がらない
◎「不寛容とチャンス」を基本とした生徒指導、日常業務におけるOJTなどにより、生徒の意識改善、教師の指導力向上を図る
◎生徒の生活態度が大きく改善。地域連携の効果もあり、地元からの信頼も回復

山本五十六の言葉に託された 改革への熱い思い

 2008年4月、兵庫県立夢前高校の教師は1枚のプリントを手にした。この年に赴任した原潤之輔校長が示した改革案である(図1)。「生活指導の徹底」「部活動の活性化」「広報活動の充実」といった取り組みが提案されたが、ひときわ目を引いたのがプリントの冒頭に掲げられていた山本五十六の言葉だった。
 「やってみせ 言って聞かせて させてみてほめてやらねば 人は動かじ」
 山本の言葉を借りて、指導者としての心得を説いた言葉であり、自ら先頭に立って改革に当たる決意表明でもあったと、原校長は話す。
 「校長には、その時々の課題に応じてビジョンを掲げ、分かりやすい形で教師に示す責任があります。それまで先生方には『今、何をしなければならないのか』『そのためにどうすればよいのか』という行動指針が示されていませんでした。私が率先して範を示し、教師や生徒の意識を変えたいと考えました
 確かに、同校は強力なリーダーシップを待ち望んでいた。長年、生徒の「荒れ」に悩まされていたからだ。同校は姫路市北部の山間部にある。町内に鉄道はなく、路線バスの本数も少ない。もともと、地域のための学校だった。しかし実際には、町内の中学校から進学する生徒は3割。容儀の乱れ、遅刻の多さはもとより、授業中の徘徊や喫煙などの問題行動が地元住民の耳目に触れるたびに、同校に対する地域の信頼は下がっていった。退学率は県の平均を上回り、毎年2〜3割の生徒が卒業前に学校を去った。
 もちろん、教師は手をこまねいていたわけではない。教務部長兼進路指導部長の篠原歩先生は次のように振り返る。
 「生活指導の強化など、何度も生活態度の改善に取り組みました。しかし、個々の教師の努力や学年単位の取り組みにとどまり、学校全体の動きにならず、学校を根本から変えることはできませんでした。教師の力量の未熟さにも課題があったと思います。赴任希望が少ないこともあって、本校は新任教師や臨時講師の比率が高く、全教師の6割が20〜30代です。ベテラン教師は生徒指導に忙殺され、若手教師を育成する余裕を持てませんでした」
図1

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