指導変革の軌跡 宮崎県立高原高校
宮崎県立高原高校

宮崎県立高原高校

◎宮崎県立都城農学校分校として創立。1952年に高原畜産高校として独立し、93年に現校名に改称した。「質実剛健」を校訓とし、地域と共にたくましく生きる人材の育成を目指す。夏祭りなどのボランティア活動、校外の清掃活動など地域との交流も活発。2011年に宮崎県立小林秀峰高校との再編統合を予定。

設立●1952(昭和27)年

形態●全日制/生産流通科・食品化学科・福祉科/共学

生徒数(1学年)●約120人

08年度進路実績●4年制大は南九州大に1人が合格。短大は宮崎学園短大、東洋食品工業短大に各1人が合格。その他、専修・各種学校21人、農業大学校4人。就職は72人で、うち県内が43人。

住所●〒889-4411 宮崎県西諸県郡高原町広原4981-2

TEL●0984-42-1010

WEB PAGE●http://www.
miyazaki-c.ed.jp/takaharu-h/


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指導変革の軌跡132


宮崎県立高原(たかはる)高校 「基礎学力の定着」

「基礎学力とは何か」の合意形成が
生徒の学ぶ意欲を育てる

変革のステップ
背景(STEP1)
実践(STEP2)
成果(STEP3)
◎生徒の基礎学力不足に危機感を抱き、改革に着手。放課後補習などを進めるが次第に形骸(けいがい)化
◎生徒の実態に即して取り組みを改善。漢字テストを基礎学力養成の中心とし、家庭学習指導、進路テストなどの改革を図る
◎積極的に学習に向かう生徒が増加。進路決定率はほぼ100%となり、福祉科での介護福祉士国家資格合格率が8割を超える

「漢字をまともに書けない……」基礎学力定着の必要性を痛感

 宮崎県立高原高校は、都城市から電車で約40分、天孫降臨(てんそんこうりん)の伝説の地として知られる高原(たかはる)町にある。生産流通科、食品化学科、福祉科の3科を擁する実業系の高校で、例年、生徒の7割が就職を目指す。
 同校が「基礎学力の保障」をテーマとして改革に取り組み始めたのは、10年以上前のことだ。発端は、「学級日誌」で誤字脱字が散見されたこと。易しい漢字すらまともに書けない生徒が多いという現実だった。企業が新入社員に期待する力として、コミュニケーション能力や考える力などがよく挙げられるが、それは一定レベルの学力があってのこと。進路指導主事の尾辻公一先生は言う。
 「不況で就職状況が厳しくなればなるほど、企業が生徒を見る目は厳しくなります。就職はもちろん目標の一つですが、進路、教務、生徒指導が一体となって、社会で必要とされる力をいかに育んでいけるかが、本校の最大の課題なのです」
 中でも大きな問題は、「基礎学力の保障」だった。同校には分数の掛け算、割り算ができない生徒が多くおり、更に小中学生レベルの漢字の読み書きが出来ずに教科書や問題文を読めないと訴える生徒もいた。危機感を抱いた教師は、10分間の朝読書、漢字テスト、指名補習など、生徒の学力レベルに応じた取り組みを導入した。
 しかし次第に、教師の考え方の違いや多忙化などにより、足並みが揃わなくなっていった。例えば、基礎学力の定着のために始めた放課後補習の「つめくさタイム」についても、問題点が指摘されるようになった。これは、授業時間を45分に短縮して7時限目を設け、各教科と一般常識や作文など、基礎学力の定着の時間に充てるというものだった。ところが、評価のあいまいさや、授業とのつながりの薄さといった課題が浮上し、次第に形骸化した。取り組みの効果にも疑問が呈され、3年前に廃止された。
 また、漢字テストでは、学年ごとに同一の問題を課し、70点未満の生徒は居残らせ、漢字の書き取りをさせるという方法をとっていた。しかし、次第に居残り指導が機械的に行われるようになり、教師・生徒双方の疲労感だけが増していった。

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