私を育てたあの時代、あの出会い

西浦太衛門

西浦太衛門

にしうら・たえもん
英語科。高取高校での6年間の勤務の後、桜井高校、室生高校(04年に榛原高校と統合し、榛生昇陽高校として開校)を経て、現在、登美ケ丘高校進路指導部長。

賀来哲三

賀来哲三

かく・てつぞう
理科。十津川高校を経て、高取高校へ。同校で13年間勤務。その後、五條高校を経て、現在は桜井高校の教壇に立つ。

VIEW21[高校版] 新しい進路指導のパートナー
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私を育てたあの時代、あの出会い

新採の私が先輩の隣で学んだ「人生を見通した指導」

奈良県立登美ケ丘高校 西浦太衛門

新採で赴任した学校での体験は、
教師のその後の在り方を大きく左右するものになる。
全国でも珍しい新しい類型のクラス担任という重責を担いながら
そのプレッシャーに圧されることなく、
進路指導の本質を学んでいった奈良県立登美ケ丘高校の西浦太衛門先生。
それはいつも隣に、自由なスタイルで「生徒のために」を追求する
1人の先輩の存在があったからだった。

 新採で、開校2年目の奈良県立高取高校(現・高取国際高校)に着任しました。当時、同校は2年生から類型が分かれ、文型、理型のほかに国際型2クラスを設けていました。国際という文字を冠した類型・コースは全国でもまだ珍しく、そのうちの1クラスを私が、そしてもう一つのクラスを私より八つ年上の賀来(かく)哲三先生が受け持つことになったのです。
 教職1年目で国際型クラスを任されたのですから、今考えると大変なことですが、私は事の重大さをよく理解していなかったように思います。だから、特に気負いもありませんでした。
 とはいえ、右も左も分からない新米教師です。職員室で席が隣の賀来先生は身近な、そしてユニークなお手本でした。
 例えば、先生は時々、ふと家庭訪問に出かけました。それもわざわざ雨の日に、バイクに乗って。理由を尋ねると「雨に濡れてまで『どや、勉強しとるか?』と聞きに行けば、生徒も保護者も恐縮して指導がしやすくなる」と笑うんです。また、来校した他校の先生に、「国際型の生徒は学校では英語しか話さない」と言い、事前に打ち合わせした生徒たちに「Would you like some tea?」とお茶を出させ、廊下で「Hello!」とあいさつさせる。相手が驚く様子を見て生徒と大喜びするんです。多忙の中でも笑い声が絶えなかった職員室の明るさは、賀来先生の人柄によるものでした。
 賀来先生は経験のない私にも、「これどう思う?」と気軽に意見を求めてきました。私は、先生の期待に応えたいと思いました。だから、隣の席で「国際型の生徒に合った学習記録表があったらええなあ」と先生がつぶやくのを耳にすると、翌日には試作版をつくり「これ、どうでしょう?」と見てもらいました。私の拙(つたな)い案を先生は「面白そうやんけ」と喜んでくれました。賀来先生がつぶやくアイデアを形にすることを繰り返して、私は鍛えられました。

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