新井 一方で、教育のICT活用については、「日本は世界の先進国と比較すると遅い」と言われていますが、安西先生はどのようにお考えでしょうか。
安西 私の感覚では、今の子どもたちはICTに違和感はなく、むしろ大人の問題ではないでしょうか。大人はICTの議論をするときに、神棚に上げてなるべく触らないようにしなければ、みたいな特別な表情になりますね。
新井 日本においてICTの導入が進まない原因は、まずマイナス面の話をするからでしょうか。ICTを導入している他国は、プラス面を見て導入に踏み切るような傾向が見られます。そこの差は大きいでしょうね。
安西 本当にそうですね。ICTは単なる道具ですからね。幕末の狂歌で、「泰平の眠りをさます上喜撰たった四杯で夜も眠れず」というのがあります。ペリーの艦隊が浦賀に来たときのことを皮肉ったものですが、1990年代半ばのインターネットの世界的な普及は、ある意味では「泰平の眠りをさます」黒船に匹敵する大きなできごとです。ただ、ICTを教育に導入すべきか否かという問題について大げさな議論をしても意味が薄いのです。
新井 最近ある国際カンファレンスで、あるアメリカの研究者に「日本では2020年までに1人1台デバイスの計画がある」というと、「それは興味深い」と。ただ、「問題はバジェットだ」というと、「なぜ? 2020年ならばデバイスなんて3000円位じゃないか」と。確かに、コストの問題や機材調達は、時間の経過とともにいろいろ出てきそうです。
安西 そうです、端末の値段は文房具なみになるでしょうから、むしろ課題は技術革新に合わせた買い換えの仕組みをどうつくるかになるでしょう。ICT活用の可能性は広がっています。たとえば、スポーツ、音楽などは、学生たちはつらくても好きで一生懸命にやりますね。それが英語・数学・国語・理科・社会になるとどうして好きにならないのか。私はICTを導入することによって、これらの教科も好きになる子どもたちがたくさん出てくると考えています。
それこそ子どもたちが毎日スポーツの練習をするように、作文でも何でもいいですが、トレーニングを自分が好きでどんどんやれば、とても高いレベルに達するでしょう。そういうトレーニングのために、ICTが活用できると思います。
新井 そこでのコスト以外の課題はありますでしょうか。
安西 避けて通れないのが知的財産権の問題です。たくさんの資料をダウンロードして読みたくても著作権その他の問題がある場合があります。また、デジタル化されていなくて読めないものものある。ただ、最近は多くの大学が貴重な資料をデジタル化して公開しています。たとえば、デジタル化された江戸時代の資料で学び始めて、やがて文明開化を考え、翻って現代のグローバル化とはどういうことなのだろうか、ということを、小中高校生でも自分に強い関心や目標があれば自分で学ぶことができるのです。
新井 そういった大学のコンテンツだけでなく、地域のリソースを使った地域社会との学びもありますね。地域社会の中で学ぶ形をもう1回考え直す必要があると思います。子どもの居場所がどこにあって、どこで学ぶかは重要なテーマですね。
安西 そうです。たとえば、子どもたちが公園にワイヤレスの端末を持ち寄ってみんなで勉強したり、チームで何かを考えたりすることもできるはずです。公園には怖い人がいるからダメだとか、いろいろなことがあるかもしれませんが、地域ぐるみで勉強することはできるはずです。
新井 以前、ドイツのスポーツユーゲント施設を見学したことがあります。施設には体育館があり、テニスコートやサッカー場は町の中にあります。体育館の中にはレストランも入っていて、そこで地域の人たちが飲んだり食べたりしているなか、その周りで子どもたちが活動しています。クラブハウスには、子どもたちが使えるように数台のパソコンが置いてありました。ドイツ全土にはそういうコミュニティがあちこちにあるそうです。子どもたちが大人の目の届く範囲で学んでいるのです。日本にもそういう環境があればいいな、と思います。
安西 そういう環境は技術的にはつくれるので、あとは日本の社会の仕組み、隣近所の関係回復、大人たち自身が自分たちの暮らしや文化の価値をしっかりと認識することがまず求められますね。
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