震災をバネにする石巻、
街そのものが大きな学校へ

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 女子高生が企画・運営するファッションショー「マキコレ」

川開きで盛り上がる石巻市内を歩くと、ファッションショーのポスターが目に入ってきた。ファッションの世界に興味を抱く女子高生たちが、自分たちでイベントを企画し、宣伝用のポスターをつくり、ファッションショーの服までつくっているという。学園祭などでは催されることはあるが、学校内だけではなく、石巻市の空き地やダンスホールなどで開催されているのが目新しい。イベントには大勢の大人たちが応援のためにかけつけ、タレントのベッキーさんからもビデオメッセージが送られていた。

「イシノマキコレクション(略称:マキコレ)」では、15名の女子高生たちが、「石巻の女の子のニュールック」をテーマに、思い思いにデザインした服に身を包み、自らモデルとして晴れの舞台を楽しんでいた。

このニュールックには「石巻カジュアル」という名前が付けられた。

「石巻カジュアル」とは、その昔、石巻の人のファッションを揶揄するのに使われたこともある言葉。しかし、それを逆手にとって新しい世代の新しいファッションをアピールする言葉にバージョンアップしてしまおうという狙いなのだ。

マキコレでリーダー的な存在が、宮城県立石巻高校3年の山田はるひさん。山田さんは一昨年、公益社団法人が運営する東日本大震災の復興支援を目的とした『TOMODACHI』プログラムを通して、カリフォルニア大学のバークレー校のサマースクールに参加した。山田さんは「マキコレ」を開催した理由を次のように話す。

「サマースクールで知り合った人たちは意識が高く、将来起業しようとしている人が多かったです。特に、自分が好きなことをやるのが人生だと教えられました。そこから、自分も好きなファッションを通じて、地元で何かやりたいなと思ったのです」

マキコレに向けて、彼女たちが半年前からつくった衣装は、8着すべてが手づくり。石巻の海をデザインしたロングスカートや、石巻市中央の「寿町通り」などでも敷き詰められている石畳を表現した膝丈のスカートなどはとても個性的だ。不要になった布などを使ってつくったという。

「私は石巻で生まれ育ちました。かつては何も無い街だなあと思っていたこともありましたが、この場所でこんなに面白い取り組みができるんだって、自分自身がわかってよかったです」と山田さん。今後は美術大学に進み、染めものと織りものを勉強して、自分のファッションブランドを立ち上げたいとのこと。また、マキコレを催したように、これからも自分たちの街には継続的に関わり、石巻を盛り上げていきたいという。

 高校生が営むカフェと「 」(かぎかっこ)プロジェクト

川開き祭の間、石巻で盛り上がっている地域はいくつかあるが、石巻駅の周辺もその1つ。石巻駅のすぐ向かいには、どう見てもデパートにしか見えない建物があり、実はその中に石巻市役所が入居している。この建物、2008年までは「さくら野百貨店」というデパートだったが、同年に撤退。その跡地の2階から上に市役所が入ったという経緯がある。今でも1階部分は商業スペースとして活用されており、入り口付近では机が並んで野菜が売られ、建物の中にもカフェやお土産屋などの店舗が並んでいる。そうしたいくつかある店舗の1つに『いしのまきカフェ「 」(かぎかっこ)』という高校生が営むカフェがある。

「かぎかっこ」は、お店の名前、コンセプト、ロゴ、メニュー、空間デザインなど、すべてゼロから地元の高校生がつくってきた。商品開発部、空間部、広報部、それらをまとめる生徒会の計4チームに分かれ、それぞれの得意分野を生かしながら活動している。

例えば石巻では震災以降、自然に対してのイメージがネガティブになっていたが、「自然はこのまち最大の魅力である」と高校生たちが考え、石巻の自然をイメージした果汁100% ジュースを販売した。さらに、川開きの間は特別メニューが用意され、店の前で元気な高校生3人組が呼び込みを行っていた。カウンターの中に2名の社会人はいるが、それ以外のスタッフはみんな高校生で、接客係のほかにカフェの出来事をカメラで記録する高校生もいた。

このカフェをつくったのは「かぎかっこプロジェクト」という団体だ。高校生がゼロからつくる「カフェ」や「理想の授業」など、高校生世代が主役となり、「  」(かぎかっこ)の中にさまざまなものを描いて生み出していくという想いを込めたプロジェクトだ。このカフェのほかにも、高校生が将来どんな仕事に就きたいかを探るべく、街の人々をインタビューして未知の仕事を図鑑にまとめていく「仕事みち図鑑」プロジェクトも実施しており、こちらは復興庁の「新しい東北」先導モデル事業に選ばれた。

石巻では、やる気のある高校生たちに対しては、驚くほどたくさんの活躍の場が与えられている。しかも、彼らを子ども扱いするのではなく、主体性を信じて大きな役割を任される。大人はカッコイイ背中を見せるだけで、少し距離をおいて見守ることに徹しているのだ。

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