高等教育研究室

ベネッセのオピニオン

第106回 「一生学び続ける」を科学する⑤
大学教育の目標をどう設定し、育成・評価するか
~「目標-指導-評価の一体的運用」の実現に必要なこと〔前編〕

2016年07月26日 掲載
研究員 岡田 佐織

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 大学での学びを、学生の成長につなげるものへと変えなくてはならないと、これまで長らく言われ続けてきた。しかし、いまだ改革は不十分であるというのが社会的な評価であり、また、当研究所の調査データからも、改革は道半ばであることが明らかになっている(ベネッセのオピニオン第104回)。

 そのような中で文部科学省は、平成29年4月から施行される「学校教育法施行規則の一部を改正する省令」において、大学および高等専門学校に対してディプロマ・ポリシー(卒業の認定に関する方針)、カリキュラム・ポリシー(教育課程の編成及び実施に関する方針)、アドミッション・ポリシー(入学者の受入れに関する方針)を策定し、公表することを義務付けた。ディプロマ・ポリシーとは、大学が4年間で学生をどのような人物に育てたいかという教育の目標を明示するものであり、ディプロマ・ポリシーに基づいて入学者をどのようなカリキュラムのもとで育てていくのか、入学から卒業までの道筋を設計し学生の学びと成長を保証できるようにすることを意図して、策定と公表が義務付けられることになった。もっとも、文部科学省の調査によれば、平成25年度時点で、ほとんどの大学においてこれらの3つのポリシーがすでに策定済みとなっており、いま改めて、3つのポリシーの策定が政策上の課題とされている背景には、表現が抽象的で形式的な記述にとどまり、当初期待した機能を十分に果たせていない、という課題認識がある(平成28年3月31日 中央教育審議会大学分科会大学教育部会 3ポリシーの策定及び運用に関するガイドライン)。

 また、ディプロマ・ポリシーを実際の教育活動の中で機能するものとするべく、平成30年度から始まる認証評価の第3サイクルでは、各大学において、ディプロマ・ポリシーに基づく学修成果の可視化を行う必要に迫られている(中央教育審議会大学分科会「認証評価制度の充実に向けて(審議まとめ)」平成28年3月18日) 。


※認証評価・・・全ての大学が7年に1度、認証評価機関の評価を受けることが義務付けられている。平成16年度~22年度が第1サイクル、平成23年度~29年度が第2サイクル、平成30年度~36年度が第3サイクルとなる。

なぜディプロマ・ポリシーは機能しないのか?

 教育評価には、「規準と基準」が必要であるということは、高校以下の学校段階における教育評価論の中では広く共有されている考え方である(「規準」は、育成したい力を具体的な姿として表現したもの、「基準」は、評価規準で示された育成したい力の習得・到達状況の程度を明示するための判定水準を示したもの)。また、「<目標と指導と評価>は一体的に運用されなければならない」ということも、古くから言われていることである。ディプロマ・ポリシーを大学教育の目標として機能させるためには、目指すべき姿(目標)とそれを評価する視点として、この「規準と基準」を設定することが必要であるが、それができないような記述になっている場合が多い。たとえば、以下のディプロマ・ポリシーの記載例を見てほしい。


 【例1】
 一般教養、語学ならびに経済学全般に関する広い知識・理解力と経済学の特定専門分野に関する深い考察力を兼ね備えた者に学位を授与する。経済学を一つの軸とする教養を備え、変化する社会を適切に認識し、日本社会をリードすると同時に世界で活躍できる能力を証するものとして学位を授与することを方針としている。

 【例2】
 学士課程卒業にあっては、以下の点に到達していることが求められる。

  (1) 哲学・歴史学・文学・行動科学に関わる基礎的学識、専門分野についての深い理解力を持ち、卒業論文の作成を通して培われる問題探求能力、分析能力、表現能力を身につけている。

  (2) 哲学・歴史学・文学・行動科学に関わる課題に関して、問題発見能力と問題解決能力を具え、創造的に取り組むことができる。

  (3) 人文学の意義と重要性を理解し、高い倫理性を持って、その発展に寄与する行動ができる。

  (4) 自由で批判的な精神と良識を具え、人類が直面する課題を直視し、問題解決に積極的に寄与することができる。


 【例1】にある「深い考察力」や「変化する社会を適切に認識し、日本社会をリードすると同時に世界で活躍できる能力」や、【例2】(4)での「人類が直面する課題を直視し、問題解決に積極的に寄与することができる」とは、どのような能力なのか。何がどのようにできるようになれば良しとされるのか、そしてそれはどのように判断すればよいだろうか。高等教育機関としての理念や使命の表明として、向かう先を示すという意味ではよいのかもしれないが、これだけでは、学修成果を可視化したり、カリキュラムの成果を検証したりすることの手助けにはならない。

 先に、高等学校以下の学校段階においては、「規準と基準」という考え方が共有されていると述べたが、実際にこの「規準と基準」が機能するような教育目標を設定できているかとなると、これもまた必ずしも十分な状況にあるとは言い難く、大学と同様の課題を抱えている。以下に示すのは、カリキュラム編成の基準となる学習指導要領に記載された、2つの教科の教育目標である。どの学校段階の何の教科か、お分かりになるだろうか。


〔A〕
 広い視野に立って,社会に対する関心を高め,諸資料に基づいて多面的・多角的に考察し,我が国の国土と歴史に対する理解と愛情を深め,公民としての基礎的教養を培い,国際社会に生きる平和で民主的な国家・社会の形成者として必要な公民的資質の基礎を養う。

〔B〕
 広い視野に立って,現代の社会について主体的に考察させ,理解を深めさせるとともに,人間としての在り方生き方についての自覚を育て,平和で民主的な国家・社会の有為な形成者として必要な公民としての資質を養う。


 〔A〕は中学校の「社会科」、〔B〕は高等学校の「公民科」の目標である。資質・能力の育成という意味では、ここで言う「公民的資質」とは何なのかを知りたいところであるが、学習指導要領の解説を見ても、この資質・能力が何であるのかを端的に知ることはできない。〔A〕と〔B〕の記述を比較して、中学生と高校生との間でどのような能力の伸長が期待されるのかも、伺い知ることができない。資質・能力そのものを定義し記述する、ということがこれまで十分に行われてこなかったという点は、大学教育のみならず、日本の教育目標の設定および教育評価全体の課題でもある。大学に対して、検証可能な教育目標(ディプロマ・ポリシー)を設定せよと言うは易しだが、そのための方法論はいまだ確立されていないのである。

目標-指導-評価の一体的運用のために

 ディプロマ・ポリシーが「抽象的な作文」になってしまっており、教育目標として機能していないという課題を解決するための方策について、次に考えていきたい。

 まずは各大学で、ディプロマ・ポリシーの策定に携わった関係者やカリキュラムの設計者、FD(ファカルティ・ディベロップメント:授業内容・方法を改善し向上させるための組織的な取組)担当者らが一緒に、ディプロマ・ポリシーをブレークダウンしてみるところから始めてはどうか。ディプロマ・ポリシーで記述された状態を実現するために必要とされる能力要素に分解したうえで、その能力を有している人とそうでない人とで何が異なるのかを、定義してみるとよいだろう(能力あり・なしの2グループでなく、複数の段階やタイプ別のグループに分けてもよい)。いくつかの大学では、ディプロマ・ポリシーや到達目標をルーブリックとして示しているところもあるが、さらにもう一歩踏み込んで、「能力水準として何が異なるのか」「レベルの違いを生み出している要因は何か」にまで、分解することが望ましい。


※ルーブリックの例

論理的思考/判断力
 偏った判断をすることなく、論理的に考えることができる

〔レベル1〕
 他者の意見や物事を客観的な視点で捉え、事実と意見を区別することができる
〔レベル2〕
 客観的な事実から、問題の原因について論理的に仮説を立てることができる
〔レベル3〕
 論証に基づいて理論的な意見や結論を導き出すことができる


論理的思考
 複雑な事象の本質を整理し、構造化(誰が見てもわかりやすく)できる。
 論理的に自分の意見や手順を構築・展開できる

〔レベル0〕
 複雑な事象を整理し、構造化できない
〔レベル1〕
 複雑な事象を整理し、構造化しようと努力している
〔レベル2〕
 複雑な事象を整理し、構造化できる
〔レベル3〕
 複雑な事象を整理し、構造化できる。自分の意見や手順を論理的に展開できる


 ディプロマ・ポリシーで記述された「育成したい人物像」は、多様な能力要素を複合的に発揮した姿として描かれている。そのような人物になるためには、どのような能力が備わっている必要があるのか、何がどうなったときにそれらの能力が「高まった」と認定するのか、あるいは、学生がどんな状態からどんな状態へと変化・変容したときに「成長した」と認定するのか。上記の例で言えば、「複雑な事象を整理し、構造化できる人」と「できない人」とでは何が決定的に異なるのか、それが可能であるためには、どのような能力が背後で働いているのかを考える必要がある。たとえば、上位概念と下位概念の階層構造を常に意識しているかどうか、情報を関連づけるためのパターンや方略をどれだけ獲得しているか、などである。

 こうしたことをていねいに「ことば」にしていくと、自分が担当する科目だけでは能力が高まったと言える状態にすることはできない、ということが意識されるようになる。そのことが、科目間で育成目標をリレーしたり、カリキュラムの中での担当科目の位置づけを明確にしたりするためのきっかけやモチベーションとなる。逆に言えば、そのような共通理解なくしては、ディプロマ・ポリシーと科目とを紐づけたカリキュラム・マップを作ったとしても、または授業アンケートの中でディプロマ・ポリシーの項目ごとの到達度を評価させたとしても、形式的なものになってしまい、ディプロマ・ポリシーをカリキュラムレベルから科目レベル、日々の授業や指導のレベルまで、教育活動の全体を貫く教育目標として機能させることはできないのではないだろうか。

 ディプロマ・ポリシーのブレークダウンと、議論のための「ことば」づくりは、大学全体で学修成果を可視化し、教育の質を向上させるための、必須の通過点であると筆者は考えている。

 ただ、この「ことば」(共通言語)づくりの作業は、やってみると想像以上の困難を伴う作業となる。「ことば」の定義や、背後に想定している因果関係の構造が、人によって異なるからである。

 そこで次回「後編」では、この共通言語づくりをどのように行っていくか、について考えていきたい。

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著者プロフィール

岡田 佐織
おかだ さおり

ベネッセ教育総合研究所 研究員

大学職員として学生調査の企画・運営業務に従事した後、ベネッセ教育総合研究所に入所。大学事業部、教育事業本部を経て2015年4月より現職。この間、教育研究情報誌『BERD』編集、学生調査・アセスメントテストの設計・分析、大学FD・IRに関するコンサルティング活動等に従事。現在は大学と共同で「学生の学習と成長のプロセス」を可視化する研究に取り組んでいる。東京女学館大学非常勤講師(2014)、日本教育大学院大学教員免許更新講習講師(2009-2014)、相模女子大学非常勤講師(2016-)。高等教育領域に関連する執筆物:「新入生の実態に合わせたカリキュラム開発」『工学教育』(2013、公益財団法人日本工学教育協会)。東京大学大学院教育学研究科博士課程満期退学。修士(教育学)

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