高等教育研究室

研究室トピックス

【論考】 大学における教養教育の今日的意味について

2015年02月04日 掲載
 高等教育研究室 特任研究員 満都拉(マンドラ)

関連タグ:
教学改革 主体的な学び 教養教育 共通教育 カリキュラム改革 カリキュラムポリシー ディプロマポリシー コンピテンシー

クリップする

周知のとおり、日本の大学において、一般教育は常にその重要性が謳われながらも現実として必ずしも機能しておらず、1991年大学設置基準の大綱化に伴い軽視される一方だった。その背景に、いわゆる一般教育自体の課題と高度経済成長という社会的現状以外にいかなる課題が隠されているのか。それが今日における教養教育にいかなる影響を与えているのか。

本稿では、まず、一般教育の内容と実施形式、担当教員の問題、専門教育との関係などを明らかにし、当時の一般教育は大学の学士課程においてどういう位置づけだったのかを推察する。そのうえで、大学における教養教育の実践的取り組みを紹介し、簡単に考察を加える。最後に、筆者が考える教養教育の今日的意味を提示する。

なお、本稿において「一般教育」と「教養教育」という用語が混在しているが、それは1991年大学設置基準の大綱化をもって「一般教育」の代わりに「教養教育」という用語が登場したことに従ったためである。

 
導入当時の大学における一般教育

 戦後の日本の大学における一般教育はアメリカの使節団の指導のもとで導入されたもので、その実態を以下の三つの側面から見ることができる。

 まず、一般教育の内容と実施形式について

 一般教育は人文科学関係、社会科学関係、自然科学関係の3カテゴリーから構成され、学生が各カテゴリーから3科目ずつ選んで履修することが規定されていた。当時の教材、教科書を探し出すことが難しいが、少々時期を遅らせると『理工科系一般教育代数・幾何教科書』(1964年)や、『理工科系一般教育微分積分の教科書』(1965年)のような理工系の一般教育の教材・教科書を検索することができる。

 

【 「理工科系一般教育代数・幾何教科書」の目次構成 】

第1章 複素数                        第6章 座標変換と2次形式

第2章 整数と方程式               第7章 直線および平面

第3章 ベクトル                     第8章 2次曲線

第4章 行列式                        第9章 2次曲面

第5章 行列



実施形式として、大講義室で一方的に「一括実施」するのが一般的であり、大学4年間のうち「前2年教養、後2年専門」と期間区分をされていた。

次に、一般教育の担当教員の実態について

当時、一般教育の科目を担当していたのは専任の教員と一部の学部の教授であったが、うち学部の教授はあくまでも兼任・兼担という立場で、全体的に教員不足の課題を抱えていた。そのうえ、専任の教員のうちほとんどは元師範学校の先生であり、一般教育の担当教員としての質の問題も絡んでいた。元師範学校の先生とは中等教育機関である師範学校が高等教育機関に昇格する(1943年)ことによって大学の教員になった方々であり、そもそも大学教員としての資質が低いことが課題化されていた。一般教育の担当教員の実態として量的不足と質の課題の両方を抱えていた。

 最後に、一般教育と専門教育の関係について

当時の学士課程における一般教育と専門教育は明確に区別されるような関係性に置かれていた。具体的に、一般教育と専門教育はそれぞれ別の科目群から構成され、別々の論理で開設され、重複する科目がないことを前提とされていた。両者の担当者の身分もそれぞれ異なっていた。

一般教育について、吉田(2013)は、「アメリカにおけるジェネラル・エデュケーションの多様なカリキュラム・モデルの存在や、その理念の歴史的変遷などを理解するに至らず、ましてや、配分必修制の欠陥がどこにあるかは知らないまま、配分必修制の表面をなぞり、バランスを重んじた編成に終始した」と指摘している。

総じて、当時の大学における一般教育は、実は一つの教科・科目の教育に近いもの、あるいはそれに過ぎないものだったと言えよう。よって大学の学士課程における一般教育の位置づけとしても専門教育の入門や文理の相互補助に留まっていたのである。当然ながらこれは一般教育が導入された当時の趣旨によるものであろうが、一般教育とは何かという本質的な議論がきちんと行われないままその実施を先行させた結果でもあろう。


大学における教養教育の実践的取り組み

大綱化以降、一般教育と専門教育という形式的な区分が廃止され、大学において一般教育課程が事実上なくなった。しかしその後教養教育への軽視が懸念され、教養教育の必要性が唱えられるようになった。

2002年の中央教育審議会答申において新しい時代における教養教育は「学生にグローバル化や科学技術の進展など社会の激しい変化に対応し得る統合された知の基盤を与えるものでなければならない」、「専攻分野の枠を超えて共通に求められる知識や思考方法の獲得、人間としての在り方や生き方に関する深い洞察、現実を正しく理解する力の涵養など、新しい時代に求められる教養教育の制度設計に全力で取り組む必要がある」と示している。それを受け各大学において様々な実践的な取り組みが見られるようになった。以下その中から三つの事例を取り上げて考察したい。

 ★コミュニケーション能力と教養教育

東北大学高度教養教育・学生支援機構では、広義のコミュニケーション能力獲得と多文化理解を大学教養教育の基盤と捉え、多様で総合的な言語能力を基盤に幅広い価値観と世界観を涵養することを目指す取り組みをされている。具体的に、国内外の高等教育機関における言語教授法と言語文化教育カリキュラム編成の在り方に関する調査研究の推進・実践、具体的かつ実行可能な言語文化教育改善のための提言などで言語文化に関わる教養教育の高度化と更なる発展に寄与しようとしている。教養教育とコミュニケーション能力、グローバルな視点を結びつける取り組みは国際基督教大学をはじめ、早稲田大学、上智大学の多くの大学において行われているのである。

 ★市民性の涵養と教養教育

京都三大学(京都工芸繊維大学、京都府立大学、京都府立医科大学)は「新しい時代の要請に応じた共同教養教育カリキュラム」を構築し、教養教育は「専門教育を支える幅広い基礎知識の獲得のほか、現代社会における市民性の涵養という観点に照らした知の共通基盤と人間性の基礎作り」を目指している。具体的には、①異なる価値観や視点を持つ他者と協働する力としてのコミュニケーション能力及び相手を思いやる心、②自ら問題を発見しそれにコミットするとともに、「正解」のない問題についても学際的な視点に立ち、多様な見解を持つ他者との対話を通して自身の考えを深め、解決に向かって行動する能力、③グローバルな局面で文化や言語を異にする他者と交流し協働する能力を備えた人材の育成を目指している。

 ★社会人としての視野と教養教育

小沢・滝沢(2012)は大学の授業における学生の「カフェ化」現状を指摘し、それが学生生活のみならず就職活動とその後のキャリアにも影響を及ぼすと指摘し、「カフェ化」の防止対策は就職対策にもなるという観点から「教養教育の目的は社会人としての視野を広め深めることにある」とした。大学における教養教育の改善について①専門領域と学生の生活との接点の領域をテーマにすること、②毎回の授業で心理学をベースにした自己理解に基づき文章を書くことの2点を挙げている。

 これらの実践的な取り組みは、コミュニケーション能力の獲得を基盤にグローバルな視点や姿勢の獲得を目指すなど、縦割りの知識を中心としたこれまでの一般教育への反省に立ち、いかに幅広い知識を統合し実践的能力として用いるかに焦点を与えようとした動きである。一方、学生の学びへの真面目さと厳密性が失われつつある現状に課題を感じ、心理学を基盤に自己理解を深めながら自己と社会の相互認識の中で社会人としての視野を持つことの重要性も取り上げられている。

 
大学における教養教育の今日的意味に関する私見

以上を踏まえ、筆者は大学における教養教育の今日的意味として三点を提示したい。

一点目は、大学における教養教育は知識やスキル・能力をどのような価値意識、価値判断のもとで用いるかを考える教育であること。現代社会は情報の拡大と更新に大きく左右されており、この時代と社会を生きるには縦割りの知識のみでは不十分であり、知識の統合とその利活用、どのように利活用するのかが不可欠な問題意識である。

二点目は、大学における教養教育は知識を介した個々人の物事の見方・考え方、論理的な思考力・判断力、価値観・世界観を育成する教育であること。私たち個々人は常に自己の理解のもとで社会を認識し、また社会の中で自己を相対的に捉えており、この行き来の動的なプロセスの中で自己を再構築しているのである。こうした自己の再構築こそが人間性の形成過程であり、教養教育の本質的なものでもある。

三点目は、大学における教養教育はすべての専攻分野の哲学と倫理学的基盤作りの教育であること。これまで、一般教育・教養教育とは人文・社会・自然の3カテゴリーを含む幅広い知識の習得を目指すものだと認識されてきたと思うが、今日、これからの大学における教養教育は、哲学と倫理学をベースにした教育をすべての専攻分野において実施するという位置づけになるべきだと思う。その理由として、幅広い知識や様々なスキル・能力の利活用と、それらに伴う価値意識、価値判断、世界観の形成の一番ベースになっているのは哲学と倫理学だからである。そのうえ、大学とは知識基盤の形成の場であるとともに、個々人の価値観の形成、人間性の形成の場でもあるからだ。そもそも倫理学は哲学の一部構成でもあるが、ここで単独で倫理学を取り上げているのは今日の社会において倫理的意識や行動が今まで以上に問われているからである。

無論、個々人の知識の習得と価値観の形成は大学という学問の場のみに留まるのではなく、教養教育も大学のみで展開されるものではない。この意味で教養教育の在り方として、大学と地域社会とのつながり、大学と実生活と関わりの中で個々人がいかに人格の形成、人間性の形成を図るかという展開も期待できよう。

 

参考・引用文献

1.吉田文2013『大学と教養教育 戦後日本における模索』岩波書店

2.文部科学省ホームページ http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317751.htm

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/020203/020203a.htm#08

3.東北大学教養教育・学生支援機構ホームページhttp://www.ihe.tohoku.ac.jp/?page_id=7358

4.京都三大学教養教育研究・推進機構http://www.kpu.ac.jp/cmsfiles/contents/0000002/2875/gaiyou.pdf

5.小沢一仁・滝沢利直2012「大学における教養教育を考える―「現代社会と人A・B」の授業実践の検討を通して―」東京工芸大学工学部紀要Vo1.35 No.2

ページのTOPに戻る