いま日本が目指す教育とは何か
これからの教育を各界の第一人者に聞く「教育フォーサイト」。
第四弾は、1962年に文部省に女性初のキャリアとして入省後、文化庁長官、トルコ共和国大使、国立西洋美術館長などを歴任して、2001年には民間初の文部科学大臣を務めた遠山敦子氏がゲスト。現在、公益財団法人トヨタ財団理事長、公益財団法人パナソニック教育財団理事長などに就任して、次世代を担う子どもたちへの教育に、精力的に取り組んでいる。
聞き手 : ベネッセ教育総合研究所理事長・新井健一
取材協力:株式会社百人組
新井 今日は遠山さんのこれまでのキャリアを伺いながら、これからの教育へのヒントや子どもたちへのメッセージをお聞きしたいと思います。遠山さんの著書の中には、中学生時代に富士山に出会ったことが人生の転機になったと書かれています。また、最近、富士山が世界遺産になるためにご尽力されたと伺いました。まず、遠山さんにとって富士山とはどのような存在で、どのような影響があったのかをお聞きかせください。
遠山 小学生時代は三重県の田舎で育ち、昭和26年、中学1年生の秋に静岡へ移りました。日本国が敗戦の混乱と、貧しさから抜け出そうとしていたときです。静岡で秋の晴れた日に目に飛び込んだのは、雄大な富士山の姿でした。静岡は富士山が見えるだけではなく、陽光にあふれ、自然が豊かです。気持ちが一気に明るくなったときに富士山が現れました。
通学路からも学校の校庭からも家からも富士山が見えます。私は「あ、これはすごい」と思いました。全然見飽きません。いつの間にか富士山が、私の心の中に明確に存在するようになりました。さらに富士山に関する印象的なことがありました。静岡の中心部から清水に向かって静岡鉄道というのが走っていて、その途中に草薙という駅があります。『古事記』に出てくる草薙剣で有名な草薙というところです。ある日曜日、そこで下車して山登りをしようと父に言われて、ついていきました。
大きなアシみたいな植物が、左右から覆いかぶさり、道無き道でどうなることかと思いました。登るほどに息は切れ、汗は吹き出る、悲鳴を上げそうになりましたが、父はもう少し我慢しなさいと言います。ともあれ、登り切ったら目の前が開けて、真正面に富士山が現れました。その姿がずっと印象に残っています。私にとっての富士山は単に美しいというだけではありません。困難にあって嫌になりそうなとき、やめようかなどと思う気持ちに打ち勝って一生懸命やると、到達した場所に見事な風景が広がるということが、中学1年生の秋に心に深く刻まれたのです。富士山の存在が自分にとって重要になったきっかけだと思います。
新井 雄大なものには、なぜかスピリチュアルな力を感じる気がします。
遠山 要するに人間の力の及ばない存在、星でも大海原でもいい、人間の力を超えたものに対する尊崇の念が、自然にわき起こってくるのではないでしょうか。
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