[1/5]

連載第2回では、90年を超える伝統をもつ、東京にある私立広尾学園の大改革を取り上げる。7年前まで女子校だったこの学校は、少子化に加え、進学重視の外部環境の変化により、特徴のない多くの女子校同様、廃校の危機に瀕していた。その学校が驚くべき大転換により、今や教育界から大きな注目を集める存在になっている。前編ではこの学校が大転換に成功した理由に迫ったが、後編では、同校の特長でもある医進・サイエンスコースがどのような経緯で立ち上げられ、学園の教育として何を大切にしているのか、レポートする。

【取材・執筆】 ジャーナリスト・林 信行
【企画・編集協力】   青笹剛士(百人組)

 

 ガスバーナー1個からのスタート

広尾学園 医進・サイエンスコース
マネージャー 木村健太氏

広尾学園には同校を牽引する2つのコースがある。医進・サイエンスコースとインターナショナルコースだ。

「この2つのコースは偏差値が高く、入学が難しいことで『別物』のように特別視する人もいるが、ひっぱられるようにして本科の学力も確実に向上している」と広尾学園教務開発部長の金子氏は言う。

だが、ここまで世間の注目を浴びるコースを生み出すには、一筋縄ではいかなかった。このうち医進・サイエンスコースは、前編にも登場した木村健太氏の想いを軸にコンテンツをつくってきた経緯があるが、彼自身はというと、一時はIT系の企業にも勤めていたこともある変わり種で、順心女子学園が広尾学園に変わった2年目の2008年に同校の面接を受けたことが同校に入るきっかけだ。

もともと、自分自身の研究を続けていきたいと思いつつ、科学の研究を中高生にも広めていきたいというモチベーションで同校の教員に応募したところ、「そういう人を待っていた」と大歓迎されたという。広尾学園は学校自体が新しく、すべてをゼロからつくっている印象があったことから、木村氏が「研究」をいっそ教育活動そのものにしてしまえばいいのではないかと発案したことで、現在の医進・サイエンスコースの教育内容が確立することになる。

しかし、広尾学園の理科室に初めて足を運んだ木村氏は驚愕した。普通の教室にガスバーナーが1個、あとはビーカーが10個あるかないかで、およそ研究も実験もできる状態ではなかったからだ。前身の順心女子学園は、それほど理科の教育には熱心ではなかったようで、木村氏は「ダマされた」とすら思ったという。

現状を目の当たりにし、参画してすぐに顕微鏡を筆頭とした実験に必要な機材のリストを提出したが、当時の学校で購入しようとしていたのは、まるでおもちゃのような顕微鏡だった。会議の中で「顕微鏡は10年、20年と使い続ける機材なのできちんとした光学顕微鏡を購入するべきだ」と主張したが、必ずしも肯定的な反応ではなかった。やがて木村氏は、一度は潰れかかっていた学校には先進的な設備を揃える予算がなかったことに気がついた。

 

ページのTOPに戻る