●人間性の育成で大切なのは、お互いの存在を認め合うこと
人間性の育成というと、多くの方がとりわけ道徳の授業のようにとられます。私はそうではなくて、全授業・全教科でできることだと思います。そのときに一番大切なことは、自分と相手が、お互いの存在を認め合うことです。これは、たとえば理科では「あなたの仮説や意見、考え方を認めましょう」、そして「だから私の意見も認めてください」ということが同じ価値であるということです。そして同じ価値であるからこそ、相手の意見と自分の意見の何が違い、何が同じなのかということを即座に判断して、相手の良いところは受け入れなければいけない。
今の教育には、このように他者から学ぶというところが欠けています。その大前提としては、人それぞれがそれぞれの良さや意見を持った存在であるととらえ、その意見同士を関わらせることによって学び合うという雰囲気、状況をつくらなければいけないのです。
今の教育の一番弱いところは、人と人が関わることはできるのですが、学び合うところまで行っていないところです。学び合うということは、相手の意見を取り入れて、自分の意見を変える、バージョンアップしていくということです。そのような教育が2010年に向けては非常に大事になってくると思います。
●自分たちで考え、絡み合う場が「学び」を高める
それでは、学び合う雰囲気づくりにはどんな方法があるかという一例を紹介します。すでに現行の指導要領にもあるのですが、振り子が1往復する時間は糸の長さに関係するという実験があります。多くの子どもたちは、おもりを重くするほど振り子の1往復する時間は短くなると思っています。本当は、糸の長さだけしか関係しません。それで指導要領では「おもりの重さの実験もやってください、同時に糸の長さの実験もやってください」といっています。ということは、異なる2つの振り子の実験をやった子どもたちが、お互い関わることによってわかり合う。つまり、振り子の糸の長さの実験をした人は、おもりの重さが関係ないという情報を、おもりの重さの実験をした人からもらうわけです。逆に、おもりの重さで調べた人は、糸の長さに関係するということを糸の長さの実験をした人からもらうわけです。
このように、先生がわざわざ「お互いに意見を求めましょう」と言わなくても、子どもたちが自分で考える実験をさせて、後はお互いが絡み合う場をつくればよいだけです。そうすることによって、自然にお互いが影響し合い、お互いの“学び”を高めていけるというわけです。
●これからは知識だけでなく、人間性が大切になってくる
最後になりますが、私は今、大学に籍を置いている関係上、いろいろな大学の方たちとお付き合いがあります。そこで感じることは、人間の価値というのは、よく知っている、知らないの問題だけではない。その人が雰囲気として醸し出す人間性が大切だということです。
非常に尊敬する人を例にあげると、その人は非常に見識が高く、高い学力を持ちながら、しかも人間的にも非常におおらかなのです。私は、これからはそういうものが求められる時代になってくると思います。知識の有無だけではなくて、いかにして人間性を高めながら“知”をつくっていくか、構築しているかという時代に入るのだと思います。
ですから今までのような既成の価値観で、どこの学校の試験に受かった、受からない―それも大事なことだと思いますが―、それだけではなくて、もっと人間的な広がりや、深まった考え方ができるようになった子どもを認めることが重要ではないでしょうか。私はそのような価値観を持つことで、これからの時代をよりよく生きていけるのではないかと思います。
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