ベネッセ教育総合研究所 ベネッセホールディングス
特集●地域で進む教育改革(2)

古川 治先生
大阪府豊中市立北条小学校校長
村松啓至先生
静岡県周智郡森町立旭が丘中学校教頭
陣川桂三先生
福岡大学人文学部教授
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ふるかわ・おさむ●大阪府箕面市教育センター所長、同市立止々呂美中学校長を経て、2002年から現職。箕面市教育センター時代に「全国通知表調査」を手がけ、昨年は、評価規準についての全国調査を行った。 むらまつ・ひろし●静岡大学附属浜松中学校などに勤務後、静岡県総合教育センター指導主事に。在職中、静岡県評価規準モデルづくりを中心になって行った。今春から現職。国立教育政策研究所「評価研究」協力委員。 じんかわ・けいぞう●福岡教育大学附属中学校などに勤務後、1985年から16年間福岡市教育委員会に勤める。今春から現職。福岡市の評価基準づくりを中心になって進めてきた。
福岡市の評価実践事例集
評価規準づくりの先進例から──静岡県・福岡市
村松 私は今年3月まで静岡県の総合教育センターで評価規準づくりにかかわってきました。この規準づくりには、県内全域から指導主事、校長も含めて220人の先生方に加わってもらい、11の分科会に分かれて熱い議論を戦わせました。
 静岡県の評価規準の特徴は、国立教育政策研究所(以下、国政研)から出された規準に比べて、非常にスリムになったことです。例えば、中学校理科「動物の生活と種類」の単元24時間分をわずかA4版見開き二ページにまとめました。
 考慮した点は、「目標の構造」が見えてくるようにしたことです。これにより初めて、指導と評価がつながるからです。もう1点は、子どもの学習活動を10時間から15時間の単元ひとまとまりでみていこうとしている点です。これは、「1時間1時間の授業では失敗してもいい、最終的にはこんな力がつけばいい」という考え方です。
 この評価規準をもとに、県内のほとんどの学校で、独自の規準づくりをしました。アンケートを取りますと、「授業研究に役立った」「子どもをよく見るようになった」などの声が寄せられました。
 「規準が少なすぎる」という声もありましたが、現場の先生方には、「これだけ指導すればいいと誤解しないでください」と申し上げました。この規準はあくまでも子どもを見るときに意識する内容です。とにかく、もう少し肩の力を抜いて指導していこう、そして、子どもの本当の姿を見つめていこうというのが、真のねらいです。
▲学びのストーリーを大切にした静岡県の評価基準表(中学2年生理科「動物の生活と種類」の例)。特徴は、(1)非常にスリム化し、目標の構造が見えるようにしたことと、(2)学習活動を10〜15時間の単元のまとまりでみていこうとしている点

陣川 福岡市教育委員会でも、国政研の評価規準を参考に独自の規準をつくりました。しかし学校現場では、評価に関する知識はほとんどないのが実情でした。そんな状態のなかで規準だけがあっても役に立ちません。静岡県とは反対に、「基準」を含めた非常に詳しい内容で、これさえあれば指導案がなくても授業ができるというものをつくりました。
 まず、学習指導要領から4観点を抜き出して単元と評価規準とのマトリックス表をつくり、大事にしたいものを示しました。そして、ぜひ実施してほしいものに二重丸、できたらしてほしいものに一重丸をつけました。小・中学校用でそれぞれ1,000ページ程度となり、実践段階では、それを修正しながら使ってくださいとお願いしました。
 同時に、一単元だけでもいいから、「目標分析」を本気で行ってほしいとお願いしました。つまり、単元全体の学習を毎時間ごとに、評価規準と基準、期待される子どもの姿で示してもらったのです。そして、基準のABCそれぞれの子どもの姿を想定し、その子たちを引き上げる手だても考えてもらいました。
目標を分析すれば、授業の流れや評価が見えてくる
村松 目標分析とは目標の構造をとらえることなんです。複雑な規準表のなかで、いちばん大切なのは何か、例えば十時間ぐらいの単元のなかで、これだけは身につけさせたいというのものをはっきりさせることです。

陣川 目標分析をすることで、具体的な授業の流れも見えてきますし、ここを評価すべきだということも、評価問題の姿も見えてくるし、どんな発問をしたらいいかもハッキリしてきます。
 なお、目標の構造は、子どもの実態や先生の指導方法によって変わります。荒れている学級に、どんな理想的な目標構造を当てはめても役に立ちませんから。

古川 評価規準づくりのファースト・ステージは、「初めに評価規準ありき」と、トップダウンで国政研や教科書会社のフレームが下りてきて、そこに自分の学校を当てはめるという流れだったと思います。
 しかし、それが去年の秋くらいから変わってきて、陣川先生がおっしゃるように、自分の学校の身の丈でつくってみる、子どもの様子を見てつくってみる、試行授業をしてみて使いやすいように修正してみるという自校化の段階に入ってきているように思います。

村松 規準がただ「ある」というだけでは意味がありません。実際活用する段階では、授業との関係で教師一人ひとりが自分で評価規準を持つことが大事です。
 しかしながら、中学校では、まだ「評価」と「評定」の区別がつかない先生が少なくありません。
 評価というと、「通知表をどうつけるか」の話になってしまいます。評価は、子どもの方向性を示していくもので、その子の学習の始まりになります。成績をどうつけたかということの前に、子どもをどう評価したかということが大切なんです。

古川 私は小・中学校両方の勤務経験があるので比較できるのですが、中学校の先生は、どうしても中間・期末テスト、高校入試の調査書といったまとめの評価=総括的評価を意識しがちです。日頃の授業をつくっていくには、授業をそのつど修正していく、形成的評価が大切ですが、そうした考えは薄いと思います。
 一方、小学校の先生は、子どものランクづけよりも日々の指導の改善のための評価を意識しています。そして、中学校の先生とは反対に、「評定化」に抵抗を感じます。
 それは、高校入試という選別のための評定の場に、臨んでいるかいないかの違いからくる考えのズレだと思います。
 ただ、小学校の先生方の問題は、「目標に準拠した評価は以前からやっています」という自負と誤解があることです。小学校の先生はこれまで、「見える学力」を中心に、「ここまで覚えた・わかった」ということで評価してきましたから、見えにくい学力(関心、思考)は評価しづらい。どちらかというと先生の経験と勘が頼りになっている。
 その点、中学校の先生は、初めてのことで絶対評価に戸惑っていますが、指導観を180度転換するような作業をしていて、頑張っているなあという感じがします。
少人数指導やTTを導入しても、スキルが伴わないと効果が薄い
古川 新教育課程に入ったばかりの昨年夏に、評価規準をどのように受けとめ、規準表づくりをどのようにしているかの全国調査をしました。その時点で、小学校の八割、中学校の九割が規準表を持っていることがわかりました。
 1990年代の「新しい学力観」のときは、当時の文部省が「評価規準表のサンプル」を示したにもかかわらず、十年間ほとんど広がりませんでした。
 今回はその反省を踏まえて、「授業に使う、授業に生きる評価規準」に、先生方が本気で取り組もうとされているのがわかります。
 私どもの地域ではまだ福岡市のように緻密なものをつくるという作業をしていませんが、そこを一度通過しなければならないと思っています。そのうえで、静岡県のような、余計なものはすべてそぎ落としたものをつくるといいと思います。
 梶田先生が「評価は10時間から15時間に1、2回でいい」(前コラム参照)とおっしゃっていますが、それを字面だけで受け取って、単元の緻密な計画を立てないと、一時間一時間の見通しが立たないことになります。

陣川 私もそれがいちばん怖いです。ですから、2001年3月に、指導主事を集めて、1時間、一単元分の評価規準表をつくってもらいました。3時間かかってようやくできた人もいれば、時間切れでできなかった人もいる。それくらい評価規準づくりは難しいということがわかったと思います。そのような研修を積み重ねたので、膨大な市独自の規準ができたわけです。
 問題なのは、授業に生かすためには、何をすればいいかです。

村松 目標と評価は一体のものですから、まず評価規準を的確につかむこと。同時に、授業のスキルアップをしていかないといけないと思います。少人数制を取り入れれば学力が上がるかというと、スキルが伴わないと、必ずしもそうはいかないわけです。

古川 確かに、TTや少人数指導など、指導方法が多様化したわりには教育技術が育っていなかった。だから、教師の指導力が落ちたと言われるし、学力低下の要因にもなっている。改めて、教師が一歩前に出て教えるという考えは大事だと思います。

陣川 「うちの学校の基礎・基本とは何か」をもう少し議論する必要があると思います。例えば「新聞が読めることをうちの学校の基礎・基本としよう」としていく。そこから出発していけば、先生たちが自分の学校・学年なりの基礎・基本が実感できるのではないでしょうか。
保護者が求めているのは「説明責任」ではなく「指導責任」
村松 最近、しきりに「説明責任」ということが言われていますが、説明することばかり意識しすぎても、保護者は必ずしも満足しないのではないでしょうか。
 ある保護者から、「あなたのお子さんは評価規準が○○に対して、この程度達成していて、だから4になります」と担任から言われて腹が立ったという話を聞きました。保護者が知りたいのは、「先生がうちの子をどう指導してくれたか」で、3や4の数ではない。説明責任より大事なのは、指導責任ではないでしょうか。

古川 医学雑誌で、「インフォームドコンセントが形骸化している」という記事を読みました。医者は「こんな治療法があり、これにはこんなリスクがある。どれを選びますか」と患者に説明することで責任を果たしたと思っているが、患者にしてみれば、「あなたのためには、リスクを伴うけれどもこんな治療法がいい」という相手の立場に立った対応がほしいわけです。教育の世界でも同じですよね。

陣川 そうです。評価規準は、形成テストに役立てばいいのでなく、授業のなかで生かされなくては意味がないのです。

古川 改めて評価規準を持つ目的を確認してみましょう。
1 、自分が教えたい基礎・基本が子どもに身についたかチェックするため。
2 、授業を振り返るため。
3 、カリキュラムの見直しをするため。
4 、教師の力量アップのため。
 簡単なようで難しい課題ですが、この4つの視点に、いつも目を向けていたいと思います。
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