記念特集 中学校教育のこれまでとこれから
壷内 明

つぼうち・あきら◎新潟大卒業、兵庫教育大大学院修了。東京都江戸川区立篠崎中学校教諭、東京都足立区教育委員会指導主事、 飾区立金町中学校校長などを経て、2006年度から現職(会長職は2008年度〜)。全日本中学校長会総務部長、東京都中学校長会長なども歴任。

VIEW21[中学版] ともに語る、考える。ベネッセの教育情報誌
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創刊300号記念特集 中学校教育のこれまでとこれから

【インタビュー】現場からみた中学校教育の移り変わり

中学校教育の不易は
「思い出づくり、夢づくり、人づくり」

全日本中学校長会会長/東京都港区立御成門中学校校長

壷内 明

時代の変化と共に、中学校における指導の内容や方法は大きく変わってきた。
しかし、さまざまな変化に柔軟に対応しながらも、教育現場には変わらず守り続けてきたものもある。
中学校教育の歴史を振り返りながら、これまでと変わらず教師に求められることは何かを、
全日本中学校長会の壷内明会長にうかがった。

ゼロからつくり上げてきた中学校教育

 日本が世界をリードする国にまで発展できたのは、小学校、中学校の義務教育が大きく貢献していると、私は思います。特に、中学校は義務教育の仕上げの段階として、戦後間もなくから高度経済成長期にかけては即戦力となる人材を社会に送り出し、高校・大学進学率の上昇と共に、前期中等教育として高校・大学へと進む子どもを育てる役割も果たしてきました。
 中学校教育は、戦後の学制改革の一環で、1947(昭和22)年にそれまでなかった新しい教育段階としてスタートしました。小学校や高校とは違い、引き継ぐ校舎も組織もありません。自治体・学校・保護者が一体となって、校地の獲得や校舎の建設、設備の整備のために東奔西走し、新しい中学校づくりに励んだと聞いています。
 13〜15歳の子どもに適した授業内容や指導方法を確立させていく努力は、並たいていのものではなかったでしょう。学習指導要領はありましたが、中学生に対する指導の蓄積はほとんどなかったからです。
 皆が一丸となってゼロから立ち上げた中学校教育は、日本の社会情勢や子どもの気質の変化に応じて、その指導内容や指導方法が大きく変わっていきました。
 最初の大きな変化は、高校への進学率が90%を超えた1974(昭和49)年前後ではないでしょうか。経済成長を遂げていく社会の変化に対応するように教育の重要性が高まり、かつてなら中学校卒業後は働いていた子どもも、勉強に力を入れて高校に進学するようになりました。
 教師も、子どもの意欲や社会の要望に応えるように、土日も関係なく子どもたちと過ごし、指導に励んでいたことと思います。教師は365日、学校で過ごしていたといっても過言でないほど忙しい日々でした。しかし、生徒と一緒に多くの時間を過ごしたからこそ、叱咤激励しながらの信頼関係が築かれていったのだと思います。
 このころ、一方では授業に遅れがちな子どもが続出しました。当時の授業時数・学習内容はそれまでで最も多く、当時「教育内容の現代化」といわれたほど中身が濃いものだったからです。各教科で新しい内容が盛り込まれ、「小学生3割、中学生5割、高校生7割」の子どもが授業についていけない状態だといわれるようになりました。教師の負担は増すばかりでしたが、生徒が「落ちこぼれ」にならないようにと、放課後の補習などを現在と変わらずよく行っていました。


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