ベネッセ教育総合研究所 ベネッセコーポレーション
目標・指導・評価の観点を踏まえた学校づくりをどう進めるか
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授業のスキルを磨きたい
古川先生古川先生 第6次教職員の改善計画でTTが導入されたとき、最初は「複数指導」と言われました。TTといえば、教師には「1つの教室に2人の先生がいる」というイメージに映るんですよね。しかし、少人数指導でもそうですが、TTとひと言でいっても、クラスの40人の子どもが同じ部屋の中でいくつかのグループに分かれる場合もあるし、別の教室にグルーピングする場合もあるのです。しかし、「生活集団とは違う学習集団をつくる」というTTの本来の指導の意味がとらえられなかったから、結局、T1は教室の前で指導する、T2は生徒の周りをうろうろするというようになったのです。
 それにいっそう拍車をかけたのが総合的学習です。グルーピングはしたけれど、教師のそれぞれの役割がはっきりしなかった。例えば地域の人をゲストで呼んだけど、プランニングの段階には呼んでないから、最後になって、ゲストティーチャーから「先生、始めから言うてくれたら、福祉施設のこんなとこでも子どもを活動させてあげたのに」と言われるようなことになってしまう。
 そういうことを避けるためにも、私は、実は、早稲田大学の浅田先生にご指導いただきながら、全国のTTの授業の実践例を集めて、グルーピングや教師の動きから56に分析し、「TTにおける56のスキル」というかたちでまとめたのです。
 陣川先生がおっしゃるように、この間、非常にスキルを軽視してきた。指導方法が非常に多様化したわりには、技術がともなってなかった。だから、この10年、教師の指導力が非常に落ちたと言われてますし、それが学力低下の一つの要因であったと思うし、そういう意味では、今回、改めて教師が一歩前へ出て教えていくことが大事かなと思います。
 ベネッセの学習指導基本調査で、評価規準表をつくることによって、8割程度が「基礎・基本の定着を先生方が意識するようになった」とか、あるいは7割ぐらいが「何をこの時間で教えるかということが見えるようになった」というのがありましたね。ただ、そのつど評価として、「指導の改善に生かしていく」が3割程度でしたから、そこのところではもう一歩です。
 ただ、前回、「新しい学力観」のときは評価規準をつくっただけで使われなかったんですが、その反省を踏まえて、「授業に使う、授業に生きる評価規準」が今回のキャッチフレーズになりました。みんながやっと授業に生かすことを意識し始めたなと思います。
 ただ、私自身がうまく整理しきれないのは、「授業をつくる目標分析」「教師の頭のトレーニングとしての授業の構造をつかむという目標分析」と、「学びの目当てを評価の視点から表にした評価規準表」をどう考えるのかです。お教えください。
村松先生 そのスキルの問題ですが、まず、少人数授業がありますよね。みなさんの地域ではいかがですか? 静岡では少人数制にスキルがともなっていないんですよ。つまり、少ない人数で教えることができれば、レベルアップするかというと、そうでもないんですよ。古川先生のおっしゃる「TTにしたときの56のスキル」がわかっていればいいんですが、技術がもう少し整わないと、実際には少人数授業で評価規準を使えるところまでいくのは難しいです。
 目標と評価規準のかかわりですが、目標分析または目標分類されたものと評価規準とは、ほとんど同じだと私は考えています。目標と評価は表裏一体だということですね。ただ、見方が違う。つまり、いろいろ分類されて出てきたその文章と評価規準そのものについてはほぼ同じであるという考え方です。
 授業のスキルをアップしていくこと、評価規準を的確につかむっていうことを、同時進行で進めていかないといけないと思います。
古川先生 私は目標分析表とは、いわゆる「授業構造図」と理解していています。一方、4観点の評価規準表をつくりますよね。それを、目標分析表ということで理解する人もあるし、評価規準表と理解する人もある…。どちらでしょう。
陣川先生 それは単元の評価規準表ということです。
村松先生 目標分類表ですね。
 先生は規準をつくらねば意味がないという考え方ですね。
陣川先生 分類表だと思う。
 2週間ぐらい前に参観した中学校の授業の実践例ですが、ここに目標分類表があるんです。理科の授業ですが、最初、私のところに持ってこられたときは20項目ぐらい並べて書いてありました。それで、「これを表にしてわかるようにしてくれないか。すると、あなたが何をしたいかわかるだろう」と提案して指導計画をつくってもらった。
 この単元は17時間分ですが、1回、2回、3回と評価し、そして最後の4回目はもう、教育活動のなかに評価が入っていました。その中で、「この評価のときにはこんな評価をしますよ。そのときの、A、Bはこれですよ」という一覧をつくってくれたんです。
 この段階では、グループを補充と発展の2つに分けていました。いよいよ授業を見せる段階になって、この先生が評価すると、補充も進化・発展もいくつにも分かれるということがわかったんですが、6つのグループに分けて、それぞれの学習の手引きができてきた。そして授業が始まるわけですね。
 子どもたちは40分間、実に一生懸命やっているんですね。先生は、補充のいちばん最初のグループのところに半分ぐらいそれとなくついていきます。面白かったのは、先生はほとんどつかなかったいちばん難しい発展グループに、1人しかいないグループと、2人のグループがあった。ところが、そのグループがいつの間にか、2人のところが5人になり、1人のところに4人ぐらいになっていた。子どもたちがいつの間にかグループを移動していたんです。
 私が、「きみはなぜ動いたの」ときいたら、「最初向こうの(補充の)グループにいたけど、こちらの話を聞いて面白かったから来たんだ」って言うんです。つまり、自分のグループのところが終わったらその次の段階に動いているのです。
 プリントがかなり用意してありますから、1が終わったら2、3、とやっていいわけですから、補充グループの3段階の子どもなどは、もうすぐ発展のほうに入って行けるわけですね。実際、自分で入ってくる。
 私は、「目標を自分できちんととらえきったから、そういう適切なプリントができたのだ」と言って帰ってきました。そのときに、「子どもたちが、分けられたことをどう思うか、そして、授業実践をどう思うか感想を書いて送ってくれ」とお願いしてきました。
 そのように、目標をきちっと先生がとらえて、それに応じた評価をしたら、子どもたちがやるべきちょっと上の段階を先生が提示できる。それこそ、先生の授業が一歩脱皮するときじゃないかなと思います。
 なお、そのなかでは、いくつか、机間巡視のしかた、子どもへの声のかけ方など、プリントの作り方など、技術的なことについて、計画をしておくべきだと思います。
古川先生 話が評価規準表づくりにいっているんですけれども、「そのつど評価」も大事で、机間巡視をしたとき、「なかなかいいね」「もう一歩進んだら」といった的確な励ましと、アドバイスができるような言葉を先生方がもっともっと磨いていかないといけないのでは? 次につながる言葉かけが下手な先生が多い。
陣川先生 そうですね、精神的な問いかけといいますが、高田中学校では授業を見せてもらったんですけれども、補充(基礎)のグループのほうにベテランの先生がついていました。発展グループは若い先生、あるクラスでは講師の先生が受け持ちました。すると、途中から補充のグループがぐうーんと伸びちゃうんですよ。それは、単に精神的な声をかけるからではなくて、どこがつまずきやすいかをわかっていて、的確に声をかける。
 先日小学校の先生と目標分析をしたんですが、その先生のおっしゃることには、「ここで子どもはつまずく」という場所があるんだそうですね。小学校3年生のときに押さえてないから、5年で引っかかるというのもある。「速さ」や「量」の学習のところですね。
「それを一般化して、福岡市の先生に全部流してほしい」と私は言ったのですが、そのように、先生たちみんな自分の経験上の宝を持っているんですよ。そういう宝をみんなに出していく機会を、もっとつくっていかないといけないなと思いました。
古川先生 昔、よく、われわれは誤答分析をやりましたね。
村松先生 マスタリーラーニングもやったし。
陣川先生 いま、それをもういっぺんやってみる必要があるだろうと思うんですよ。無駄な発問、先生の発言、それからノート指導…。ノート指導をしようと思って指導をしている先生がどれだけいるでしょうか。
古川先生 いま、指導の充実といえば、「また教師主導でやるのか」という誤解を受けます。家庭訪問にしても、「なぜ家庭訪問に行くんですか?」と言われる。いま教師が家庭訪問するのは、「お宅の子どもさんがこんな悪いことしました」といったときくらいです。私たちが担任をしているころは、40軒の家庭のうち20軒ぐらいは、いつでもビール飲みに行けるしご飯を食べに行けるような家があったし、泊まりに行ける家もあった。だから、クラスの子どもについてのネットワークもわかっていたし、親御さんのご苦労も一緒に聞けたし、あの子は何人兄弟で机の何番目だけを使っている。いちばん下の子は荒れてるやろうなとか、だから忘れ物をするやろうなとか、そういうことも全部イメージできた。いまの若い先生はそういうノウハウを持っていない。だいたい、40代半ばから30歳以下の先生方が非常に少ないから、私たちが持っていた教育技術や伝統をうまくバトンタッチできない。そういう意味では、陣川先生がおっしゃった、一つひとつの教師の行為は、吟味して引き継いでもらいたいなと思います。
陣川先生 教員採用試験では模擬授業をさせるんです。そして必ず、ひと言黒板に書かせる。だから板書の大事さはみんな知ってると思うんですが…。
 いまの採用担当者たちが現役の教師だった昭和40年代には、教育技術が盛んで、指導過程、発見学習があって、主体的学習があって…。国語の指導過程でも、7通りか8通りあったんですよ。われわれも若いときにはそんなことをした時期があったんですよ。これは教育マスコミが煽ったせいですが、おかげで勉強になったんです。
 いまは、「授業を充実しなさい」「指導を大事にしよう」とはいわれますが、「こんな板書はいいが、こんな板書はダメなんだ」と指摘する教材・資料がない。まだ小学校用はありますが、中学校用がない。
 いろいろなところで技術をアピールしてほしい。私はいま明治図書の『授業研究21』に連載をしているんですが、これからいよいよ「技術」に入るんです。指導と評価の一体化、そのなかでも、技術、いわゆる発問と評価との関係などを書こうと思っています。
村松先生 「評価とは何か」とどんどん問いつめていくと、実は、教師の発問だったりします。さっき陣川先生が子どもたちが補充グループと発展グループに自然に選択して分かれていった話をされました。おそらくそれは、その先生が子どもの実態を見て、クリアをしやすい、または難易度がちょうどいい、いくつかのコースを持っていたためです。それができるというのは、実は評価規準を持つことです。先生方はみんな、本当はそれができないといけないんです。
 それと、先生方がいちばんに気をつけないといけないのは、古川先生・陣川先生が説明してくれたように、評価規準が子どもにどうやれば生きるか、どうやれば授業に生きるかということです。
 それからあともう1つ、保護者への説明ばかり考え過ぎてはいけないということ。
 ある保護者が8月に評価の説明会を聞きに行ったそうです。すると、先生が、「あなたのお子さんは評価規準がこうで、達成はこうなっていて4になりますよ」って言われた。その保護者は「ああわかりました」と帰ってきたものの、怒っちゃった。なぜかというと、保護者は「先生はどういう指導をしてくれたか、うちの子どもの様子を聞きたい」からです。「私たちは子どもに3がつこうが2がつこうが、どうでもいいんです。先生がどのように指導してくれたか、それを少しでもいいから聞きたかった」と。「説明責任」という話がよく出るんですが、本当に大事なのは、その前の指導責任です。つまり、子どもを受けもった限りは、指導をする責任があるっていうことです。
古川先生 管理職からすれば、保護者への説明責任に教師がどう応えてくれるかなと気になるわけです。外との関係で言えば、村松先生が例にあげた先生のような言い方はよくあるんですよね。
 ただ、先日医学雑誌を読んでいたら、「インフォームドコンセントの形骸化」という記事がありました。お医者さんは、患者に、「こんな治療方法があります。そうするとこんな副作用が出ます。こんなハイリスクがあります…」と、ずっと説明したあげく、「あなたはどうされますか」と選択を迫る。患者の目を見て、「リスクが高いけれど、あなたのためにはこの治療方法がいいよ」とか、あるいは「リスクが少ないから、あなたのいまの状況からみたらこれがいいんじゃないですか」というような言い方はしてくれないと書かれていました。つまり、お医者さんはひと通りの説明はしてそれで責任を果たしたと思っているが、患者はまったく納得していない。私の身になってもっと考えてちょうだいと。
 それと同じようなことが教育の世界で起きる可能性があると思いました。だから、村松先生がいみじくもおっしゃったように、「あなたのお子さんについて、私たちはこんなふうに考えてこうしたけど、結果はこうなったから、次にこうしようと考えている」というように温かい目線で伝えないと、冷たい評価になってしまう…。
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