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特集 FDの再構築

【インタビュー】
教員と学生がそれぞれ責任を持ち
教育の質を維持・向上させるシステム

桜美林大学 副学長 諸星 裕 氏

 GPA(Grade Point Average)という言葉が大学改革のキーワードとして登場してから数年がたつ。アメリカの教育システムの中ではごく当たり前に運用されており、ノウハウの蓄積によって効果に関する評価も定まっている。日本ではいくつかの先行事例はあるものの、大学全般に普及しているとは言いがたい。GPAに対する正しい理解が十分でないことも一因と言えそうだ。ここでは、自身も同制度の下で教育を受け、アメリカの高等教育事情にも詳しい桜美林大学副学長・諸星裕氏の話をもとに、GPAの本来の意義と効果的な運用方法を考えてみたい。

■空登録をやめ確実な履修を

 「GPAは、学生と教員、両方に責任を持たせるための仕組みです」。諸星氏は制度の目的をこう説明する。「日本の大学には責任というものが決定的に欠けている。学生はもっと“個”としての生き方に責任を持つべきだし、教員の側は教育のプロとしてアカウンタビリティを持たなければならない」
 諸星氏は、1969年に国際基督教大学(ICU)を卒業している。同大学では、アメリカ式の教育システムを取り入れる中で開学時からGPAを導入しており、同氏も必死で勉強したという。卒業後はアメリカの大学院で博士号を取得。12年間ミネソタ州立セント・クラウド大学で教壇に立った経験もある。
 これらの経験から、「アメリカの大学ではGPAなしの教育システムは考えられない」という。これまで直接・間接に経験したノウハウをもとに、同氏が副学長を務める桜美林大学でも、2000年度に文学部でGPAを導入、01年度からは全学に拡大している。
 GPAの仕組みは、どの大学でもほぼ共通している。A、B、C、D、E(またはF)の5段階評価をそれぞれ4、3、2、1、0ポイントに換算し、各科目の単位数をかけ、履修科目分の総合計を出す。それを総単位数で割ったものがGPAとなる。
 ここで重要なのは、EまたはFの科目の単位数も平均の分母に算入されることである。不合格の科目が多ければGPAの数値が下がる。
 日本では、学生が多めに科目を登録しておいて、いくつかを意図的に落とすということがよくある。卒業時の成績証明書には不合格科目は記載されないため「空登録」が当たり前になっているが、GPAの下でこれをやると、大変なことになるわけだ。
 「GPAによって、一度登録した科目は責任を持って確実に履修するという意識を学生に植えつけられる」。桜美林大学での諸星氏の授業には多くの学生が登録する。しかし宿題等が厳しいため、回を追うごとに出席者は減っていき、学期末試験には再び学生が押し寄せて対応が大変なほどだという。同氏がかねて疑問を感じていたこの状況は、GPAを導入してからかなり改善されたそうだ。

図

■退学勧告のみが注目され誤解も

 日本においてGPAがクローズアップされたのは、1998年の大学審議会答申「21世紀の大学像と今後の改革方針について」で「厳格な成績評価」の一例として取り上げられてからのことだ。特に、GPAの最低基準に満たなかった学生への「退学勧告」という仕組みがセンセーショナルに報じられ話題になった。大学関係者の間には「GPAは学生を縛りつけるもの」「できない学生を切り捨てるための道具」という見方もあるようだ。
 これに対し諸星氏は「GPAは学生のためになるもの」と主張する。個人の能力や意欲に合わせた学習をするためのツールになる、という捉え方だ。アメリカのシステムでは、最低GPAの基準(大学によって異なるが、2.0が一般的)に満たなかった学生は、次の学期はプロベーション(保護観察)扱いになり、履修単位数が制限される。さらにその期間のGPAが基準に満たなければ次の学期には停学。成績が悪ければ卒業が先に延びたり、中退を余儀なくされる。
 逆に成績優秀でGPAが高い学生は次の学期に規定以上の単位履修が認められ、早期に卒業することも可能になる。
 つまり、学習能力が低かったりスポーツなど他にプライオリティがある学生や、経済的な問題からアルバイトと学業を両立させなければいけない学生は、自分のペースに合わせて履修することができる。優秀な学生は速く学習し、他の学生より早く社会に出るという選択が可能になる。「車の免許を取る際の進度に個人差があるのと同じことです」と諸星氏。
 制度の根底にあるルールは、「大学をプレーグラウンドにするのは許されない」(同氏)ということだ。学習する意欲がはなからなかったり、極端に能力が低い場合には、その大学に適合したマテリアルではないと判断し、退学させる方が学生のためにもなるし、大学にとっても人材などの資源を他のことにまわしてより有効に生かせる、と指摘する。「今後、多くの大学では、入学してくる学生の意欲や能力にますます幅が出てくる。その中で大学としての教育の質を担保するためにはGPAが有効に働くはずです」

■アドバイザー制とセットで運用

 大学審答申で肯定的に例示されたにもかかわらずGPAが普及しない理由の一つに、この制度がそれのみで捉えられていることがある。諸星氏も「単にGPAを導入しただけでは効果が上がらない。それを他の制度と組み合わせてどう運用するかがポイント」と指摘している。
 それに対する回答の一つとして桜美林大学では、「アドバイザー制度」を設けている。これもアメリカでは一般的で、GPAとセットで運用されている。教員1人が約15人の学生を担当し、アドバイザーとして科目履修登録の方法をはじめとする学習上のさまざまな相談にのる。
 アドバイザーは一人ひとりの学生の履修状況や成績をモニターし、適切な助言を与えるという職務を負う。相談のためのオフィスアワーが設けられ、学生はその時間内に研究室で面談を受ける。それ以外にもeメールで連絡をとるなど、教員はさまざまな方法で学生に対して親身なコミュニケーションを図る。
 アドバイザーが担当学生の学習状況や成績をチェックする際に用いるのがGPAだ。この資料にもとづいて次の学期の履修登録について助言したり、基準値に満たない場合には継続的に注意を与えたりする。アドバイザーを上手に利用することによって、GPAが生きてくる。
 大多数の大学には、どんな科目を取ったらいいかを相談できる窓口はない。教務課では履修登録方法や規則を聞くことはできるが、中身についてはわからない。カウンセリングセンターでは、学習の内容まで踏み込んだ相談は受け付けていない。
 「教員は通常、自分の専門分野や担当科目の中でしか学生を見ることができません。アドバイザーとして、学期ごとや在学期間中の学習、さらには卒業後の進路にまで踏み込んで学生へのトータルな教育を考えることは教員にとって大切なこと。人間として影響を与えられるようなアドバイザーが理想です」

■学生からアドバイザーへの相談の有無
図
*2000年春学期終了時点で文学部の教員を対象に調査

■教員のプロ化の武器に

 GPAやアドバイザー制度は、大学教員の意識を変える上で大きな意味を持つ。「教員はプロフェッショナルであるべきです。プロである以上、レベルの低い学生には教えられないという言い訳は通用しない」と諸星氏。GPAをうまく活用し、アドバイザーとして学生に真摯に向き合って対話・指導することがプロ化につながる。教員がプロに徹することによって、大学全体の教育の質が向上していくというのが同氏の考え方だ。
 GPAが客観的な基準となるためには、授業の中身や評価の方法を実質あるものにしなければならない。たとえばシラバスをきちんと作成し、授業計画や評価の方法を明示することが必要だ。GPAが授業に対する教員の自覚を促すことにもつながる。
 全学的な導入から数カ月しかたっていない桜美林大学では、GPAやアドバイザー制度に対する意識が教員に十分浸透しているとはいえないようだ。昨年の秋、文学部の教員と学生双方に実施されたアンケートでは、アドバイザーとしての面談回数は春学期間では1回が半分以上、平均で3・3回行われており平均の面談時間も5分までが半分以上を占めている。ほとんど履修登録時の相談で済んでしまっているのが現状のようだ。もちろん熱心に取り組んでいる教員もいるが、総じて「負担が大きい」という声が目立つという。
 しかし諸星氏は「教員には今後、自然に理念と重要性が伝わっていくはず」とみている。制度の運用について教員に強制的な指導や評価をする考えはない。教育の質の向上が目に見える形で表れ、社会的な評価を受けるようになってくれば、教員の意識も変わると期待する。
 桜美林大学のGPAでは、「学部間の壁を低くする」という大学としての理念を具体化する仕組みも取り入れている。他学部の授業を受けたいがGPAが下がるのが不安だという学生の心理に配慮して、これもアメリカのシステムを参考に「S/U」という成績評価を採用。「Satisfactory/Unsatisfactory」という合否二者択一ができ、Sのついた科目は卒業単位には算入されるがGPAの計算からは外される。「S/U」は専門科目ではなく主に他学部の科目履修に適用される。GPAにカウントされないため興味のある授業を気軽に履修でき、以前より他学部の科目の履修が盛んになったという。アドバイザーの側も他学部の科目について質問されることが増え「勉強」するため、従来の「蛸壺」的状態が改善される傾向にあるという。
 諸星氏は日本の大学が抱える問題点を「アマチュアによる経営がまかり通っている」と指摘する。GPAが普及しないのも「先を見越せるアドミニストレーター(行政職)がいないことが一因」とみている。日本の大学にまず必要とされているのは、GPA等を武器にして「責任ある教育システム」の実現を構想できるアドミニストレーターの養成なのかもしれない。


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