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特集 「規制改革」時代の幕開け

【寄稿】答申を読む

規制緩和と私大のあり方
〜教育研究についても説明責任を

日本私立大学連盟会長 早稲田大学総長 奥島孝康

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■奥島孝康 氏


■プロローグ

 答申は、「大学においては教育機関や教員が互いに質の高い教育を提供するよう競い合うことが、…我が国の教育全体の質的向上に特に強く結び付く」として、「大学や学部の設置に係る事前規制を緩和するとともに事後的チェック体制を整備するなど、一層競争的な環境を整備することを通じて、教育研究活動を活性化し、その質の向上を図っていくことが必要である」とする。
 私学関係者の立場からすれば、至極もっともなことであり、むしろ遅きに失したというべきであろう。以下では、今回示された規制緩和の具体的施策の主要なものを検討しながら、問題点の所在を探ってみたい。

■答申の大学関係提言の検討

 大学に関する規制緩和は、私大の観点からすれば、ほぼ(1)大学・学部の設置規制の準則主義化(2)アクレディテーションの導入(3)寄付金の扱いに係る競争的環境の整備の3点が注目される。
 第一に、設置規制の準則主義化であるが、いうまでもなく、準則主義とは株式会社設立の自由化の方式を意味するものである。しかし大学・学部の設置がそこまで徹底するわけではなさそうで、せいぜい参入規制の壁が低くなり、規制の一覧性が高められるくらいのことであろう。
 もっとも、大学設置制限区域を定める工業等制限法(昭和三十四年法一七号)による抑制的取り扱いを廃止すべきとする点では、大きな前進というべきであろう。
 昭和三十四年制定のこの法律は、首都圏の既成市街地における工業等制限を定めるものでありながら、実際には大学設置制限法としてしか機能しなかった法律であり、その実態と問題点に誰もが気づきながら、今日まで放置されてきたことは、関係者の不見識ないしは怠慢というべきものであろう。
 第二に、第三者による継続的な評価認証(アクレディテーション)制度の導入の問題点は、さしあたり評価認証機関をどうするかであろう。国立大学については、すでに「大学評価・学位授与機構」が存在するから、問題は、私立大学と公立大学をどうするかである。私立大学についていえば、既存の「大学基準協会」を評価認証機関として純化することが最も共感を得やすいと考えられるが、その際には、大幅に組織の強化を図らねばならないであろう。そのための資金をどうするかは頭の痛い問題であるが、この際政府が500億円程度出資すべきであろう。
 ここで考えておかなければならないことは、教員評価の問題である。現在、各大学では学生評価が徐々に導入されつつあるが、ピア・レビューなど第三者による教員評価をアクレディテーションの評価項目の一つとして取り入れることも考えられてよい。答申はこの点でもっと明快な方向性を出すべきである。
 第三に、寄付金の扱いに係る競争的環境の整備は国公私大のイコール・フッティングの立場から、ぜひとも推進してほしい点である。昨年暮れには、全私学連合は初めて「農協なみ」の運動を展開し、「受託研究の非課税化」に成功した。これは、全私学連合結成以来の快挙であり、「米百俵」の背景があったことも私学に多少なりとも幸いしたのかもしれない。
 周知のごとく、私大団体連合は、国公立大学との同一の競争条件を求めるイコール・フッティングの立場から、国庫による助成と税制上の減免措置とを要求して運動を続けているが、ここにきてようやく「競争的環境の整備」という観点からする各方面の理解が深まってきたように思える。
 加えて、答申は、「我が国の高等教育機関は、質の高い教育研究を推進するとともに、優れた人材を育成するという使命を果たすべきものであり、教育に対する公的支援全体を見直す中で、高等教育に対する公的支援の充実を図ることが必要である」としており、「こうして充実された公的支援は、決して国立大学というだけで配分されるようなものであってはならず、国公私を通じた競争的環境の中で切磋琢磨しながら発展していくことができるよう、競争的経費の拡充によってなされるべきである」として、資源を重点的、効率的に配分することが考えられている。
 しかし、この考え方は一見もっともなようであるが、イコール・フッティングという私学の立場からすると、施設・設備の整備・更新が遅れている私大に対しては、当分の間、基盤的経費についても十分配慮すべきであろう。

■規制緩和と私大のあり方

 答申を読むと、これまでの教育行政がいかにちぐはぐであったかを思い知らされるとともに、政治家の指導力の違いによって、かくも当たり前のことがスッパリと当たり前と言えるものかと今さらながら驚いている。
 一例を私立学校の数に求めてみよう。その割合は、2001年5月1日現在、大学で74.1%、高校で24.1%、中学校で6.1%、小学校で0.7%であるという。では、義務教育である小中学校において私学が少ないのは当然ということであろうか。
 もしもそうだとすれば、答申が「公立学校における学級崩壊が小学校低学年においてみられるなど、公立学校に対する信頼が揺らぎつつあるとの指摘もある」とやんわり述べている状況は、義務教育の責任を国や公共団体がしっかり果たしてこなかったことを意味するものではないのであろうか。では、私立小中学校の設立はどうであろうか。
 まことに皮肉な現象ではあるが、小学校設置基準はないに等しく、事実上の民民規制(私立学校による私立学校設置抑制)がむしろ官民規制よりも現状では厳しい。そこで答申は、かねてから「特色ある教育サービスを提供する私立学校」に対する国民の期待は大きいことから、小中高に対する都道府県知事の設置認可の要件の緩和とその明確化とによって、私立学校の参入を促進しようとしているのである。あまりにも遅きに失した感はあるが、ぜひ早急に実現してもらいたいものである。
 規制緩和がなかなか実現しなかったのは、大学の濫設が懸念されたことや、アクレディテーションのシステムが整備されていなかったこともその一因であるのかもしれないが、今となってみれば、規制が緩和されていれば、私大はもっとタフになり、厳しい競争環境の中で世界の大学と張り合う大学が少なくとも10校やそこらは生まれていたであろう。また、私立の小中学校が私立高校並みの割合に達していれば、荒れる小中学校の問題もこれほどまでにはならなかったと思われる。しかし、それは今となっては卵が先かニワトリが先かという問題に近く、今さら言ってみても始まらないであろう。
 問題はこの答申が実現した後の私大側の対応である。規制が緩和されると、競争的環境の中でどうサバイバルを図るかが十分検討されなければならず、棲み分けのために各私大がそのアイデンティティーを強めなければならないが、その場合でも、イコール・フッティングの立場から、国庫助成金と税制上の減免措置とを要求し続ける必要がある。
 もっとも、ここまでくると、私立大学は助成金の使途について十分開示し、財務の透明性を高めなければならないし、税制上の措置を要求するためには、私大の公共性を財務上にとどまらず、その教育研究の内容についてもアカウンタビリティ(説明責任)を負うことは当然である。この点では、私大といえども、開示義務と説明責任とを負っていると考えるべきであろう。

■エピローグ

 大学に関する規制緩和が少子高齢化という、私大にとって最も厳しい時期に実現しようとしていることは、そのこと自体は歓迎すべきことであるとはいえ、まことに皮肉なことだと言わねばならない。四年制大学だけでも、今年度は3割が定員割れとなっている。次年度はそれより増えるであろうことは確実である。そういう状況の中で、四年制大学はまだ増え続けている。
 あと知恵で、今さら言ってみても仕方がないが、こんなことなら、むしろ18歳人口の激増期であったころに設置規制を緩和していた方が競争上も余裕があってはるかによかったといいたくなる。少なくとも、そのころであれば、現在のごとき共食いではなく、競争のメリットを享受できたのではないかと思われるからである。
 ともかく、この答申の規制緩和が実現したときに、日本の大学はやっと「もはや戦後ではない」という時代を迎えることができるのであろうか。


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