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はじめに
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神戸大学の経営学部で私が毎年行っている「経営管理」の講義（全13回）の中で、個人と組織のかかわり方について、また、キャリアをデザインするという発想について、触れる機会が2回ある。試験を採点しながら、書かれている感想を見ると、この講義を通じて会社のことを組織論、管理論的に知り、自分なりに考えるのに役立ったという声と相まって、この2回のセッションが、自分の就職活動を考えるのに役立ったという意見が多い（「経営管理」で取り上げているトピックの全体像を概観されたい方は、割と手軽な小さい本なので、私の著書『経営組織』日経文庫、を参考にされたい）。
私がそこで触れていることといえば、個人の組織に対するコミットメント、個人と組織の間の心理的契約、節目だけはデザインすればいいという観点からのキャリア・
デザイン論、採用におけるリアリズムという発想の4点だ。ここではこれらについて簡単に触れて、読者の皆さんが学生のキャリア支援をする上で何をすべきか考えるための材料を提供したい。
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個人の組織に対するコミットメント
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会社人間の時代はもう終わったという人もいる。会社に魂まで売るような生き方は確かに良くない。しかし、自分が勤めている会社が好きだ、わが社の事業には社会的な意味があるとか、商品が自分でも欲しいものだ、という感覚は、時代が変わっても完全に古臭くなったりはしないだろう。
経営学では、個人の組織へのコミットメントという言葉で、（1）組織への愛着（2）この組織以外に自分が移る可能性（3）勤め上げることが美徳と思われている度合い――の三つに注目することが多い。これらはそれぞれ「感情的コミットメント」「存続コミットメント」「規範的コミットメント」と呼ばれる。
まず、自分が勤めている会社が好きだという素直な気持ちが（1）で、例えば、電車の中でわが社の悪口を言う人がいたらちょっと腹が立つという人は、その感情こそが組織への愛着の証明だ。
もうこの会社で20年も勤め、社風や仕事のやり方にすっかり染まってしまったし、これからほかの会社に移るのも面倒なのでこの会社にいるというのが（2）の意味のコミットメントだ。これはやや後ろ向きだ。ここでしか働けなくなっている自分に気付く。もちろん学生が会社に入ってすぐにそうなるわけはない。しかし、その会社に入ってどのような普遍的なスキルが身に付きそうか、考えてみることは大事だ。例えば、P＆Gでブランド・マネジャーまで務めた人なら、ほかの会社でもマーケティングの仕事ができるだろう。ややこしいことに、P＆Gは好きだけど、よそに移ろうと思えば移れるという人もいる。この場合、この人の組織へのコミットメントは、愛着では高いが、この組織にとらわれているという意味でのコミットメントは低い。実は、他社でも務まるくらいの人の方が雇用調整の対象となることは少ないので、こういうタイプの人はいい立場にいる。
これまでは、例えば「天下の松下に入ったら、よほどのことがない限り途中で辞めないもんだよ」と、上司、同僚だけではなく、配偶者や親戚、果てはご近所さんにまで言われていたら、その人は（3）の意味でのコミットメントにはまっていることになる。
コミットメントには、かかわり合いやこだわりという無色な邦訳があるが、思い切って意訳すれば、そこには二面があり、積極的に関与し打ち込むという意味合いと、しがらみという消極的意味合いがある。（1）は積極的で、（2）と（3）はやや消極的だ。私は、（1）の意味での愛社精神はやはり完全に古臭くなることはないのではないかと思っている。
今、大きな誤解があって、同じ組織に長くい続けないとこの種の感情的コミットメントは生まれないと思ってしまう傾向があるが、実際には、数年しかいなくても愛着をいっぱい感じられる組織というものはある。例えば、われわれは大学で4年、大学院（修士課程）では2年しか過ごさないが、その年数の短さの割にはけっこう愛校心を持っている人がいるものだ。また、ソニーのように辞めた人にも優しい組織があるし、同時に、辞めた人がもといた会社に愛着を持ち続けるケースもある。
学生には、恋人との関係や（まだ想像するだけになるが）結婚を考えてもらえば、分かってもらいやすい。「お前のことが好きだ」というのが（1）のコミットメントで、「もうほかの恋人（配偶者）を探すのは、今さら面倒だ」というのが（2）のコミットメントで、「これだけ付き合ったら（あるいは、いったん結婚したら）、よほど不都合がない限り別れずにずっと一緒にいるものでしょう」というのが（3）だ。1年しか付き合わなかったけれど
the love for my lifeとなる愛着もあれば、10年付き合っても愛着がなくぱっと別れることもある。
就職にも相性というものがあるので、入る前から好きになれそうもないと思ったら、学生がその組織に決めるのは難しい。しかしほかがなければ、やや不本意ながら好きでもない業種や会社を選ぶ人もいる。そうしてしまう前に、中堅やベンチャー系の会社ならまだ採用活動が続いていることもあるので、学生にはしっかりリサーチをしてほしい。
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個人と組織の間の心理的契約
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中年のおじさんたちに、就職活動のときに雇用契約書にサインした覚えがありますか、と聞いてみると、あまり手が上がらない。思い出せないという人もいる。手は上げたものの、内定の受諾書だったかもしれないという人も多い。就職というのは人生全体の中でも大きな節目なのに、面白いことだと思う。
もともと日本は米国のように、法律でがんじがらめの国ではないからという意見もあるだろう。しかし米国のような法律社会でも、雇用契約は法律的な契約と考えるよりも、個人と組織の間の心理的な契約（いわば約束や期待）だと考えた方がいいという見解が、経営学の中にある。なぜ、雇用は心理的な契約にならざるをえないのだろうか。
まず第一に、契約としては相当複雑な条件付き契約になるためだという理由がある。われわれは、フェリーボートでどこかの島に行くときに、運輸約款をあまり読んだりしないだろう。しかし、そこには沈んだ場合などいろんな条件に依存した運輸上の約束が書かれている。本当はフェリーを利用する際に知っておくべきだが、それを注意深く読む人はいない。保険の約款も同じだ。加入の前にいろんな条件を吟味するが、いざ入るときに約款を端から端まで読む人はまれだ。
雇用契約に話を戻すと、4、5年で辞めることになる人の場合でさえ、雇用している間に期待されていることをすべての条件を尽くして記述することは非常に難しい。もしそれが可能だとしても、20年、30年も勤め、さらには定年までその会社にい続ける人もいるのだから、雇用契約は、条件付き契約としては電話帳のように分厚いものになってしまうだろう。そうなると、個人の限られた情報処理能力ではとても読めたものではないという問題点がある。これが第二の点だ。
第三に、ある時点でしっかりとした契約文書を作成したとしても、環境は変わる。とりわけ長期にわたって雇用するつもりで採用している正社員にとっては、期間が長いだけに何が起こるか分からない。
米国でも、雇用保障をずっと行ってきたIBMなどで、1980年代にホワイトカラーの大規模な雇用調整があった。彼らはずっといるつもりで入社したわけだから、「突然そんなことを言われても心理的契約に反している」と思ったとしても、それは大いにありえることだ。同じく米国のヒューレットパッカード社（HP）では、雇用はもう保障できないと分かったとき、組織の成員に会社として何ができるか真剣に考えた末、キャリア自律ができた人になってもらうのがいいということで、そのための支援策を打ち出した。日本HPにもキャリア・センターがあり、自律的なキャリアが歩める個人に近づけるよう支援している（米国では、キャリア自律という考えそのものがHPの中で当たり前になったので、キャリア自律の研修はもう行っていないそうだ）。
個人と組織のかかわり合いが心理的契約ならば、それは文書には示されない。長年の期待や暗黙の約束事だ。だから氷山の例えで言うと、普通は大部分が水の下に隠れている。水面上には、初任給がいくらとか、総合職と一般職があります、というようなことしか見えていない。何がフェア（公正）なのか、業績をどのようにとらえるのか、どのような人に報いているのか、詳しいところはよく分からず、水面下にあるのが通常だ。
しかし変革期には、水面下に隠れている部分がしばしば水上に姿を現す。例えば、中高年の人に「出社に及ばず」という言葉がかけられたり、処遇でも成果主義が導入されるということになると、普段は水面から出して議論されなかったことも白日のもとにさらされる。
今は変革期で大変な時代だけれど、20年も勤めてからそういうみじめな状態に追い込まれるよりも、変革期に就職活動していることをポジティブにとらえ、将来振り返ってみたときに、あのような時代に会社選びをしたことがかえって良かったのだと思えるように、頑張ってほしい。私は学生に対してそのように願っている。バブル時代の就職活動は楽ではあったが、あまり考えずに仕事の世界に入ってしまう人も多かったのではないか。そうならないよう、よくリサーチして、就職活動からさまざまなことを学んだ上で、いいスタートを切ってほしい。
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節目のキャリア・デザイン
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これからの時代は、長い仕事生活をどのように過ごすかということを、他人任せ、組織任せにするわけにはいかない。自分で自分のキャリアを切り拓くという発想が大事になってきたと私は認識している。
しかし20代の初めに、これから30年も40年も働くことになる自分のキャリアの全貌をデザインすることなど不可能だ。ほとんど人生とオーバーラップするようなキャリアの全体を計画することなどできないし、それは不遜な発想だ。学生の場合せいぜい、これから入る会社を選ぶという程度だし、就職してからは、会社の中でネクスト・ジョブをデザインすることぐらいしかできない。転職してセカンド・キャリアを歩む人でも、デザインできるのは次の一歩ぐらいだ。10年、20年分のデザインはできない。
しかし、就職や強く希望しての異動、さらには転職のような節目だけは、しっかりデザインしてほしいと思う。節目というのは、定義にもよるが、そうたくさんあるわけではない。例えば、キャリアの節目と一部、人生の節目を合わせて並べて見ると、就職、結婚、第一子の誕生、最初の管理職、中年の節目、大きな異動、海外勤務、病気、転職、出向や転籍、退職など、数えるほどだ。
就職というのは、この数少ないキャリアの節目の最初のものだ。私は、学生から社会人になる節目というのは、非常に大きな節目だと思っている。学生が、就職活動はけっこう大変だなぁとは思っていても、これを数少ない節目の一つだと思っていなかったら問題だから、そのことをしっかり伝えるようにしている。（1）何が得意か（2）何をやりたいのか（3）何に意味や価値を感じるのか――これらの問いを探求することが、キャリアについて考えることにほかならない。転職のときやその先の節目でもこれらの問いがまた浮上してくるが、就職活動とは、これらの問いを自問する最初の大きな経験だ。
同じ時期に同じ学年の人たちが一斉に動きだすので、キャリア全体の中で、パーソナルにも非常に重要な節目だということを忘れないように指導したい。しかし、いつも節目であるわけではないので、「節目だけデザインすれば、あとは流れに身を任せるのも、努力している限りOKだ」というメッセージも合わせて放つようにしている。このときの私の「経営管理」の講義で勇気づけられたという学生の声は、けっこう多い。
「節目だけはキャリア・デザイン」というこの「だけは」という言葉が、一方で節目での緊張感を与えながら、他方で、いつもではないのだという安堵感も醸成しているようだ。ここらのメッセージについて、学生としっかり議論してみたいと思われる方は、私自身がキャリア・デザインについて書いた書籍（『働くひとのためのキャリア・デザイン』PHP新書）の中にたくさんのエクササイズを載せているので、そのうちのいくつかを学生たちと共に議論してみてほしい。就職活動について学生の相談に乗っている、大学の「就職課」「キャリア開発センター」など就職担当部署の職員の方々、また大学改革という組織変革の時代の中で自分のキャリアも気になるという他部署の職員や教員も、彼らと一緒にエクササイズをすれば、ご自分にも洞察があると期待したい。
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採用時のリアリズム
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バブルの時代や労働力不足の時代には、多くの企業が、ゴージャスな個室の寮やいかにもかっこよさそうな仕事というイメージをアピールし、それによって人を引き寄せる採用関連ツールを作っていた。今や時代が厳しく、しかも買い手市場なので、こうしたイメージ戦略やツールは減ったと思う。
しかし、会社案内などで本当に大事なことを学生にきちんと知らせているかというと、今でもちょっと怪しい。確かに、日本の代表的企業が会社案内で嘘をつくことはまずない（神戸大学大学院経営学研究科の社会人MBAの学生に自社の会社案内をチェックしてもらったところ、これまでに嘘が見つかった例は皆無だ）。しかし、大事なことが書かれていないということはよくある。また、イメージ的に知的で洗練された分野の仕事や、エンターテインメント的に学生に人気がありそうな仕事がフィーチャーされがちだ。
例えば、証券会社の会社案内に、東大の応用数学を出てMIT（マサチューセッツ工科大学）のMBAを取った社員が、ニューヨークの現地法人で金融ハイテク商品の開発をしている、というケースが写真入りで掲載されていたりする。もちろんそれに嘘はないだろう。しかし、支店の現場で変動商品を営業している実際の苦労は描かれない。また、電鉄会社のパンフレットを見れば、地味な本業の鉄道における仕事の記述は少なく、レジャー系、街づくり系がきらびやかに紙面を飾っている。
私は、このような時代だからこそ、よけいに採用ツールはリアリズムに徹した方がいいと、会社の採用担当の人たちの会合をはじめ、あらゆる機会に声を大にして言っている。しかし、なかなか変わらない（いくつかの例外が三菱電機、野村総研、資生堂、ワールド等々で見られるものの、多数の会社はまだまだだ）。その背後には、より多くの学生を引き付けてその中から選びたいという発想があるのだろう（イメージだけ良くして大勢の学生が応募しても、勘違いした人からの応募が増えるだけなのだが）。
個の尊重ということを本当に考え始めている会社なら、学生の側にしっかり自己選択してもらうためにも、もう少し会社のありのままの姿を伝えてほしいと思う。私は学生に、野村総研などのリアリズムに徹した会社案内の見本を見せながらも、「このような会社はまだまだ少ないので、就職活動におけるリサーチや実際の面接のときには、パンフレットには書かれていない会社のリアルな姿を重視してほしい」と強調している。特に、クラブやサークル、ゼミなどの先輩は、たとえOBリクルーターとして大学を訪ねることはなくても、リアルな情報を聞き出せる貴重な存在だ。だから先輩たちには「本当のところ、どうなんですか」と、一見ネガティブなことについてもしっかりと議論を挑んでみてほしいと思う。
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講義以外での議論の機会を
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すべての大学の「経営管理論」や「組織論」の講義で、私のように、教員がたとえ1、2回でもキャリアについて触れているとは限らない。また、経営学部の教員がそれをやっていても、工学部や理学部、文学部、法学部の学生が経営学の科目を履修するとは限らない。講義でキャリアについて考えさせる機会を保証できない場合、就職活動をする学生の支援については、大学にいる全ての大人の問題として考えないといけない。
教員の中でも学生部長や就職部長はもちろんのこと、事務系の就職部長を有する私学の場合にはそのポジションの人、さらに大学によっては就職部（課）から「キャリア開発センター」など装いを新たにした部署の職員も、キャリアについて読み物をして、学生と議論をしてみてほしい。文科系の学部でゼミ制度があるところなら、年間30回のゼミのうち2、3回をキャリア発達とキャリア選択をテーマとして取り上げることも可能だろう。工学部でも、研究室の先輩を呼んでその研究テーマを修めるとどのような産業でどんな仕事ができるのか、話を聞く機会を設けることができるだろう。
私自身は、神戸大学で全学向けのキャリア支援のワークショップを設けたことはない（研究室に相談にくる学生はいる）が、キャリア・センターのような新しい試みを模索している他の大学で、1度講演をさせていただいたことがあり、その時の講演記録（「経済学会学術講演会 大学から社会に出るときにキャリアについて考えるべきこと」『九州国際大学経営経済論集』第8巻第3号、2002年3月、31－94頁）がある。学生のキャリア支援をしてやれることが、われわれ大人にとっても、自分のさらなるキャリア発達に役立つと私は思っている。だから、そうした取り組みを大事にしていただきたい。
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神戸大学大学院経営学研究科教授