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自由貿易という観点から見た「教育」
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――WTO（The World Trade Organization＝世界貿易機関）の加盟国の間では、「高等教育」はサービス業であり、国家間で障壁なく自由に行き来すべきものである、と考えられていますね。
佐藤 その通りです。WTOはGATT（ガット）を前身に1995年から活動を開始した、国家間貿易についての世界的なルールを扱う唯一の国際機関です。WTOでは、設立の時点から、「教育」も自由貿易で扱うサービス業の一つとして明記していました。これまでサービス業の分野では「電気通信」が交渉事としての焦点で、「教育」はその陰に隠れていたわけですが、去年あたりから、アメリカやオーストラリアが、「教育」の自由化について強い要求をしてくるようになったのです。日本はWTO加盟国ですから、この要求に対して無関心でいるわけにはいきません。
――具体的にはどんなことが求められているのですか？
佐藤 教育サービスを四つの段階で考えると、モード1はサービスが国境を越えること。これはインターネットで授業が配信されることをイメージしていただければいいと思います。モード2はサービスを受ける人が国境を越えること。これは従来の留学に当たります。モード3はサービスを行う機関が国境を越えること、例えばアメリカの大学の分校が日本で開校するのはこれに当たります。最後に、モード4は教師が国境を越えること。語学学校では外国人教師はすでにポピュラーな存在です。WTOでは、この四つのモードすべてにおいて、自由化を求めてきているわけです。
日本では、モード2、4についてはほとんど制限がないといっていいでしょう。3についても日本のルールに従ってもらえれば、外国資本であろうと何であろうとかまわないという方針で、これまでも受け入れてきています。問題はモード1で、これについては規制のしようがないのです。
――いわゆるeラーニングですね。確かにインターネットを使った授業は、講師や受講生が教室に集まる従来型の教育方法とは一線を画するシステムで、時間と場所の制約がなく、個人の習熟度に応じた対話型授業も可能になるという特徴を持っています。これまでにない授業形態ということで、最近、注目されていますね。
佐藤 現在のところ、日本で外国の高等教育機関の授業を受けるには「言葉」が障壁となっていますが、その問題も翻訳ソフトが発展すれば近いうちに取り除かれるでしょう。そうなったとき、日本の高等教育機関は国際的な競争にさらされるわけで、それは幕末に黒船がやってきたのと同じくらいのインパクトになるのではと、私はことあるごとに警告しています。
一つの象徴的な出来事を紹介しましょう。去年の6月に東京でOECD（経済協力開発機構）ジャパン・セミナーという会議があったのですが、主要テーマが「eラーニングについて」でした。その席で、アメリカから参加した商務省の顧問の方が、声高に「自由貿易の原則を教育分野に徹底すべきだ」と発言していました。日本の出席者は、正直言って自由貿易の視点で教育を考えるということ自体、あまり馴染みがなかった。さして意識していなかったと言ってもいい。しかし、この発言で初めてeラーニングが日本の教育界を揺るがす脅威になるかもしれないということを認識したのです。
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求められる学問の「質」の保障
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――教育の自由化は国際的に必然の流れなのでしょうか。
佐藤 ヨーロッパではすでにEU加盟国同士で学生が自由に行き来できるようになっていて、それを世界的規模で浸透させたいというプランはあります。しかし、一方で、この流れに懐疑的な人たちも多いのです。それぞれの国にそれぞれの文化背景や事情があるわけですから、ほかの商品と同じような考え方で国の基礎となる「教育」を論じるべきではないと。実際、WTOでも、自由化が求められるのは「高等教育」「生涯学習」の分野であって、「初等教育」はその国に任せるべきというスタンスです。おもしろいのは、「教育」の自由化の推進役であるはずのアメリカの大学団体が、ヨーロッパと同じように「教育の自由化に反対する」と表明したことです。もっとも、その理由はヨーロッパとは違っていて、すでにアメリカの大学はじゅうぶん自由化されており、海外にも進出している。いまさら政府間交渉などされたら、かえって自由な交流が制限されるおそれがあると考えているからです。そういうことは民間に任せてほしいという意識が強いわけです。
――それに対し、日本政府はどういうスタンスなのですか？
佐藤 日本政府は今年の春に、WTOの理事会に「高等教育においても自由貿易の原則は守られなければならない。しかし、現状ではこの分野に関して消費者保護の立場からの規制がない。それを守るための手段として、各大学についての情報を、世界で共有しようではないか」という提案を出しました。この提案は、各国に非常に関心を持って受け止められたようです。例えばユネスコは、この案を受けてこの秋、高等教育に関するグローバル・フォーラムのなかで、学問の「質」の保障について、ユネスコとして何ができるかを検討しました。
――学問の「質」は大学間でそんなに異なるものなのでしょうか。
佐藤 それはもう、玉石混交といっていいでしょう。「質」の低い大学はいずれ淘汰されていくのは間違いありませんが、その過渡期にはやはり、消費者側の判断材料として、何らかの評価機関による基準が必要です。評価には二つの方針があって、一つは最低基準を設け、それを突破しているかどうかで判断するという方式、もう一つはランキング方式です。しかし、ランキングをするとなると難しい点が多いので、評価認定の基準としては前者の方が実現の可能性は高いでしょう。といっても、現実は世界の大学の情報すら共有されていない段階なので、まずはそちらが先ですね。
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eラーニングをツールとして活用する
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――eラーニングがさまざまな可能性を持ったツールであることは、日本の大学関係者にも理解されていると思います。導入にあたり、どんな点に気をつければいいのでしょうか。
佐藤 eラーニングでしかできないことと、それを使えば効果的にできることと、eラーニングではできないことがあります。それを区別して議論を深めていく必要があると思います。
――アメリカの大学では通信教育が盛んですが、ペイできているところは少ないと聞いています。ですから、日本がeラーニングで海外の学生を視野に入れるのは時期尚早と考える人もいます。
佐藤 それは甘い考えではないでしょうか。あと10年もすれば言葉の壁なんてなくなります。そのときになって、いきなり始めようとしても遅すぎる。今から始めてノウハウを蓄積していかなければ、国際的な競争にさらされたとき、勝負にならないと思いますよ。
逆にいえば、日本からも、積極的に外国の大学に対して勝負を挑める時代になったということです。根本は大学で学べる内容を充実させることですが、それを広く世界にPRし、世界中から学生を集めるために、ITは非常に有効なツールになります。ITで情報公開を進め、学生を日本に呼ぶことと、ITを使った授業を展開し、日本の大学の授業を世界中のどこにいても受講できるようにすること、その二つを両輪として考えていくべきでしょう。これは日本の大学にとって大きなチャンスと考えてほしいのです。
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日本の大学も世界進出を視野に
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――そうはいっても、eラーニングの活用では、日本はほかの先進国と比べてかなり遅れているように思われます。
佐藤 そんなことはありません。例えば放送大学は世界にも誇れる充実した内容を持っています。翻訳するなどして垣根をより低くすれば、外国の需要も大きいはずで、そうした良質なコンテンツを日本は持っているわけです。
――それではなぜ、日本には海外から留学生があまり来ないのでしょうか。
佐藤 日本の大学が海外の学生に知られていないということが大きいと思います。確かに日本は地理的に不便な位置にあり、腰を据えて留学するにはかなりの心構えが必要です。しかし、日本の留学制度は充実しているのに、その情報が学生に伝わっていないのは、やはり問題でしょう。大学の中身についていえば、日本の学生にさえ、あまり見えてこない。これでは海外の学生に興味を持ってもらえるはずがないと思いませんか？ そのあたりを各大学に真剣に検討していただきたいと思っています。くどいようですが、ITの活用はそのためにこそ利用価値があるのですから。
―日本の大学が欧米の学生にeラーニングで評価を得るのはまだ難しいように思われます。
佐藤 先進国同士の競争という面もありますが、発展途上にある国々への高等教育の普及にも、eラーニングの需要は大きいと考えています。アメリカやオーストラリアが熱心なのも、むしろそちらのほうなんですよ。中国やインド、ブラジルなどには巨大な高等教育の「市場」があるわけで、対象になる国にとっても、現地で大学を作り教員を養成するよりは、はるかに安く、短期間で高等教育を受ける環境を整備することができる。進出する側にもされる側にもメリットがあるのです。日本は欧米諸国に比べ、地理的にも心理的にもこれらの国々に近いわけで、欧米よりもむしろ、アジア諸国の学生に向かってインフォメーションを届けていくのがいいのではないでしょうか。
――eラーニングの活用にあたって、諸外国から日本の大学が学ぶべき点はどんなところでしょうか。
佐藤 例えば、アメリカの大学は「教育システム」については非常に優れたノウハウを持っています。日本はこの点が遅れていて、大いに学ぶべきだと思います。日本の大学は伝統的に「研究」のための機関として機能してきた歴史があり、その点では世界的にみても何ら遜色はないと思います。しかしながら、「高等教育」の場としての機能を充実させてこなかったのは事実です。ご存じのように学生の絶対数が減り、一方で大学が「生涯学習」の場としても開放されてファンクションが多様化するなかで、「研究」だけに力を注いでいては、次の世代に生き残ることは不可能です。そのことを各大学に認識していただきたいのです。そして、いままで以上に「教育」の充実に、大いに力をそそいでほしいですね。
――eラーニングというバスに乗り遅れるなということでしょうか。
佐藤 いいえ、必ずしもそういうことではありません。みんながやっているからうちも、という発想ではなく、eラーニングを導入する上での自校の強みや特徴をよく分析して、eラーニングにおいても各大学の独自性を提示してほしいと思っています。
例えば、現在の学生の気質を考慮すると、大学の教員に質問があった場合、直接会って話をするよりも、インターネットを通じてのほうが質問しやすい、という声を聞くことがあります。また、学生同士のネットワークの構築にも、ネットはすでに広く利用されています。「顔が見える授業」の効果を生かしつつ、eラーニングをうまく利用できるといいと思います。
――導入する際、ほかに注意点はありますか？
佐藤 eラーニングはお金がかからない、とお考えになる方がいますが、これはどうかと思います。いつでも気軽に質問できる、パーソナルな形で授業を受けることができる、というインターネットの特性を生かした高水準の授業を維持するには、多くの専門スタッフが必要になります。人件費はこれまで以上にかかると考えていいでしょう。
それから、通信教育の単位にどこまで他大学との互換性を認めるかも、重要な問題です。大学で学生に対してきちんとしたカリキュラム・ガイドをしなければ、「学校」としての存在価値はなくなってしまいますから。単位互換の上限をどのくらいにするか、どのように系統だてて単位を修得させ、学位と認定するかを、大学は考えなくてはなりません。
――eラーニングの導入にあたって乗り越えるべき課題は多いようですね。
佐藤 繰り返しになりますが、eラーニングはそれを受けた側（＝消費者）にどんな成果があったかで評価されるべきツールです。その成果を消費者一人ひとりが情報として公開することで、大学についての評価がおのずと定まってくる。インターネットは情報公開のツールとしても絶大な威力を発揮しますから、ある意味で、大学にとっては諸刃の剣ともいえる存在になるでしょう。しかし、質の高い授業や研究を提供できる大学が残り、そうでないところが淘汰されるのは、厳しいようですが、これからの時代においては当たり前のことです。eラーニングを起爆剤として、広く世界を意識した高度な授業をサービスしてほしい。それが日本の大学全体のボトムアップにつながると考えます。
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日本学術振興会理事長（元文部事務次官）