Between 2002.12
特集 eラーニングと変わる通信教育

【視点】 eラーニングが大学教育にもたらす三つのインパクト

 

(株)進研アド IT企画部チーフディレクター 川目 俊哉

 


eラーニング普及には教育そのものの革新性が必要

 eラーニングという言葉は、「時間と空間を超えた教育の提供」という次世代型の教育像を描きながらも、現実側でのキャッチアップはもう一息のように思われる。現在、eラーニングが盛んに活用されているのは企業研修の場面である。あらゆる場面で効率化が至上命題となる企業にとって、eラーニングはそれまでの集合研修に代わって、この命題に応える新しい教育の方法として期待され、そのように設計されて広がっていった。
 多くの場合、人に業務が付くのではなく、業務に人が付くという企業的な考え方のもとでは、各職位に必要とされる業務の知識、技術は前もって定義が可能であり、それゆえに標準化された教育パッケージを想定することが容易である。また、国内外に広がった拠点の従業員に対して、移動を伴うことなく教育を行うことができれば、大きなコスト削減に直結することになる。これはおそらくもっともイメージしやすいeラーニングの一つの姿であろう。
 翻って、大学教育はどうであろうか。先進的、実験的な個別の取り組みもいくつか見られるが、一般的にはCDーROM等を利用したコンピュータスキルなどの資格取得を目的とした講座の展開にとどまっているのが現状だ。現段階では、eラーニングの普及とコンテンツの標準化は密接な関係にあるといえる。企業の研修のように標準化が容易なものについては、そのことが大きな推進力になるが、大学の正課授業等の場合、教育内容の標準化は難しくなり、そのことがeラーニングの普及を妨げる要因ともなっている。合わせて、この背景には標準化することでコストが削減できなければ、eラーニングを展開するメリットがないという、暗黙の了解も働いている。だからこそ、eラーニングを導入することで、さまざまなコストを削減できる企業と比べて、大学では普及スピードが遅いのかもしれない。
 また、時間と空間の制約排除についても、大学は社会人という新たなマーケットの開拓においてeラーニングの果たす役割が大きいという認識に立ちながらも、社会人学生は定員規模の少ない専門職大学院での募集が中心となることもあって、投資対効果のものさしが当てはめにくくなっているという現実もある。
 これらの点を逆の視点からとらえ直すと、大学でのeラーニング普及には、コスト基準を超えた教育そのものの革新性が必要とされているともいえる。eラーニングとは、これまでの教育にデジタルな「化粧」を施すことであってはならない。私たちがITという技術革新に期待しているのは、教育そのものへの革新というインパクトである。「eラーニングの導入によって、教育がいかに変わるのか」を理解したうえで、教育の個性化・多様化を図ることが重要であると考えられる。



eラーニングはFDそのもの

 そこで、eラーニングが大学教育に与えるインパクトについて、三つの点から考えてみたい。一つ目は、教育コンテンツ作りのオープン化である。図表はニューヨーク大学のeラーニングコンテンツの制作フローである。
 第1段階は、教育素材の収集、選択の段階である。この段階では、教員が学習目標の設定を行い、それに沿った形でコースの内容となる材料が集められる。第2段階は、コースの流れをデザインする段階である。この段階では教員とインストラクショナルデザイナーが、学生にとって教育効果の上がるようにコンテンツのフローを作る。そして第3段階はコンテンツをWebに落とすプログラミングの段階である。
 eラーニングのプログラムは、このようなプロセスを経て作られるわけだが、ここで注目すべきは教育のプログラムづくりに複数の専門家がかかわっているということである。これまで授業のコンテンツの企画立案は一教員の頭の中で完結するものであり、いわば門外不出のものであった。しかし、eラーニングはここに大きな変化をもたらす。ニューヨーク大学の場合、教員とコース作りを行うインストラクショナルデザイナーは、教育系の修士号を持っている場合が多いと聞く。日本ではまだこのインストラクショナルデザイナーという専門職の名前を聞くことさえ稀だが、今後、大学の教育機能がますます重要視されていく中にあっては、職域を拡大してeラーニングのコース開発に限らないオンキャンパスの授業企画の専門職としても期待されるだろう。
 このようにeラーニングで授業内容を設計することによって、それまで一教員の中で完結していたコンテンツを、受け手から見てより理解しやすいものに変えていくことができる。eラーニングの持つ意味の重要性は、いつでもどこでもという教育の運営上の場面での変化もさることながら、むしろこの教育の企画段階での変化にこそ本当の意味での革新性があるように思われる。それゆえ、eラーニングはFDそのものであるともいえるかもしれない。


図表
注:図表は開発初期版である「アルファ版」をリリースするためのコース制作過程を示している



教育の受け手が情報を創造していく

 二つ目は、情報の蓄積と創造のスパイラルである。知識の伝達という授業そのものの目的とは異なった機能の中にこそ、この新たな可能性があると考えられる。例えば、教員と学生、また学生間のコミュニケーション情報や、事前学習や自学自習をサポートするレファレンス情報、さらに学習成果の情報等を蓄積する機能があれば、そこで学生はそれぞれのニーズに合った情報を取捨選択しながら、自己理解を深めていくようになる。そして、こういった機能を活用して、お互いの情報や意見の交換を繰り返すことによって、気づきが生まれ、そこから新たな情報の創造につながっていく。
 今後、メンターのサポートから一歩進んで自らの学習履歴を軸にどんどん新たな情報を付加していくアーカイブが拡大してくれば、そのアーカイブ同士をデジタル上で連結しながら、ナレッジコミュニティー(知識共同体)を形成していくこともできるだろう。通常、eラーニングのプラットホームには、学習履歴の管理機能があるが、これを管理の視点からのみとらえるのではなく、積極的に活用していくことで、教育の受け手が情報を創造していくという転換への可能性を持つと思われる。
 三つ目は、教育の流通機能を担う機関の出現である。アメリカのカーディアン大学(Cardean University)は、コロンビア大学、スタンフォード大学、シカゴ大学といった名だたる大学と提携して授業コースの展開を図ることで、いわば教育の流通機能を担っているといえよう。このような教育のコンテンツをアソートする機関は、高校と大学の連携、大学と企業との連携が叫ばれる日本でも、今後出現してくるであろうし、多くの役割を期待することができる。合わせて、前述のナレッジコミュニティーの発展形としてのインターコミュニティー(相互に影響を与え合う共同体)形成の担い手になる可能性も高い。



求められるナレッジマネジメントの役割

 こういった方向性について、一つのマイルストーンとなるのが、eラーニングを活用しているコーポレートユニバーシティ(企業内大学)の事例である。企業研修のキーワードともなっているコーポレートユニバーシティは、1950年代のゼネラル・エレクトリック社のそれが最初だが、近年急激に増えており、2010年には世界で現在のアメリカの大学数を超えるコーポレートユニバーシティができるのではともいわれている。そんなコーポレートユニバーシティは、従来からの標準化された研修プログラムの提供という機能から次のステージに移りつつある。資料の閲覧、ディスカッション、個別指導、講演、大学など他機関の情報とのリンクなどWeb上の「学習ハブ」としての機能を有するに至っている。
 今後、大学でのeラーニングも例えば、大学のホームページをインフラとして「大学版ナレッジマネジメント※」と結びついていくことで新たな教育のあり方を提起、実現していけるのではないかと思われる。
 個人が個人として既成の知識や技術を修得していくという従来の教育のパラダイムから、「協調学習」というキーワードに見られるように、コミュニティーの中で互いの関係性を深め、新たな情報創造につなげていくことこそが教育であるという新しい教育像の実現にeラーニングが寄与していくことを期待したい。

大学版ナレッジマネジメント:大学における個人や組織が持っている知識を共有化し、有効活用することで、新しい知識・発想を生み出し、大学の競争力の向上と存在価値の増大をもたらす経営手法


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