Between 2003.04
特集 大学評価のゆくえ

【Column】 ジャーナリズムという立場に
こだわり続けた大学評価


小林 哲夫朝日新聞 「大学ランキング」編集者
小林 哲夫

 

 「うちの大学がランキングの上位に食い込むためには、どのようなカリキュラムを作り、どんな教員を雇って、いかなる設備を作ればいいのか。経営戦略を教えてほしい」
 「わが大学と同レベル、あるいはやや落ちるレベルのところがどこか教えてほしい。再編統合の資料になると思うので」
 「○○分野に強い大学はどこか。少しでもいい大学で教えたい。博士をとったばかりで今、就職先を探している」
 「大学ランキング」は今年(2003年)で創刊10年を迎える。10年間を振り返ると大学をとりまく環境は大きく変わった。それを象徴するのが、ここに紹介した編集部への問い合わせ(あるいは編集者への個人的な相談事)である。
 偏差値以外のモノサシで大学に光をあてて、受験生に大学選びの参考にしてほしい。さまざまなランキングを示すことで大学に競争原理を持ち込み質的向上の一助になってほしい―というのが、「大学ランキング」発刊の意図だった。しかし、大学がおかれた環境がたいへん厳しくなるなかで、「大学ランキング」の読まれ方が編集者の意図を超えてしまうような場面に出くわすようになった。予算獲得、学部・学科・大学院研究科の設置、再編統合のシミュレーションづくりなどである。
 たかが一マスコミの大学評価なのに、という思いを吐露したいが、「影響力が大きすぎるから、きちんとしたランキングを作ってほしい」「大学の死活問題にもかかわる」と大学関係者から真顔で注文されることも多くなった。
 しかし、そのような使われ方は木を見て森が見えなくなる危険性を孕んでいる。私たちはメディアに属しており、あくまでもジャーナリズムという立場にこだわり続けて大学評価を行っていきたいと考えている。
 大学評価の一形態としてのランキングという手法は、大学の優劣、序列化を進めるという批判を受けやすい。しかし、ある分野で大学がどのくらいの強さをもっているかを客観的に評価して、広く社会に伝えたいという思いがある。
 マスコミによる大学評価は、入試、教育、研究、社会貢献などさまざまな指標を用いて行うことができる。このなかで、研究は論文数、研究費など客観的なデータが入手しやすいのでランキングを作りやすい。一方、教育は数値化がきわめて困難であり、ランキングにはなじまない。入試は偏差値、志願者の動向、倍率などで大学間で比較ができる。社会貢献も公開講座数、メディア登場数など数値化できないこともない。
 このようにさまざまな角度から評価を行うことができるが、そのためには信頼できる正確な基礎データを揃えることが大前提となる。これらは大学に問い合わせれば簡単に入手できるかといえば、意外とそうではない。「非公表」と門前払いする大学も少なくない。
 「大学ランキング」を作るにあたって、大学に情報提供をお願いしなければならない。しかし、大学にすれば、都合が悪い数字は出したくない。たとえば、入学者数である。定員にどのくらい水増ししたのか、合格者から入学した者の割合(歩留まり)はどれぐらいかといったことはあまり表に出したくない数値である。また、私立大学の財務状況はプライベートなことなので公開しない、とする大学が見られる。気持ちはわかるが、私たちの税金が私学助成として資金投入されているのに、多くの大学に説明責任という発想がないのは悲しくなってしまう。
 大学が自ら変わろうとする。そのために評価を受けなければならない。そう考えるならば、まずはガラス張りにして積極的に情報公開を行うことだ。
 そのなかで、私たちはとくに教育内容の情報公開を求めたい。そのためには、授業をすべて社会に公開することだ。これは、教員の教育能力を見きわめる上で必要となる。評判のいい教員は多くの関係者から支持を得られるものである。これを数値化してランキングできればいいと考えているが、その方法論、手順はまだ開発されていない。永遠なる課題であろう。


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