Between 2003.04
深化するFD

【FD遠近法6】 大学改革、FDが時代の波をうけるとき



大学像を描いたときFDはどこで機能するか?

 FD活動の目的は、その大学がどのような機能を果たす組織であるべきかという位置づけによって、当然ながら違ってくる。つまり、一つの大学であっても、国レベルの使命、地域レベルの使命、さらにその大学自体をアピールしようとする場合などに分けて考えることができる。この類型によって、恩恵を受ける対象と効果、FDの実施主体、評価者などが違ってくる。
 例えば「研究を中心に社会的、国際的な役割を果たすこと」を大学の中心的機能として捉えると、そのために大学が行うFD活動は、経営・組織運営の責任者が実施の主体になり、国際社会がその結果を評価するという方向にならざるを得ない。
 これは学内の教職員からみれば、「上からのFD活動」にみえる。この場合、ある程度、実施の方略は決まってくるようだ。一例として、人事規定や学内組織の運営規定にFDが機能する条項を取り入れ、大学の制度面から結果を期待するやり方がある。
 また他の例としては、従来から存在する大学文化や学術研究的な伝統をもとに研究集団のポテンシャルや創造性を内部から高めるやり方もあるだろう。
 もちろんどちらが良いかは、軽々に判断できない。



大学像を支える基盤の有無が問題

 しかし、時代は急速に変化している。ある大学が「研究を中心に社会的、国際的な役割を果たすこと」を目的に教育研究に取り組んでも、変動する時代にその目的を支持する基盤がなくなれば、大学そのものが希薄な存在になってしまう。大学像の描き方がミスマッチだった場合などは、その大学のFD活動がいかに熱心であっても社会的ニーズに応えられず、結果的に評価が得られない。
 別の大学像を例に引こう。大学を「地域に貢献すること」を重視した機関としてみれば、地域社会、支持する文化・社会層が必要となる。また、そのためのFD活動の結果は、地域社会や特定の文化・社会階層が評価するという構図になる。この大学像は、1990年代から最近にかけて設置された看護系や福祉系の学部学科が多く、地方の公立大学や公設民営方式の大学に見ることができる。



変化の時期を迎える“挑戦する大学”

 KUTと同時期に公設民営方式で立ち上がった大学には、宮崎国際大学、会津大学、青森公立大学等々がある。これらは大学像、高等教育機関としても「大学の挑戦」であると同時に、「大学を活用した地域社会の実験」ともいえる。
 これらの多くがKUTのように第2世代に入っている。これから入る大学も含め、開学時の大学像と使命を維持するのか、大学改革の目的と内容まで変更する状況を迎えるのか、正念場を迎えるように思われる。つまり、その大学のニーズがどこにあったのかが判明し、大きくハンドルを切る大学が出ることが考えられる。
 新設大学の病気は発見が容易だ。なぜなら病歴がなく、病状がまだ軽いからだ。しかも合併症に陥っていない。しかし、処方のさじ加減はかえって難しいのではなかろうか。処方によって容易にコントロールできるからだ。軽症の患者に劇薬を使ったときのように、ときには意外に大きな症状の悪化やブレという副作用が出て、大学の存在そのものに影響しかねない。
 伝統的な大学の場合、病気になっても処方箋はつくりにくい。症状がたくさん表れているからだ。そこではFDも立案、実行が難しい。なぜなら機構の硬直化や伝統的因習や文化、大学風土などが邪魔するからだ。しかし一方で、伝統という知名度と過去の社会的成果、茫洋とした大学像が何らかの効果をもたらすかもしれない。
 大学の使命を、百年の計のもとで天下国家に貢献する時間スケールで描くのか、地域社会の当面の課題を解決するためのスケールで描くのか、というスケールのおき方が重要になっている。このスケール観は、その大学の研究教育の時間的射程と空間的射程という狙いにも関係する。
 さらに、大学が資産を提供する対象を「社会」とするのか、あるいは「学生」とするのかで、FDの戦略も異なる。
 大学淘汰がさらに現実化した時代に入ろうとしているいま、「スケールとニーズの一致」がFD活動に問われる。


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