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―まず、社会人大学院進学までの経緯をお聞かせください。
尾川 薬学部大学院修了後、（財）食品薬品安全センターに7年間勤務した後、退社し、キリンビール（株）に採用され、群馬県高崎市にある医薬探索研究所の循環器系の新薬開発部門に配属されました。
ところが、5年ほどしてその領域が廃止されることになったのです。会社としては多角化の一環として医薬のさまざまな領域を手がけ、ある時点で事業の絞り込みを行ったわけですが、結果的には私の専門領域がなくなったのです。研究所内の研究企画という部署に配属されたのですが、当時は、研究企画といっても情報収集や図書、研究者の論文を整理する仕事が中心で、非常に悩みました。正直なところ、転職することも考えたほどです。
―でも、転職に至らなかった？
尾川 一度転職を経験していますから、また、その苦労を味わいたくなかったのです。それにキリンの社風が私に合っていたということもあります。なんとかこの会社の中で貢献できるところはないかと、道を探ることにしました。
それまで、さまざまな社内プロジェクトに関わった経験などから、研究と経営をつなぐ人材が不足していることは実感していました。そこで研究企画への異動をきっかけに、研究と経営の橋渡しをしようと思い立ったのです。
ですが、経営の分野に踏み込んでいくための武器は何もないわけです。何とかして新しい職務を遂行する能力を身に付けなくてはならないとは思いました。そこで、最初は経営コンサルタントが書いた実務書をいろいろ読みましたが、どれもしっくりこない。また、最初から経営戦略を学ぶより、まず自分が関心を持っている人材育成・組織運営、つまりヒューマンリソース・マネジメントを学ぼうと思い立ち、大学院に行き着いたのです。
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外部労働市場に出ると自分の価値に敏感になる
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―大学院探しはどのように？
尾川 新聞を開いたら、法政大学の社会人大学院の記事がたまたま目に留まったのです。いくつか講座がありましたが、人的資源管理コース（現人材開発コース）なら自分のニーズを満たしてくれるかもしれないと資料を取り寄せました。研究所のある高崎から市ヶ谷まで通うことになるわけですが、授業は夜間ですから、フレックスタイム制を利用して午後4時半に仕事を終えれば、業務にも支障なく通えます。
試験は英語と研究計画書、面接でしたので、これなら理系出身の私でもそんなに不利ではありませんでした。合格がわかった時、初めて通学の意志を上司である研究所長に告げました。仕事に穴をあけないという条件で通学を認めてもらったわけですが、うれしかったのは、大学までの交通費を会社側が負担してくれるよう、人事部に交渉してくれていたことですね。
―遠距離の通学には、相当な覚悟も必要だったと思うのですが。
尾川 常々、組織の中であてがわれた仕事だけをするような生活は送りたくないと思っていました。それに私は一度転職して、外部の労働市場に出ています。すると自分の価値というものに非常に敏感になるのです。人の命に値段はないといいますが、実際、社会人として働いている間は値段が付いているようなものです。自分の価値を高めておきたいと強く思うようになっていましたから、続けられたのだと思います。
―大学院で学ばれたことは。
尾川 人材育成や管理など、“人（ひと）”に関するテーマが中心でした。人の行動や組織との関わり方などを扱う分野は、複雑なものになりがちですが、さすがに大学の先生方の話はよく整理されていて、理解しやすかった。修士論文として「研究者の人材開発」についてまとめたところ、教授から博士課程への進学を勧められました。せっかくのチャンスでもありましたから、さらに2年間学び、博士号も取得しました。
―授業で役立ったことは。
尾川 どの授業にも共通しますが、ある事象の原因やそこに流れる原則は何かといった根底の部分を探求する力を鍛えられたことです。会社の中にはさまざまな問題がありますが、それらを突き詰めていくと、いくつかの点に収束する。こうした問題の所在を明らかにする思考を学んだと思います。
もう一つは、ものを書く力です。授業を受けた翌週にはレポートを出さなくてはならないのですが、これはかなり厳しい作業でした。まず、どんなテーマであっても2000字にまとめる訓練をすることが重要だと教えられたのです。2000字というと、A4用紙で1枚半くらいの文字量ですが、何も考えずにざっと書いてしまうとすぐ4～5枚になる。そこから不要な部分を削っていくという作業を通して、自分の言いたいことを論理的にまとめる能力が鍛えられたと思います。
また、ワークショップなどでいろいろな人の話を聞けたことも勉強になりました。他企業や各界の第一線で活躍されている講師の方の話を聞くことで、自分の引き出しを増やすことができました。
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大学院での研究と並行し職場の組織改革を実現
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―大学院での研究成果を、会社の職務に反映されましたか。
尾川 まず、管理職だけでなく各テーマのリーダーとなる社員まで加えて研究所の方向性を検討する場を作るなど、徐々にシステム作りを進め、最終的には研究所全体を改革するグランドデザインを描いた上で、組織改革を行いました。容易なことではありませんでしたが、大学院で学んだことを実際に試してみることが許される柔軟な環境にあったこともあり、非常に楽しい作業だったともいえます。
医薬の研究所にキャリアディベロップメント・プログラムを導入したのもその一例です。当初は外部の研修委託業者に任せるつもりだったのですが、納得のいく提案が得られない。それなら、自分で作るしかないと、ある研修会社の協力を得て、半年間かけて独自のプログラムを作りました。このプログラムは現在でも改良を加えながら引き継がれているようです。
これらの改革提案は、研究の現場をよくわかった上で、大学院で学んだ人的資源管理の考え方と融合させることから生まれたものです。研究所の中だけにいたら思いつかなかっただろうと思います。
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社会人大学院は基礎重視で「考える力」を養成する場
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―ご自身の経験を踏まえて、社会人大学院にはどんな教育を期待されますか。
尾川 （ビジネススクールなどの社会科学系の）大学院には、私のように経済学や経営学を学んでこなかった人も入学します。ですから最初は、基本的なことを確実に学べるカリキュラムを構築してほしい。これは講義中心の授業になってもしかたがないと思います。基礎的な理論や考え方が身に付いていないと、テーマが個々の事例になったとき、自分の頭で考えられず、まるで週刊誌の記事から借りてきたような議論になってしまいますから。最初は未熟であっても借り物でなく、自分の言葉で議論を積み重ねていくことが大切だと思います。
こうして議論して学んだことを実際の会社で試すことができれば理想的ですが、大学院でそこまでは用意できないでしょうから、ケーススタディなどで擬似的なビジネスの場面を作ってくれるのが理想的だと思います。社会人が大学院で学ぶ以上は、現場で通用するものでなくてはなりません。企業が直面する問題は未知のものがほとんどですから、大学院では、単に手法を教えるのではなく、解決策を考える力を付けてくれる場を提供してほしいと思います。
―修了生への企業の評価については。
尾川 アメリカの有名大学などでMBAを取得した方は、その企業でというより、むしろ外部労働市場で評価される傾向があります。個人的には、海外であろうと、日本であろうと大学院で学ぶ経営の話に大きな差はないと思う。外国語で学ぶか日本語で学ぶかの違いにすぎないと思っています。
しかし、いくらMBAをとったとしても、それを使わなくては意味がありません。大学院で学ぶのは、自分に付加価値を付けるためであり、その結果として、どれだけ会社に貢献できるかが問われているともいえます。逆に、実績を上げることができれば、大学院に行かなくても企業の評価は高いものになるはずです。
日本の大学院に対する世間の認知や評価はまだ低いというのが現状のようですが、大学院で学んだことをもとに、いかに会社で実績を上げるか、卒業生が結果を出していく以外にないと思いますね。
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1956年生まれ。東京理科大学薬学部卒、82年東北大学大学院修士課程修了。（財）食品薬品安全センター勤務を経て、89年キリンビール（株）に入社、医薬探索研究所に配属。97年法政大学大学院社会科学研究科経営学専攻修士課程修了、99年同大学院博士課程修了。00年経営企画部に異動、現在に至る。