ベネッセ教育総合研究所
特集 国際化教育の現在
上智大学文学部教育学科専任講師
杉村 美紀

国立教育研究所(現国立教育政策研究所)研究協力者、ベトナム外務省国際関係研究所客員研究員、広島大学教育開発国際協力研究センター(CICE)客員研究員を経て現職
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Contribution 3
アジア諸国の高等教育政策と留学生問題
 日本で学ぶ留学生数は、2003年についに10万人を超え、「留学生受け入れ10万人計画」は一応達成された。特徴的なのは、その多くがアジア諸国の学生であるという点である。80年代初頭にすでに全体の6割を占めていたが、その後も増え続け、03年の統計では93.2%となっている。その内訳は中国が64.7%、韓国14.5%、台湾3.9%、マレーシア1.8%、タイ1.5%等である。
 アジアからの留学生が大多数を占める背景には、少子化のもとでの日本側の受け入れ推進政策と合わせて、積極的な留学生送り出しを行うアジア諸国の高等教育政策がある。中でも、圧倒的な多数派を占める中国人留学生受け入れと留学交流の問題は、日本の留学生政策のあり方を考える上で大きな焦点である。

中国の教育政策と日本への留学

 中国人留学生の急増ぶりは、特に90年代後半から目覚ましく、03年には対前年比で21%の増加となっている。中国では、経済発展のために高等教育の拡充が図られ、留学による人材の育成に大きな期待が寄せられている。また、中国の一般社会でも、高等教育への進学熱ならびに留学志向が高まっており、中国政府は民間セクターによる私費留学を積極的に奨励している。一方でこの留学促進政策は、留学経験者を優遇する措置を設けて帰国を促し、中国国内での技術開発や研究、起業を支援する政策と抱き合わせの形で実施されている。そうした帰国留学生は、単に技術や知識・外貨を持ち帰るだけではない。留学中に培った人的ネットワークを生かし、留学先の国とのパイプ役として活躍するという点でも、重要な役割を担っている。日本における中国人留学生急増の背景には、そうした中国側の教育戦略がある。
 この意味で、03年11月に法務省により中国、モンゴル、ミャンマー、バングラデシュ出身者を対象に在留資格認定審査が強化されたことは、中国に大きな衝撃を与えた。従来から中国側の留学関係者は、日本留学の大きな障壁として、日本語習得の問題と合わせ、学費や生活費の支払い能力の証明として、預金通帳の写しを提出することが義務付けられているといった手続きの複雑さを挙げていた。今回その審査要件がさらに厳格化されたことは、中国の私費留学希望者にとって新たな壁となった。
 規制強化の裏にある日本側の事情として、福岡市で起きた一家殺害事件のように、中国人留学生や就学生、中国人不法滞在者が関わる事件や犯罪の増加があることは、中国側も深刻な事態として受け止めている。しかし、03年末から各地の入国管理局で審査が強化され、例えば東京入管の場合、在留認定が前年の72%から45%に激減したという事実を受けて、中国側の留学関係者の間には、こうした動きが協定校への留学に波及することはないのかといった懸念も出されている。
 また、私費留学の仲介企業関係者によれば、日本留学希望者が留学を断念するケースも出始めているという。

欧米偏重型の留学意識

 こうした中国からの私費留学生の増加と日本側の規制という構図を考える上で見落とせないのは、中国人留学生にとって、実は日本が必ずしも第一の留学希望先ではなく、むしろ欧米に留学できなかった者が、やむを得ず選ぶ選択肢として考えられている点だ。そのため日本留学は「二流」とみなされやすく、その結果、学生の質も低下してきたという経緯がある。
 中国沿岸部の経済特区にある大学の国際交流担当者によれば、「留学希望者には日本留学の魅力を伝えるものの、学生たちの第一希望はあくまでも英米であり、ついでカナダやオーストラリア、香港を検討し、日本はその後の選択肢にすぎない」という。日本が敬遠される理由として、従来から、日本は物価が高く、留学経費が多くかかることが指摘されていた。しかし、経済特区の出身者の場合、その経済水準から考えると、留学経費は今や問題ではなく、例えば英国留学は日本より経費が高くつくこともあるが、機会さえあれば英国を選ぶ者が多いと言われる。
 こうした日本留学をめぐる状況を考えると、留学生の質の確保を目指すには、単に規制強化を図るだけではなく、日本の高等教育の拡充を図り、欧米に劣らない独自の魅力をもった留学先として優秀な留学生を惹きつけるだけの条件整備を行う必要もあるだろう。
 ふりかえれば、こうした欧米偏重志向は、中国に限らず、アジア諸国全般に根強くあった。日本も例外ではなく、日本人の海外留学もこれまで一貫して欧米偏重であり、今日でも8割が欧米諸国に留学している。03年12月の中教審答申でも、今後、日本人の送り出しを支援することが掲げられているが、それによって欧米中心主義に急に変化が見られることはないように思われる。

アジア各国で広がる高等教育戦略

 ここ数年、ASEANを中心としたアジア諸国は、自国の高等教育を多様化と民営化を軸に拡充し、欧米諸国との単位互換制やtwinning systemの導入、国内への分校誘致などに積極的だ。欧米の高等教育機関を自国の高等教育機関とリンクさせることで、国内で相手国の学位を取得できるようにし、近隣のアジア諸国から留学生を受け入れようとする動きからは、欧米偏重志向に伴う頭脳流出への対応と高等教育活性化への模索が読みとれる。例えばマレーシアの場合、現地に行かなくとも安い費用で欧米の学位が取得できることを特徴として掲げているが、その背後には、留学生がもたらす経済効果や国際社会における知的拠点としての位置づけの確保という戦略がある。
 国際的な巨大教育市場として注目を集める中国ではここ数年、欧米各国との学位提携や分校設置が急増している。例えば、国立の対外経済貿易大学は、大学外の私設機関として卓越国際学院を北京郊外に設立。アメリカの州立大学との協力協定に基づいて、商業管理、国際金融、英語、国際経済法、コンピューター・情報管理の5分野について、一定の年限と成績を修めれば、中国にいながら中国とアメリカ両国の学士号が取得できる課程を02年秋に開設した。
 また、北京語言文化大学の場合は、海外分校の運営にも乗り出している。タイのバンコクに北京語言文化大学バンコク校を設けて、中国文化や中国語をバンコクで教授し、卒業論文の審査を北京で行うという制度を導入した。
 さらに、中国の教育部も近年、海外からの留学生受け入れを積極的に奨励しており、外国政府や国際機関との合意やプロジェクトに基づく奨学金制度を設けたり、留学審査に必要な中国語能力試験をシンガポール、日本、韓国、カナダなど二十数カ国で実施している。03年9月には諸外国との教育協定を定めた条例を施行し、ドイツ、イギリス、フランスと高等教育の単位相互認証制度を設けた。

双方向の留学生政策を目指して

 このように、今日、アジア諸国は引き続き留学生を送り出しながら、自国の高等教育の拡充と留学生受け入れにも着手しており、日本人学生も重要なターゲットとみなされるようになっている。このことを踏まえると、海外の学生にとって魅力ある留学先としての整備拡充を求められる一方、留学生の送り出しに関しても、従来の欧米偏重志向から、アジア諸国の新たな高等教育市場との関わりをどう考えるかが重要になるといえよう。アジア諸国がとる多様な教育戦略をみると、日本はすでに国際教育市場のなかで立ち遅れの感さえあるからだ。その際、商業主義に陥らない高等教育の質の確保が課題である。
 また、日本の場合、アジア諸国との関係を考える上で、歴史認識をめぐる大きな問題があることも忘れてはならないだろう。03年秋に中国の西安で起きた日本人留学生をめぐる事件はそのことを象徴している。この事件は、日中間で留学をはじめとしてこれだけ往来が盛んになっている今日でもなお、日本人と中国人の歴史認識や大学教育および学生に求める理念や常識、考え方の違いなどの点で深い溝があることを示している。
 さらに、日本社会のアジア諸国に対する意識も問い直されなければならない。日本における留学生の数は10万人を超えたものの、80年代から変わらぬ問題としてあるのが、日本社会の受け入れ方の問題である。アジア諸国からの留学生の中には、欧米からの留学生と比較されたり、差別を受けた経験があるという声が一貫してある。留学生に対する行政の支援や教育環境・設備の整備、留学生支援団体等による献身的な取り組みがある一方で、相互理解の架け橋となるはずの留学生が「反日家となって帰国する」と言われる状況が依然として根強くある。
 03年12月の中教審答申で重視されている、留学生の質の確保ということを考える場合、相手国の考え方や価値観を踏まえ、かつ日本の「内なる国際化」にも目を向けた留学生政策を模索することが必要であろう。留学生問題が国際教育市場における高等教育戦略としてとらえられている今日、そうした双方向の留学生政策が、日本にとってもまたアジア諸国にとってもこれまで以上に強く求められているように思われる。


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