ベネッセ教育総合研究所
特集 チャレンジする短大
舘昭
桜美林大学教授
舘 昭
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寄稿
日本型コミュニティ・カレッジは成功するのか
―短大ファーストステージ論・再論―
はじめに

 筆者が短大ファーストステージ論を提起してから、ほぼ10年が経った。この間に、短大はその数を100ほど減じ、学生数はほぼ半数になった。定員数の学生を確保できないものも、多く存在する。
 しかし、定員割れは、4年制大学の方でも起こっている。一方、元気で、人気の短大も決して少なくない。4年制大学は競って、そんな短大からの編入学者を求めてきている。短大卒業後に専攻科や大学の科目等履修生制度を活用して、大学評価・学位授与機構の学士号を取得する者も、相当数に上る。
 さらに、近年、短大の基本組織である学科に、「地域総合科学科」のカテゴリーが導入された。それには、短大が、ファーストステージ機能を体現し、日本型コミュニティ・カレッジへと展開する可能性が秘められている。

短大は生涯学習社会構築の要

 現代社会は、生涯学習体系の構築を必須としている。そして、その構築のために、短期高等教育機関の発展はなくてはならないものである。短期高等教育の中核は、準学士課程を持つ機関、日本で言えば短大である。アメリカは、第二次大戦後、一貫してその展開に意を注いできた。そして、世界がその重要性に気付き、各国において、その整備が高等教育政策の重要な柱の一つとなってきている。
 日本では戦後の改革で、6・3・3・4制の標語のもとに、4年未満の年限の大学を認めないという、驚くほど画一的な政策が展開された。そして、短大は大学になれなかった機関の暫定処置という、不幸な出発を余儀なくされたのである。しかし皮肉なことに、そのモデルとされたはずのアメリカでは、戦後の高等教育における機会拡大の要を、2年制大学に託していた。そして、4年制大学への編入教育、準学士レベルの職業教育、地域住民の教養の向上(コミュニティ教育)の3機能をもつコミュニティ・カレッジとして全米で発展させ、生涯学習社会の基礎を築いたのである。
 この成功は今や、知識社会に突入しつつある世界各国の羨望の的になっている。知識社会は、高度な生涯学習の機会の確立なしには成立しないからである。例えばイギリスでは1992年の継続教育・高等教育法の制定で、アメリカのコミュニティ・カレッジに近い機能を持つ継続教育カレッジの法人化による強化を行った。そして、そこでの準学士課程の強化を、高等教育の機会拡大の最重点施策としている。
 日本でも1991年の教育制度改革で、短大について画期的な制度的補強が行われた。短大は4年制大学と同様に、設置基準の大綱化によってカリキュラム編成が自由になった。また学校教育法の改正で、審査によって学位を出す学位授与機構(現、独立行政法人大学評価・学位授与機構)が創設された。同機構の学位制度では、短大卒が学士認定の基礎資格とされた。さらに、同機構の認定を受けた短大の専攻科では大学レベルの単位修得が可能となり、学士学位取得の道が開けた。また、定員制が入学定員から収容定員に変わり、4年制大学が編入学枠をつくることが可能となった。それまでの入学定員制の下では、編入は偶然の空き定員(欠員)分しか取れなかったのである。
 短大の卒業にも、準学士の称号という重みが付けられた。この称号はassociateと訳すことができ、アメリカでは学位(degree)の一種とされる。筆者には、この改革は、日本もようやくにして生涯学習社会構築にとっての短大の重要性に覚醒したものと映った。しかし、事態はそう甘くなかった。すでにこの時、短大に対する逆風が吹き始めていた。1992年をピークに18歳人口の急減が始まり、とりわけ短大については、女子の4年制大学志向の顕在化や、企業の一般職需要の減少などが加わった。「短大冬の時代」がマスコミの定番のヘッドラインになった。さらには、「短大改革=4年制大学への改組」といった風潮が蔓延し、大学研究者の中にも短大不要論を口にする者があった。政策当局者においてさえ、1991年の制度改革の意義を理解しているとは思えない状況があったのである。


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