ベネッセ教育総合研究所
特集 コンペ型事業を考える
 
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社会ニーズに応える教育と自由保障の重要性の間で

 それが突如「現代的教育ニーズ取組支援プログラム」を登場させた。これを「現代GP」と呼び、それまでのGPを「特色GP」と呼んでいるが、この二つは本質的に違ったもので、同じように取り扱われるべきではない。
 事実、「現代GP」の事務局は文科省が直接担当し、テーマの選定もすべて文科省の判断で決められている。「各種審議会からの提言等、社会的要請の強い政策課題に対応したテーマ設定を行い……特に優れた教育プロジェクトを選定し、財政支援を行うことで、高等教育の更なる活性化を促進する……」としている。
 テーマには、地域活性化への提言、知的財産関連教育の推進、仕事で英語が使える日本人の育成、ITを活用した実践的遠隔教育(e-Learning)などが挙げられ、初年度の審査結果は公表されている。どれも社会的な要請といえるテーマで、大学がそうしたテーマで教育をすることに問題があるわけではない。むしろ、大学がこれら社会に直結する問題にどう取り組んでいるかをまとめて明らかにすることは、大学の存在理由をタックスペイヤー(納税者)にわかりやすく説明することにもなる。
 そうした効果を認めない訳ではないが、大学は政府の直轄の研究所ではない。構成員の考え方も多様で、いくら社会的な要請に応えるテーマだといっても、それに反対する考え方の人は当然存在すると考えなければいけない。いわんや国策の研究である。たとえ応募するかどうかは大学の自由だといっても、それだけで研究や教育の自由が保障されるとは考えにくい。

大学と国の緊張関係の中で、政策を“支援”とするために

 大学の中に心得違いをしている人たちがいるのではないかと思うことが、もう一つある。それは教育と研究の関係である。私大は教育のプロだからと言って文科省にGPを作らせた人たちは気づいていないのかもしれないが、教育方法は研究によって見つけ出されるのは周知のことである。
 GPの選考結果が国立大学に傾斜し採択率で私大が遠く及ばないのは、研究力に差があるからではないか。そのことが、実はこの教育や研究の競争的財政支援制度の問題点を分からなくしている。COEの結果を見れば分かるように、東大を頂点とした旧帝大、東工大などに採択が集中した。慶應と早稲田の私学2校を除けば、大学院重点化が象徴しているように、旧制国立大学に偏重した文科省の大学財政政策マップの通りになっている。
 大学を充実させるには、伝統とか人材とかいろんなことがあるが、根本は金である。金を注ぎ込んだ大学が、世界的な研究教育拠点に育っていく。そうした過去を一切無視して国公私立大学を一緒に走らせるのは、新制国立大学や私立大学には金を出さなくとも突然変異が起きるとでも考えないと、成立不可能な競争なのである。この分かりきったことを、大学人はなぜ声高に主張しなかったのか。
 それにしても大学のホームページは不可解である。例えばGPに採択された教育プログラムについて、「文科省のお墨付き」との説明は掲載されていても、そのプログラムが大学の教育研究にとってどんな意味があるのか、その大学の教育が将来どう変わるのか、といったことは何も書いていない。採択されたことへの感激があまりうかがえないのだ。これでは大学に文科省が何百億円支援をしても、広く大学全体の教育研究が活性化するのか疑わしい。
 文科省の大学支援担当者の良識を私は評価しているが、それだけで制度の持つ問題点を消去することはできない。だから大学に深く考えてほしい。例えば、現代GPの募集テーマや審査、予算の配分を文科省に一手に任せることに、本当に問題がないのか。両者の間に緊張関係がなくて、どうして文科省の教育改革支援政策が、大学を「活性化」させることなどできようか。そのことを大学自身が考えなければ、文部官僚の“善意”も大学の“熱意”も、大学セクター全体で見ると将来に影を落とすことにもなりかねない。


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