事前評価の必要性を再確認
―大学の質の保証について、大学分科会ではどんな点が議論になったのでしょうか。
木村 最大の話題は事前評価と事後評価に関するものでした。その背景には「事前規制から事後チェックへ」という規制緩和の流れがあることは確かです。特区に限定されているとはいえ、2004年度からは大学経営に学校法人以外の参入が認められました。経済界からの強い要望で実現したもので、設置審査そのものを廃止すべきだという意見も強くなっています。
分科会の委員の大半を占める大学関係者からは、こうした動きや制度を危惧する意見が続出しました。企業関係者の委員はアメリカの例を挙げて、事前評価をほとんどしなくても事後評価だけで高等教育の質を維持することが可能だといいますが、大学関係者はその危険性に気付いて事前評価の必要性を強く訴えました。
―どんな危険性が考えられるのですか。
木村 事前評価がないと、いい加減な教育機関ができる危険性もあり、社会に与える被害がとても大きいということです。教育はその人の人格のみならず、国全体の文化にも影響します。消費物と違って簡単に買い替えもできません。経済活動と同じように考えることはできないのです。
―アメリカの大学では、事後評価だけで質の保証ができているのですか。
木村 いえ、実際にはかなり問題が起きています。州によって設置基準が異なるため、基準が甘い州で開設された大学は、事後評価に対応する体制すらないというケースもあります。事後評価はアクレディテーション機関によって行われていますが、アクレディテーション機関の統括組織であるCHEA(高等教育基準認定協議会)に聞くと、すでに学生が存在している場合は、基準を満たしていなくても適格認定をしてしまうケースがあるそうです。その点、ヨーロッパでは事前評価が厳しく、イギリスでは事後評価も国が行うなど、事前事後のチェック機能が厳しく働いているようです。
―日本でも厳しい事前評価に戻そうというわけですか。
木村 そこが議論の分かれた点です。事前評価がまったくないのは危険だとの認識は共通していましたが、規制をもっと厳しくすべきだという意見や、事後評価で詳しくチェックできれば事前評価は現在の形でよいという意見などがあり、規制の内容にまで踏み込んだ議論は行われませんでした。
ただし全体の雰囲気としては、かつてのように細かな設置審査に戻るのではなく、必要最小限の条件を設定すべきだとの方向に集約されたとの印象を持ちました。今後も、新設学部・学科の届け出制への移行など、大学の多様化・個性化を促すような規制緩和の流れを逆戻りさせることはないと思います。
―設置審査における必要最低限の条件は、「大学とは何か」ということに関わってきます。それはどんなものだと考えますか。
木村 非常に難しい質問です。大学は真理探究の場だと言えば簡単かもしれませんが、実際には人材育成も大きな役割です。だからといって、世の中で求められる人材をすべて大学で育成すべきかどうかは疑問です。
結局「豊かな人間性の涵養」といった抽象的な言葉にならざるを得ず、そうした概念を審査内容と照らし合わせて試行錯誤していくしかないと思います。いずれにしろ、評価基準は決して固定すべきものではありませんし、状況に応じて変えていけばいいのです。
もっとも、これまでの設置審査は法令化されているとはいえ、大学コミュニティの中だけの共通認識がベースになっており、外部から見て透明性に欠ける面もありました。今後は審査の根拠や方向性をはっきり打ち出さないと、社会から受け入れられません。だからこそ答申でも、設置基準と設置審査の明確化を打ち出しています。
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