ベネッセ教育総合研究所
特集 教育の質をどう保証するか
黒田壽二
金沢工業大学学園長・総長
黒田壽二
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【中教審委員に聞く】
教員審査強化に向け設置基準を見直す

設置基準は「社会的規制」

―高等教育の質の保証に関して、今回の答申に盛り込まれた内容をどう評価されますか。

黒田
 大学の質の保証については、2002年8月の中教審答申「大学の質の保証に係る新たなシステムの構築について」で基本的な議論は終わっており、今回の答申でもその考え方をほぼ踏襲した内容になっているといえます。
 ただし今回の審議は、もともと日本の高等教育全体のグランドデザインを作ろうということでスタートしたものです。グランドデザインを示すためには、国が進むべき方向と国家戦略が必要ですが、中教審ではどうしても国全体のビジョンを書き込むことができず、今後10〜15年間程度の将来像という形になってしまいました。
 もっとも、高等教育が日本の根幹をなすべきものだとの認識は委員全員が共有しており、答申でも「高等教育の危機は社会の危機」と表現しています。その上で、国は将来にわたって高等教育に責任を持たなくてはならないとし、高等教育の質の保証についても国がきちんと責任を果たすべきだと言及しました。グランドデザインを提示できなかったのは残念ですが、高等教育の質について、国の関与のあり方を含めて保証のシステム全体の見直しを提言できた点は評価しています。

―具体的に、どんな見直しが行われることになるのでしょうか。

黒田
 設置基準の改正は当然行われることになるでしょう。大学設置は「事前規制から事後チェックへ」という流れの中で準則主義化し、設置基準の廃止までも議論されるようになっています。
 しかし、事後チェックを担当する認証評価機関はまだ四つしかなく、様々な分野で認証評価機関ができるのは05年度以降になります。こういう変革期に設置基準をすべて外したら、どうしようもなく質の低い教育機関ができる可能性があります。そこで国の責任で行う設置審査は、事前規制としてこれからも必要だとの結論に至りました。
 設置基準は、どちらかといえば性善説で書かれています。つまり、大学を設置するのは良識を備えた人たちであるという前提に立って、文科省は設置を認めてきました。しかし準則主義化によって、良識に訴えるような窓口指導ができなくなりました。そのために、設置基準そのものを見直す必要が出てきたのです。ただし、分科会ではその中身にまで踏み込んだ深い議論は行われていません。

―見直しのポイントはどんなところにあると思われますか。

黒田
 基準全体が見直されることになると思いますが、今、最も問題になっているのは教員審査のあり方です。これまでは学術論文の数や教育歴など一応の物差しがありました。しかし、設置基準の弾力化に伴い、社会人に対する教育では教育歴があまり問われなくなりましたし、大学で常勤で教える人たちという暗黙の了解があった専任教員についても、株式会社立大学の参入によって位置付けが曖昧になってきています。ですから、今後の設置基準改正では教員審査のあり方が大きく取り上げられることになると思います。

―先生ご自身は、設置基準はどうあるべきだとお考えですか。

黒田
 私は、大学設置基準は社会的規制だと考えています。社会的規制は道路交通法のようなもので、完全に廃止してしまえば社会が大混乱を来たします。規制緩和論者たちは、設置基準をいわゆる大店法のような経済的規制と捉えているようで違和感があります。参入障壁を緩和することと大学として求める条件を緩和することは、まったく異なります。
 興味深いのは、中教審では企業の委員の一部からも「今の規制緩和のあり方は行き過ぎだ」との声が上がっていることです。規制改革・民間開放推進会議は「参入を自由化してほしいと要望しているだけで、設置基準の弾力化を求めているわけではない」との言い方をしていますが、会議の提言では設置基準の弾力化まで踏み込んでいます。設置基準を撤廃することで日本の経済が活性化するならいいのですが、人材育成がおざなりになって、長い目でみると経済活動でもかえってマイナスになる可能性さえあります。社会的規制と経済的規制は明確に分けた上で、必要な措置を講ずるべきです。



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