中央教育審議会は、2005年1月に「大学の教員組織の在り方について」(審議のまとめ)を発表した。その後、関連する法改正が行われ、「助教」の導入など、大学教員の伝統的な呼称が変わることになった。「審議のまとめ」の狙いは、単に呼称を変えることではなく、若手教員の自立を支援することである。テニュア制度の導入は、その文脈の中で議論されている。
従来の制度では、助手は教授や助教授の職務を助けるものとされた。これが、若手による自律的な教育研究活動を妨げているとの批判があった。実際には、助手の職務の実態は分野によっても大学によってもかなり多様化したが、「助ける」という規定は残された。
その規定の廃止の動きが出たのは、高等教育政策の観点からではなく、科学技術政策、特に若手研究者育成の観点からだった。01年度にスタートした第2期科学技術基本計画では、「米国等におけるテニュア制は、米国等での研究開発環境の活性化の源と言われる。我が国も、将来に向けて、……競争的な研究開発環境の中で研究者として活動できるよう、任期制の広範な定着に努める」とした。さらに、「優れた若手研究者がその能力を最大限発揮できるように、若手研究者の自立性を確保する。このため、……研究に関し、優れた助教授・助手が教授から独立して活躍することができるよう、制度改正も視野に入れつつ、助教授・助手の位置付けの見直しを図る」とした。
テニュア制度の導入が科学技術政策の文脈で議論され始めたことには、留意する必要がある。総合科学技術会議は、その後も「科学技術関係人材の育成と活用について」(04年7月)で、「日本型のテニュア制度の構築」を提唱。「優れた若手研究者が権限と責任を持って主体的に研究に取り組み、競争的環境の中で能力を発揮できるようにする」とした。その上で、助手、助教授の職務に関する法令の改正を含め、大学の教員組織の在り方について、中教審に議論の迅速化を促した。これが、冒頭の「審議のまとめ」でのテニュア制度導入の提唱につながった。
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