―経済同友会の教育問題委員会委員長として、様々な場で教育の在り方について提言される中、高等教育については、一貫して「総合的教養教育に力を入れてほしい」と主張されています。浦野さんが考える教養教育とは、どんなものですか。
浦野 一言で言えば「答えのない問題、答えが一つとは限らない問題を徹底的に考えさせる教育」です。職場や社会で直面する課題とは、そういうたぐいのものですから。ITが発達した現代、知識を授けるだけの教育であれば、小学校から高校、もしかすると大学の教育まで含めても、ICチップ1枚に収まってしまいます。大学がそんな知識伝達型の教育だけをするのなら、存在価値はありません。
答えがない問題について、頭が痛くなるまで徹底的に考える経験をさせ、自分で答えを見つける力を養う教育に力を入れてほしいと思います。文学や哲学はもちろん、自然科学分野にもまだ解明されていない部分が多いですから、「正解が一つとは限らない問題」に含まれます。
―大学自身も教養教育の重要性を認識しながら、抜本的な改革の難しさを痛感しているようです。どこに問題があると考えますか。
浦野 専門教育では教員は自分の専門のことを教えればいいのですが、教養教育では、専門分野を通して自分の人生そのものを語る必要があります。ひざを突き合わせて人生観や職業観を語り合い、学生の哲学的思考を深めてほしい。
しかし、300人の大教室でやるような教養科目だけでは、それは無理。私の大学時代には、専門だけでなく教養でもクラスがあり、ゼミがありました。そういう教養教育が、今も必要ではないでしょうか。
私は大学で地理学を専攻したのですが、1年次の教養で「科学哲学」という理系のゼミをとりました。サイバネティクス(人間機械論)をテーマにした5、6人のクラスで、人間とは何者なのかという問いを自然科学の視点から議論しました。
そのゼミを通じて学んだのは、自分自身の道筋で答えを見つけ出すことの大切さです。それが強烈な経験となって、哲学や宗教へと関心が広がっていきました。大学とは、まさにそんな経験をする場所ではないでしょうか。
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