VIEW21 2002.10  国際人を育てる THINK GLOBAL

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飯野 今日は皆さんと国際人、国際理解について考えていきたいと思っています。自らの体験を通して感じたことを話し合えればと考えています。よろしくお願いします。
 まず、山本さんと朝田さんは、二人共お父さんの仕事の事情で海外生活を始めたわけだけれども、海外に住むって決まったときはどんな気分だった?
朝田 私は小さいときから海外に興味があったので、父親に早く「海外に転勤してほしい」って思っていました。でも、やっと決まった行き先がインドネシアだと知って、最初は相当ショックを受けたんです。インドネシアの写真を見せてもらったら、想像していた外国とは全然違っていて、まだ発展していないし、あまり奇麗な感じはしなかったし。空港から家までの道路も全然舗装されていなくて、何時間も車の中で揺られながら「私が考えていた外国はこんなんじゃない」って泣きっ放しでした(笑)。
山本 僕も最初は嫌でたまらなかった。アメリカという国がどんなところなのか見当もつかなかったし、小学校の頃に習ったアルファベットがとても苦手で「英語なんて使えるはずがない」って思っていました。でも、現地校に通い始めて半年も経った頃には、「アメリカってこういう国なんだ。全然怖くない」って分かったし、英語も毎日使っていると慣れてきて、すっかりアメリカが好きになっていましたね。
朝田 私もすぐに慣れましたね。最初は発展していなくて嫌だと思ったけど、都会に行けば、東京のようにビルが乱立しているところもあるし、自分の国と違う暮らしを見るのも面白かったし…。それに、インドネシアの家はプール付きの豪邸で、メイドが2人にセキュリティーも、運転手もいたんです。日本ではそんな生活は信じられないですよね。
 でも、私たちが安価でメイドや運転手を雇えて快適な生活を送れているのは、そこに貧富の差が存在するからなんですよね。それを考えるとすごく複雑な気持ちになりました。それまでは、欧米の国への憧れだけだったけど、発展途上国の問題なども考えるようになりました。
飯野 インドネシアでは、メイドや運転手を雇うことが就労対策、貧困の解消対策にもなっているんだよ。朝田さんが、快適な生活に身を委ねるだけではなくて、そういった生活を通して今の世界が抱えている課題を感じ取ったのは、貴重な経験だね。
 山田さんと福富さんの留学のきっかけは何だったのかな?
山田 僕は、アメリカに行くまではすごく小心者で、こういう場では何も発言できないような性格だったんです。だからアメリカで一人でホームステイしてもうまく自分を表現できるかって、不安で不安でたまりませんでした。でも、自分を変えるためには一歩踏み出さなければいけない。そう思って、留学することを決めたんです。自分から話さないとどうにもならない状況に自分の身を置くことで、たとえ短期であっても、自分を変えるきっかけになったと思います。
飯野 留学を、自己変革の一つの機会と捉えてたんだね。今まで慣れ親しんできた生活と違う環境に自分を置くことで、自分自身を深く見つめることができる。そういう意味で留学は良い機会だったかも知れないね。福富さんの場合はどうだったの?
福富 最初は、アメリカに留学するか、イギリスに留学するか迷っていたんです。日本の学校の授業では、英語と言えばアメリカ英語のことを指しますよね。でも、英語といっても一つではなくて、イギリスにもクイーンズイングリッシュというのがあります。米語だけではなくて、クイーンズイングリッシュも学びたいと思って、イギリスに留学を決めました。
飯野 語学への興味から留学を考えたんだね。みんなそれぞれのきっかけがあって興味深いですね。


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