ベネッセ教育総合研究所 ベネッセホールディングス
医学部改革はどのような人材の育成を目指すのか
加我君孝
東京大大学院医学系研究科教授
医学部教育改革委員長
東京大医学教育国際協力研究センター長
加我君孝
Kaga Kimitaka

高本眞一
東京大大学院医学系研究科教授
医学部教務委員長
高本眞一
Takamoto Shinichi
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医学部改革事例(1) 〜東京大〜
参加型の授業により学生の意欲を喚起
 東京大医学部が、改革への議論を始めたのは今から約8年前。大学院重点化を迎え、医学部としてどのような方向を目指すのか、優秀な医師を育成するためにはどうすればよいのか、医学部教育改革委員会を中心に話し合われた。
 改革の原点となった問題意識は、硬直化した教育の在り方にあった。実行段階において改革を主導した医学部教務委員長の高本眞一教授は、次のように述べる。
 「従来の医学部教育は教員主体の知識伝達型が中心であり、かつ学生もその環境に甘んじ、受け身の学習に終始している傾向がありました。これでは、教育が教員の自己満足に終わり、学生の学習に対する意欲を喚起することはできません。そのため、学生が自ら考え、自ら学ぶことを通して能動的に学習に取り組める授業を取り入れることにしたのです」
 一連の改革の中でも大きな変化として挙げられるのが「見学型」から「参加型」への転換である。中でも「クリニカル・クラークシップ」は、「参加型」教育を象徴する取り組みの一つだ。これは、M3(※1)の1〜3月の12週間、附属病院の各科に最大4名の学生が配属され、研修医の下で患者の入院から治療に至るまで、チームの一員として診療に参加する実習である。

※1 東京大では最初の2年間を教養学部で過ごし、3年次から専門学部へ進学する(医学部への進学は理科三類から95名、理科二類から5名の枠がある)。M1〜4は、通常の医学部の3〜6年次に相当する。

 計画段階から改革を牽引してきた医学部教育改革委員長の加我君孝教授は、参加型授業の意義を次のように述べる。
 「従来の臨床実習は、教員の肩越しに医療現場を『見学』するだけで、学生は学習に対して受け身になりがちでした。クリニカル・クラークシップでは、実際の医療に『参加』することで実践的な医療技術を身に付けると共に、医師として欠かせないコミュニケーション能力も涵養できます。『参加』の機会さえ与えれば、学生はモチベーションを向上させ、生き生きと学習に取り組むようになります」
 さらに、最新の医療知識を得るだけではなく、得た知識を継続的に生かす方法を知らなければ、学びを深めることはできない。そこでM2において、大学版「総合的な学習の時間」とも言える「チュートリアル教育」を実施することにした。「自ら考え、自ら学ぶ」方法を身に付けるための科目である。
 「最先端の医学を教授したとしても、そうした知識はいつかは古びていくものです。研究成果だけではなく、学問を修得するために必要な考え方や方法を獲得させることで、生涯に渡って自分自身で学び、成長し続けられる力が身に付くと考えました」(高本教授)
 「脳死」や「老人介護」など、4回の授業で一つのテーマを取り上げ、その中から学生自身が問題点を探し出し、それに基づいて調査研究を実施。さらに、グループの中で討論をしながらその問題点の解決方法を考え、最終的にはその成果をレポートにまとめる。こうした一連の作業を通じて思考能力を鍛えるのである。
図1


チューター制度の導入でコミュニケーション能力の向上を図る
 「学び」に対する意欲を喚起すると同時に、同大では医師として必要な高い人間性を涵養するための施策も積極的に導入した。
 「本学は決して学力偏重ではありません。知識・技能が優秀なだけでなく、人間味に溢れた医師を育成することは、本学医学部改革の大きな柱の一つです」(高本教授)
 そこでまず、考えられたのが学生のコミュニケーション能力の向上である。現在、学生の多くは他人と接触する機会が極端に少なく、コミュニケーション能力が著しく低下している。そこで新たに「チューター制度」が導入された。
 「教育は単なる知識の伝達ではありません。教員と学生の人間的な触れ合いの中で成立するものです。だから一連の改革では、単にカリキュラムを変えるにとどまらず、今までの教員と学生との関係を新たにつくり直すことにも力を注ぎました」(高本教授)
 同制度は、学生6〜7名に一人の教員が付き、学習のみならず生活や将来の進路などについても相談できるものだ。以前は、学生と教員との交流と言えば、臨床実習の他は100名単位で行う講義のみで、教員が一人ひとりの学生と膝を突き合わせて話をする機会はほとんどなかった。同制度の導入で、教員は学生の悩みや考え方などを知ることができ、教員のアドバイスに勇気づけられた学生は、学びへの意欲を高めることもできるという。


2年次後期の医学序論のテーマは「医の原点」
 もっとも、こうした取り組みがすべてうまく機能しているわけではない。医学部に進学してくる学生の中には、医師になることに対する関心や意欲が低い者も、若干ではあるが見られる。多くの場合、受験段階で医学部を目指すことの意味や将来像を描くことなく入学してくる学生がいるためであり、こうした学生の存在は、同大の大きな悩みの種になっている。
 そこで「人間味に溢れた医師」の育成を目指し、同大ではさらに、医師を目指す若者たちに向けて重要な問題提起を行った。すなわち「医師になるとはどういうことか」という問いを、医学部進学者に投げ掛けたのである。
 同大では、医学部に進学する直前の2年次後期(教養学部)、導入科目として「医学序論」を設けている。以前の「医学序論」は、基本的に教員が自由にテーマを設定し、医学の基礎や自分の専門分野の導入的な講義を行うに過ぎなかった。しかし、01年度からは医学序論のテーマを「医の原点」に絞り、「なぜ医師になるのか」「医師になるとはどういうことか」「どのような医師を目指すべきか」という根源的な問題について、学外のトップクラスの講師による講義を行うことにしたのだ。
 「『なぜ医師になるのか』といったテーマは、医師を目指す者にとっては最も大切な命題です。こうした命題について認識し、学生同士で議論する機会を与えなければならないと思いました。医師を続ける限り、常に新たな問題は出てくるし、どう対処していいのか分からないことはたくさんあります。しかしどんなに迷っても帰るべき『原点』さえあれば、医師として成長し続けることができるはずです。そういう意味で『医の原点』は医学部改革の核心だと思っています。医学部進学志望者には、是非、講義録(※2)を読んでもらいたいですね」(高本教授)

※2 講義録は、『医の原点 第1〜5集』(金原出版)として出版されている。

 着手から数年が過ぎ、東京大医学部の改革は着実に進展している。今後は、ここ数年の成果を発展させ、参加型の授業や学生が自ら考える授業のさらなる拡充を目指していくという。また、医学部生にふさわしい基礎学力を持った学生を選抜するため、米国の医学部のように「求める学生像」を公表することも検討している。
 さらに、センター試験の理科3科目化についての議論も続けられている。近年、生物学の領域は急速に発達し、理系のあらゆる領域にかかわりを持つようになっており、理系学部への進学を志望する学生には、医学部を含め、センター試験で生物を課すかどうかを検討中だという。
 しかし、「学力はもちろん、それ以上に大切にしたいのは、医師としての適性です」と加我教授は強調する。
 「医師の仕事は端から見る以上に忙しく、泥臭い仕事です。患者のニーズに応えるには相当の努力が必要ですし、本当に医学が好きでないと務まりません。人に対して親切にできない、他人に興味がないという人は医師には向きません。本学部にも毎年、留年を続けて退学になる学生がいますが、そういう学生には、単に成績が良いから入学してくる者が多いようです。人の命に責任を持つということは大変なことです。『なぜ医師になるのか』ということをしっかり考えて入学してほしいですね」(加我教授)
インタビュー臨床実習
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