ベネッセ教育総合研究所
私の想い タダシイ、そしてアタリマエのこと
樋口 竹文

佐賀県立鹿島高校校長
樋口 竹文
Higuchi Takefumi
生年月日●昭和23年1月29日
出身地●佐賀県鹿島市
趣味●料理 
座右の銘●燃える者のみが、燃える生徒を創ることができる

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私の想い 1
タダシイ
そしてアタリマエのこと


料理に関心を持ち始めたのはいつ頃からだろう。最初は雑誌を見るだけだったのが、今ではいくつかのものを作るようになった。なぜ、今、料理なのか。面白いからである。ちょっとした工夫や手間暇、気合い、素材に対する愛情の不足や慢心、そういうものによって、料理は見事に変化する。毎年の暮れに作る豚の角煮は私の当番だが、昨年の出来は今一つだった。十年程作ってきたという慢心と気合いの不足が原因らしく、家内からそう言われた時、「初心を持ち続けることは難しい。だんだん工夫もしなくなるしね」と言われた致遠館高校初代校長U先生の表情が思い浮かんだ。私は致遠館高校に開校以来十年間勤務したが、その草創期を支えたのは創意、工夫、気合い、愛情そして「やってみなければ分からない」という可能性への信仰だった。生徒たちを揺さぶり、耕し、「僕はもしかしたら」「私ひょっとすると」という思いを彼らに抱かせることが求められた十年間だった。様々な工夫を加え素材を生かしその可能性を引き出すという意味において、料理も教育も全く同じだと、今、改めて思うのだ。
 新任教頭として最初に勤務したのは、定時制だった。普通科の進学畑を歩き続けてきた私にとって、定時制の生徒たちとの出会いはある意味でカルチャーショックだったが、ここで学んだことの一つは工夫の大事さということだった。国語の授業の時、魚偏の文字をプリントし、寿司屋の湯呑みのことを話して調べさせると、生徒たちの表情は本当に生き生きとしていた。翌日、廊下で生徒たちが「これが鰯ぞ、すぐ弱るからこう書くんぞ」などと話しているのを聞いて、とても嬉しかったことを憶えている。もう一つある。「私も一生懸命生きています」。夜のベランダで話していた時、ある女生徒が言った言葉である。定時制に通学していた生徒たちの中には重い何かを背負った子どもたちが多くいたが、彼女も例外ではなかった。「私たちは一回しか生きられんから…」と言った私に、彼女はきっぱりとこう言った。「そうです」。
 グラウンドに面した校長室からは、体育の授業や部活動の練習の様子が見える。「ああ、生きてるな」。見ながら、いつもそう思う。そのような肉体と精神を持ったかけがえのない一人ひとりが、今という時間の中で走ったり、跳んだりしている光景は、考えてみると実に素晴らしいことなのではないか。

現在改革という名の下に学校にも様々なことが持ち込まれているが、的確な選別の目を持って必要な改革を進めるのが、私たちの責務だ。ただ、「仏作って魂入れず」にはしたくない。たった一人の自分が自分をいとおしみながら一回きりの生を生きているように、他人もまたそうなのだ。このことに深く思いを致すことができた時、たった一回しか教員人生を送ることのできない人間が、同じようにたった一回きりの生を生きている子どもたちに、創意と工夫を凝らしてひたむきに立ち向かい、その可能性を引き出すというタダシイ、そしてアタリマエのことが行われ、学校は初心に戻ることになるだろう。 



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