指導変革の軌跡 東京都立小平西高校
東京都立小平西高校

東京都立小平西高校

◎「創造・協調・健康」を教育目標として、「生徒の多様な進路希望の実現がかなう学校」を目指す。2006年度から学校改革に取り組み、「小西スタイル」と呼ばれるキャリアプランを構築中。部活動では創部2年目の自転車競技部が国体出場を果たしたほか、ラグビー部や野球部などの躍進が期待されている。

設立●1976(昭和51)年

形態●全日制/普通科/共学

生徒数(1学年)●約240名

08年度進路実績●4年制大は、亜細亜大、駿河台大、中央大、帝京大、東京経済大などに69名が進学。短大には17名、専門学校には57名が進学。就職は44名、浪人などの未定は27名。卒業生計214名。

住所●〒187-0032 東京都小平市小川町1-502-95

TEL●042-345-1411

WEB PAGE●http://www.
kodairanishi-h.metro.tokyo.jp/


VIEW21[高校版] 新しい組織的な生徒指導による学校改革のパートナー
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指導変革の軌跡117


東京都立小平西高校 「達成体験を活用した学校改革」

「私はできる」を軸とした「小西スタイル」で
全国一の進路多様校を目指す

● 実践のポイント
生活指導の徹底で、生徒の関心が学校に向かう
生徒が自己効力感を持てるように 「私はできる」の観点で取り組みを見直す
数値目標の設定で、 教師も「やればできる」が実感できる

環境変化の荒波の中で底なしの低迷に落ち込む

 東京都立小平西高校は、かつては東京大に合格者を出すなど、地域の期待を担う進学校の一つだった。しかし、入試制度の変化や旧学区の最西端に位置することもあり、低迷状態が長らく続いた。遅刻や茶髪は常態化し、問題行動も多かった。退学者は増え、3年生になるまでに約1クラス分の生徒が学校を去った。生徒は自分の将来に立ち向かうことができず、現状に甘んじた安易な進路選択をしがちだった。その結果、フリーターが3割という状況が続いていた。
 2006年度に赴任した進藤周治校長は、「初めて本校を訪れたときは、寂しい状態でした。校舎は暗く、部活動はちらほら。学校らしい活気やパワーを感じることができませんでした」と、当時の印象を語る。更に、始業式に臨んで驚いた。進藤校長が演壇に立っても、生徒は一向に話をやめない。後ろを向いたり携帯電話でメールをしていたり。たまりかねて校長が一喝して、ようやく始業式は始まった。
 「先生方には、一生懸命に指導をしても、一向に改善しない状況に対する疲労感、徒労感があったのでしょう。教師が元気でなければ、生徒は元気にならない。早急に改革に着手し、先生たちが元気になれる学校をつくる必要性を痛感しました」(進藤校長)

管理職の一言が教師の行動をあと押しした

 改革に先立ち、進藤校長は自分たち管理職が徹底的に現場を支援すると、教師に伝えた。それまでも教師は学校を変えるべく努力を重ねてきたが、学校全体の動きにつながらずにいた。そんな折、新たに赴任した校長から発せられた一言は、教師に安堵感と期待感を抱かせた。進路指導主任の人見茂先生は、そのときの気持ちを次のように振り返る。
 「進藤校長と最初に面接をしたときに『我々ははしごを外さない』と言われたことが、何よりも心強く感じました。現場の教師が最も危惧するのは、自分の行動がだれにも支持されず、孤立することです。管理職が『私たちが責任を取る』と明言してくれ、心おきなく目の前の生徒と向き合えるようになりました」
 進藤校長と磯村元信前副校長の2人は、4月から登校時に校門に立った。生活指導を徹底させると共に、教師や生徒に学校を変えていこうとする意思を伝えようとしたのだ。特に課題のある生徒は、保護者と一緒に校長室に来てもらい、個別に指導した。
 「以前は進路指導も生活指導も学年・担任が負う部分が大きく、しかも生徒や保護者の理解をなかなか得られずに苦しんでいました。管理職が前面に出て学校の考えを直接伝えることによって、反抗的な生徒も、理不尽な苦情を寄せる保護者も理解してくれました」(進藤校長)

反対意見にも耳を傾け職員会議で共通理解を得る

 同校は生活指導の徹底と同時に、中長期計画を策定した。その論拠としたのは、04年ごろに当時の副校長が教師全員に自校の課題を聞いた調査結果だ。そこには課題として、(1)学力向上に向けた教育課程の在り方、(2)生活指導の厳格化と統一化、(3)3年間の計画的で統一された進路指導が挙げられていた。進藤校長と磯村前副校長が課題に感じていたことと同じ内容を、調査結果は語っていた。
 「私たちはこの3点を改革の基点にしました。これから進める改革は、赴任したばかりの管理職が校内の事情も知らずに進めようとしているのではない。あくまで現場の先生の課題認識に基づく改革であると伝え、先生方の協力を得ようと考えたのです」
 06年5月、進藤校長は小平西高校の将来像を描くために将来構想会議を立ち上げ、校内の有志を募った。その呼びかけに、若手を中心とした10人ほどの教師が集結。1学期後半から夏休みにかけて、連日、磯村前副校長を中心に議論を重ね、学校改革の全体像を形づくっていった。
 もちろん、議論がいつも滞りなく進んだわけではない。メンバーの1人だった2学年主任の菱田新先生は、「当初は将来構想会議が新しい企画を職員会議に提案しても、反対されて、実現しないことがありました」と話す。しかし、反対意見も含め、いろいろな先生の意見を聞きながら企画を練り上げ、二度、三度と職員会議を回す中で、次第に反対意見は少なくなった。むやみに反対意見を封じるのではなく、その意見にも耳を傾け、根気強く議論を進めることが、合意形成の上で重要だった。

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