私を育てたあの時代、あの出会い

VIEW21[高校版] 新しい進路指導のパートナー
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 良好とは言えない関係が続く中で、高野校長は教師一人ひとりの声に耳を傾けました。若手のアイデアを「面白そうじゃねえか」と肯定的に評価し、入学式や卒業式では奥様が炊いた赤飯を全教職員に配り、私生活で悩みを抱える教師がいれば父親のように一緒に解決策を考えました。毎日の校務に追われる中、英語の教授法の研修に参加すべきか迷っている私の背中を「やってみろ」と押してくれ、3年間の週末の東京通いを応援してくれたのも高野校長でした。改革のための明確な哲学と施策を提示する一方、義理人情を大切にする。生徒、PTAとも積極的に交流するその姿に、いつしか「考え方は違っても、高野校長は信用できる」と皆が思い始めました。
 大きな転換点となったのは高野校長が着任して約半年、「本校の教育を語る会」と題して開かれた1泊2日の校内教育研究集会です。会議は深夜まで行われ、各教科から生徒の学力の実態が報告され、生徒の状況について初めて皆が共通認識を持ちました。これを契機に、ようやく改革の機運が高まりました。
 長野高校の教師の教科指導力は極めて高かったと思います。けれども、自分の授業のことしか考えていない教師が多かったのです。「全員で長野高校の生徒のことを考える」。それは初めてのことでした。
 以来、さまざまな改革が始まりました。新入生オリエンテーション合宿、校内授業研究会、中学生の1日体験学習など、私たちは温めていたアイデアを高野校長に提案しました。高野校長はいつも「拙速を恐れずやってみよう」と後押ししてくれました。それが自信となり、また次につながる。「そんなことはできない」と言われていたら、とても動けなかったと思います。一匹狼の集まりだった教師たちが、生徒のために一つになって、行動する集団として再生しました。
 高野校長と同じ立場になった今、先生方がやりたいことをやっているか、それがとても気になります。教師にはやらなければならないことはたくさんありますが、それだけではこの仕事は面白くありません。生徒のためにやりたいことをやることで、自分の教育力が高まるのです。高野校長が後押ししてくださったように、私も若い先生に「やりたいことをやろう」と呼び掛けていきたいと思います。
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