私を育てたあの時代、あの出会い

矢野裕房

矢野裕房

やの・ひろふさ
化学科。伊予高校、内子高校に勤務した後、今治西高校へ。同校で9年間勤務。その後、松山北高校へ転任。4年目を迎える。

大内洋一郎

大内洋一郎

おおうち・よういちろう
数学科。松山南高校、今治西高校、松山北高校などに勤務。進路指導で中心的役割を担う。09年度より上浮穴(かみうけな)高校の教頭に。

VIEW21[高校版] 新しい進路指導のパートナー
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私を育てたあの時代、あの出会い

すべては授業から。未熟な私が信じ、歩いた真実の道

愛媛県立松山北高校 矢野裕房

仕事は楽しいことばかりでなく、悩み、苦しむこともたくさんある。
また、職業人としての成長の速度も人それぞれだ……。
言うまでもなく、それは教師という職業にも当てはまる。
初めて教壇に立った日から、社会人ゼロ年生としてゆっくりと育っていく。
偉大な先輩との出会いの中で、たくさんの気付きを得て、 そして同時に、たくさんの悩みや苦しみも得ながら……。
独り立ちへの日々を愛媛県立松山北高校の矢野裕房先生が振り返る。

 愛媛県立今治西高校に赴任したのは、31歳の時です。同校に対するイメージは「優秀な生徒が集まる学校」。転勤が決まった時は、自分の授業が通用するのか不安でした。
 実際、生徒の質問は鋭かった。前任校までは「教える準備」をすればよかったのですが、ここでは質問を予測しなければならない。私が問題を解いて、少しでも引っかかったところは、確実に生徒は授業で突いてきました。最初のうちは正直、教壇に立つのが怖かったですよ。
 私は日々の授業に精一杯でしたが、私より2年早く赴任した大内洋一郎先生は、文武両道で知られる伝統校に大胆なテコ入れを試みていました。先生は、「生徒の潜在能力を考えれば、もっと大きな成果が得られる」と、生徒と教師の意識を高めるためのさまざまな取り組みを行っていました。例えば、受験を間近に控えた3年生が、自身の体験を2年生に語る進路座談会、教科団が一体となって開発した家庭学習プリントなど、当時の先進的な取り組みとして、『VIEW21』にも取り上げられています()。実際、大内先生を中心とした改革はすぐに効果をもたらし、大内先生の赴任3年目には東京大・京都大合格者数が過去最高を記録しました。
 でも、正直に言えば、30歳を越えたばかりだった私は、大内先生の取り組みのすごさを本当には分かっていなかったと思います。教師が個人芸だけでなく、進路課を中心とした組織として情報を共有し、集団で生徒に向き合っていく。その意味が理解できるようになったのはそれから3、4年経ってからです。その頃になってやっと、大内先生の取り組みを見ても、「自分ならこうしてみたい」と考えられるようになりました。
 ただ、「教師は、生徒に自分の担当教科を嫌いにさせてはダメだ」という大内先生の言葉は、若かった私にもよく理解できました。「好きになれば生徒は自分で勉強する。自ら学んだ1時間と、教師から教わった1時間では、どちらに価値があるかは明らかだ」。大内先生のこの考えに、「理科を嫌いにさせない」ということを教師になって以来の目標としていた私は、大いに共感しました。
*VIEW2004年2月号(2003年度)…「プリント学習や授業改善で学習内容の徹底理解を図る」愛媛県立今治西高校
*VIEW2001年2月号(2000年度)…「3年生の実体験に基づく話で、 2年生の受験意識を高める」愛媛県立今治西高校

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