私を育てたあの時代、あの出会い

VIEW21[高校版] 新しい進路指導のパートナー
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 賀来先生が最も力を注いでいたのは、国際型の生徒の進路指導でした。賀来先生は「国立A大を退官して私立B大に赴任した教授と話をしたら、A大の大学院と強いつながりがあることが分かった。B大はキミの将来の目標に合っていると思うよ」と足で稼いだ情報を基に生徒と面談していました。それは、大学合格者数よりも、10年、20年後にその生徒がどんな仕事、生活をしているかに目を向けた進路指導でした。そして、そんな賀来先生の言葉で、生徒が一変し、大きく伸びる姿を私はいくつも目にしてきたのです。だから、賀来先生に進路の手引きの制作を任された時は、外が暗くなっていることにも気が付かず、校長から「電気ぐらい付けなさい!」と注意されるほど没頭しました。
 生徒は、教師の働き掛け次第で大きく変わること、すなわち、高校教師という仕事の面白さを教えてもらった気がします。実際、高取高校の国際型からは、大企業に属さなくても、通訳や貿易など国際社会で働く人材が何人も出ました。これは誇るべきことです。
 生徒の人生を見通した賀来先生の指導は、私の指導の大きな柱となりました。志望大合格も大切だけど、そこに至る過程に多くの学びがあり、結果はどうであれ、そこで身に付けたものこそが、その先の人生でも財産となる─。今、私は生徒にそう話しています。そして、例えば勉強一辺倒で難関大を目指すような生徒たちにこそ、ものづくりの現場の地道な努力とそこで働く人々の思いを、インターンシップなどで学ばせたいと思っています。そんな体験が、彼らの中にそれまでとは違う発想を生むはずです。賀来先生の隣席で学んだ「人生を見通した指導」は、生徒が「今のままではダメだと気付く指導」として、私の中で大きく成長しています。
 すべてに前例がない新設校での6年間は、私に「教師の判断基準は、生徒のためになるかどうかだけ」という大原則を教えてくれました。
 今は賀来先生と会うのは年に1回くらいです。でも、先生が何をしているのかとても気になります。少し前までは、中国地方や四国の国立大の教授を訪ね歩いていると聞きました。今年は担任なので、クラスでいろいろなことを仕掛けているはず。賀来先生は、私が今もずっと追いかけている存在なのです。
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