地方公立高校の挑戦
VIEW21[高校版] 新しい進路指導のパートナー
  PAGE 3/6 前ページ 次ページ

約40年前に始まった手作り合同模試が原点

 八校連のルーツは、昭和40年代にまでさかのぼる。1968(昭和43)年、鹿本高校は旧・山鹿高校と統合した。これを契機に「県北の雄を目指そう」と、菊池高校との合同模試「菊鹿(きくろく)テスト」を開始した。両校の教師が協力し合って生徒の学力を伸ばすと共に、問題を作り合うことによって教師の指導力を高めるのが目的だったという。
 その後、学校の枠を超えて生徒と教師を育てる姿勢に共鳴した高校が1校、また1校と加わり、現在の八校連になった。小国高校や菊池高校などにも赴任経験がある阿蘇高校の衞藤繁校長は、当時を次のように振り返る。
 「当時も進路情報は入手できましたが、今のようにインターネットで簡単に収集できる時代ではありませんでした。教師の研修の機会も今ほど多くはありませんでしたから、情報を共有しながら若手教師を育成する良い場になっていたと思います」


  PAGE 3/6 前ページ 次ページ
目次へもどる
高等学校向けトップへ