「データで考える子どもの世界」
学習基本調査・国際6都市調査報告書
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  北京調査から教えられたこと

樋田大二郎(青山学院大学教授)
   中国における近年の教育政策の変遷をみると、受験競争の激化や拝金主義的・個人主義的教育観の広がりへの対策として、1990年代半ばに中国の教育界や教育関係者の間に学校教育の果たす役割を見直す必要があるという認識が広まった。2000年代に入って、『基礎教育課程改革要綱(試行)(2001年6月)』『新教育課程標準(新しい学習指導要領)(2005年9月)』が相次いで発表され、受験での合格を目指す「応試教育(受験教育)」から、子どものさまざまな素質や人間性を育てようとする「素質教育」へとカリキュラムを転換した。「素質教育」は乱暴を承知で日本の教育と比較すると、中国版のゆとり路線や新しい学力観である。中国は「素質教育」を具体化するため、各教科の改革を進めるとともに、日本の「総合的な学習の時間」に相当する「総合実践活動」を導入している。
 私は、2007年6月に北京を訪問した。その際に、中国教育部(日本の文部科学省にあたる)の基礎教育課程教材発展センターで『新教育課程標準』の作成に携わっている研究者―今回の北京調査部分をご協力いただいている劉 堅氏と付 宜紅氏―に今回の調査結果およびその背景について、インタビューを行った。また、実際に調査にご協力いただいた小学校2校を訪問し、児童、教員および校長へのインタビューを試みた。
 本報告では、アンケート結果とインタビュー結果をもとに北京の小学校の今を報告し、これをもとに日本の小学校教育のあり方について考えたい。

 1.「応試教育」から「素質教育」へ……
   『新教育課程標準』の作成にかかわっている方へのインタビューから


   中国では今、子どものさまざまな素質や人間性を育てようとする「素質教育」が推進されている。その背景には、「応試教育」の過熱への対策や、詰め込み教育による弊害の排除がある。

[外発的動機づけ]
  中国では、学業面での子どもへのプレッシャーが高いとされている。北京の小学生は東京の小学生と比較すると、学習時間が長い。東京の小学生は平日に平均で101分勉強する。これに対して北京の小学生は132分勉強している。北京の小学生は下校時刻が遅いため、平日にはあまり塾に行かないことを考えると、家庭学習時間は北京の小学生のほうがはるかに長い。北京の小学生は学習時間が長いだけではない。表1のように、東京の小学生よりも「新しいことを知るのが好きだ」が74.5%と高くなっており、勉強への肯定的な様子がうかがえる。
  しかし、学業面でのプレッシャーは重圧となっている可能性がある。「勉強で友だちに負けたくない」が79.9%、「親の期待が大きすぎる」が32.0%などと東京よりも否定的な状況が読み取れる。このことは学習意識にも影響を与え、「問題が解けたり、何かがわかるとうれしい」が東京の小学生よりも少なくなっている。一般に北京の小学生は優等生的回答をしようとする傾向があり、数値にバイアス(イエス・テンダンシー)がかかっているものと思われる。それなのに学習意識に関して、このような否定的傾向が浮かびあがってきている。
  インタビューに応じてくれた劉氏は、この調査結果について「今回の北京調査の結果をみると全体的に数値が高く表れている。しかし、もし外部からのプレッシャーがなければ、多くの質問については、日本とほぼ同じような数値が出るのではないか。あるいは場合によっては、日本より低い数値が出るかもしれない」と述べ、「『問題が解けたり、何かがわかるとうれしい』をみると、北京は49.4%で日本より30ポイントも低いという結果となった。これについては、やはり内発的動機づけより外的な動機づけが強いことがわかる」としている。

表1 学習に対する意欲
[教授スタイルの変化]
  「素質教育」は、日本のゆとり路線や新しい学力観に近い方向性を持っている。前述の劉氏は次のように述べている。「中国では今、教授方法が大きく変わりつつある。国として、学習内容の難易度を下げており、かつ、学習内容がより生活と密着するように考慮されている。これは大きな変化だ。地域とのつながりを持つような学習内容も多くなってきている」「また、教師の教育方法については、教材を教えるのではなく、教材を使って教えるようになっている。直観、マルチメディア、子どもの創造性を引き出せるような方法、子どもの学習への参画などを重視している。確かに中国では、学校ではパソコンやインターネットの使用率はまだ低いが、これからできるだけマルチメディアを使いたい」「最近、アメリカのコロンビア大学から訪中団があり、北京の小学校の数学の授業を見学して驚いていた。以前は、中国の授業の内容の難しさについて驚いていたが、今回の訪中では、子ども同士のコミュニケーション、授業中、意見を発表したり、先生が子どもの意見を尊重したりしている様子をみて、驚いていた。もちろん、このような授業はまだまだ少なく、広がっていないが」。

[評価方法]
  教育内容・教育方法の変化に応じて、評価方法も変わろうとしている。「学習内容、教授スタイルの変化に対応して、評価の内容・方法、評価の利用などについても変わりつつある。またテストは学習のプロセスとして重視され、単なる成績の良し悪しを判断するだけではなくなった。テストの方法も変わってきた。とくに小学校では、筆記テストだけではなく、場合によってはゲーム、活動を使用し、評価することもある(劉氏)」。
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