学習基本調査・国際6都市調査報告書
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序章 国際6都市調査の結果から日本の教育を考察する


耳塚 寛明(お茶の水女子大学教授) 

(1)学習基本調査の意義 国際比較という鏡に映る日本の子ども
 学習基本調査は、時系列的比較を行う意図をもって設計された。第1回調査(1990年)以降、今回の第4回調査に至るまで10数年にわたって、学習基本調査は子どもの学習を被写体に、時代のスナップショットを撮り続けてきた。私たちが撮影してきたのは、子どもの学習だけではなく、時代の変化そのものでもあった。
  学習基本調査は、今回からもうひとつの特徴を持つことになった。国際比較によって、日本の子どもたちの学習行動と意識を映し出す鏡としての特徴である。時系列的比較と国際比較という、2つの特徴を持つことにより、子どもたちの学習行動と意識を見つめ、理解し、評価する装置としての本調査の意義は、格段に大きくなったと思う。
  子どもの学習に焦点をあてた調査は、決して少なくない。国や地方自治体をはじめ、大学、研究機関が数多くの調査を実施している。しかしながら、単発ではなく長期間にわたって、かつ国際比較を交えて多面的に調査を実施したものは、ほとんど皆無といってよい。子どもたちの学習行動と意識に焦点をあてた、他に類のない国際比較調査ができあがった。
  しかしながら、国際比較調査は、実施すること自体が困難であるうえに、データを適切に読むのも難しい。今回の調査も、いくつかの実施上の問題点や、データを解釈するうえでの課題を抱えている。
  第一に、調査の対象は、どの国も首都に限定されており、国を代表するサンプル調査ではない。正確にいえば、今回の調査結果が映し出しているのは、日本の子どもの姿ではなく、東京の子どもの姿にほかならない。
  しかも、第二に、各国の首都を代表するよう専門家が対象校選びに配慮を加えているものの、首都に所在する学校から有意抽出した学校が対象である。首都の子どもたちの姿を代表するよういろいろな学校を対象としているが、統計的にいうとランダムサンプリングによる代表性が保証されているわけではない。
  第三に、国際比較調査に内在する本質的な問題、すなわち相互に相違する文化的文脈の中に置かれた子どもたちをどう比較するのかという問題がある。たとえば、学習塾は東アジアでは一般的だが、それに相当する学校外教育機関を欠く社会もある。もっといえば、同じ学習するという行為でも、社会によって同じ意味を持つとは限らないし、同じことを学んでいるわけではない。調査票の翻訳の際には、現地に通じた専門家がそうした文化的相違をふまえた翻訳を行ったが、なかには意訳しなければ意味が通らなかった質問や、その社会では質問が意味を持たないため削除した設問もある。むしろ日本の子どもたちを念頭において作成した質問紙を諸外国向けに翻訳する作業自体の中に、日本の子どもの置かれた状況を他文化との比較において知る契機が埋め込まれている。
  こうした問題点や課題は、しかしその多くが、国際比較にともなうやむを得ない制約であって、この調査の意義そのものを損なうものではない。大切なのは、データを「大きな絵としてみる」―細かな相違ではなく、際立った相違を抽出して、それらの断片をつなぎ合わせて1枚の大きな絵を描くことだと思う。他国を比較の鏡として、大づかみに、今日の日本の子どもの姿と教育の特徴を描くことである。
  この後間違いなく、いっそう急速にグローバル化が進む。そのとき求められる能力や資質は国際的にみて普遍化し、人材を評価する基準もグローバル化していくだろう。その意味でも、子どもたちを国際比較の観点からとらえ続けることは不可欠の営みとなるだろう。
  データを読んで、一喜一憂する必要性はさらさらない。また性急に他国に学ぶ必要もない。国際比較調査は時として、日本の子どもたちの好ましい点や問題だと思われる点を鮮明に映し出す。だからといって、他の国のまねをしたり、教育制度を輸入しても無意味である。なぜ日本の子どもにそうした特徴がもたらされているのか、その必然性を検討し、そのうえで、目指すべき方向性と、そこに至る道筋を考えることが必要である。この意味で、国際比較は文字通り他国と比較する営みではあるが、そのもっとも重要な意義は、自国の社会を観察し考えるところにある。
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