「データで考える子どもの世界」
東京大学共同研究「学校教育に対する保護者の意識調査2008」
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 ◆分析編◆

 第3章 「競争志向」と新自由主義的な制度変更への賛否意識
      競争原理導入をめぐる保護者の認識を手がかりに

諸田 裕子



 競争原理の導入、市場原理の導入、地方分権化は、「競争」と「選択の自由」を特徴とする今日の教育改革や制度変更の設計において、基本的な枠組みを条件付ける重要な要素である。本章では、そうした基本的かつ重要な要素の1つである競争原理導入に対する保護者の認識と制度変更への賛否意識の関連について検討を行った。(1)制度変更への賛否意識は個人的な属性要因と部分的に関連を持ち、(2)新自由主義的な制度変更に賛成する人々ほど競争原理導入への志向を持つ、(3)しかし同時に、制度変更への賛否意識の分岐に対して、競争原理導入への志向は、個人的属性要因とは独自の影響力を持っている可能性が示唆された。改革・制度設計の基本にかかわるからこそ、特定の人々だけの意見を反映させるのではなく、社会的な議論を十分に経ることが肝要であり、そのためにも、政策選好をめぐる実証的かつ理論的な研究の展開と蓄積が今後の課題である。



 1.はじめに

 本章の目的は、新自由主義的な教育改革や制度変更への賛否意識と「競争志向」の関係について、クロス表を用いて検討することにある。ここでいう「競争志向」とは、次の質問項目への回答状況(A、Bいずれかの意見について、どちらの意見に近いかをあえて選択してもらう)をもとに定義している。それは、「A:学校が競争すれば、学校の中に活気が生まれて教育は良くなる」と「B:学校が競争すると、成果を上げるために無理をして教育は悪くなる」という教育をめぐる意見に対する支持・不支持をたずねた質問である。素朴に考えれば、「競争」をキーワードとする新自由主義の特徴をまとっている教育改革や制度変更に賛成する人々は、競争志向が強い――本章で取り上げる質問項目をふまえれば、競争に一定の効用(競争が学校をよくするかどうか)を認めているはずである。もちろんこの素朴な問いには、全ての人々は、それが新自由主義的改革だと理解しており、それらの改革によって市場原理および競争原理が導入されるのだと知っており、かつ、その原理導入への支持不支持をもとに改革への賛否意識を決めている可能性が高いという前提をおいている。と同時に、改革の内容や特徴について知らなくても、なんとなくよさそうだ(よくなさそうだ)と思えれば賛否意識を持ち、質問紙に回答することは可能であることも事実である。仮に、マス・メディア等で競争原理の導入は組織にとってよいものではない(「成果主義の失敗」など)、新自由主義的改革はよくない(「格差が拡大する」など)といったことが情報として提供され、そうした情報に接する機会が多ければ、その内容を十分に知らなくても、「反対」と回答することができる。人々が社会的に議論されていることについてどのような意識を持つのか、そして、その意識を持つことになる根拠(別の、もっと根源的な意識や個々人のそれまでの経験)や仕組み(別の意識との関係やそれまでの個々人が積み重ねた数々の経験同士、経験とそれを解釈した認識の関係)は複雑かつ多様である。そうした複雑かつ多様なメカニズムを読み解くことは容易ではないし、また、いくつもの調査・分析を積み重ねる過程で解明されていく問題であろう。そうした困難な問題ではあるが、これからの教育改革や制度変更のあり方について考えていくための基本的かつ重要な問いとして本章ではとらえている。

 さて、学校教育と競争といえば、子ども同士の(‘学力’や‘体力’の)競い合いを真っ先に思いがちであるが、ここでは、学校教育という社会制度における「競い合い」に目を向けている。1990年代以降、「特色ある」という形容を用いて、地方自治体、学校現場の自律性や裁量について答申が出され、議論されるようになった。実際、地方自治体も学校も「特色づくり」に力を注ぐようになり、基礎学力重視路線が打ち出されて以降もその流れは続いている。学校評価や教員評価が試行レベルであっても実施されるようになり、文部科学省による学習状況に関する学力調査も、多くの批判を浴びつつも何らかの形で継続実施となっている。全国的な展開にはいまだ至ってはいないものの、「学校選択制(通学区の弾力化)」は一部自治体では実施されているし、人々にとっても実現可能な当然の選択肢の1つとして示されている。「習熟度別の指導」についても、その実施率は6割を超えている。まさに、「競争」と「評価」と「選択の自由」を編成原理とした新自由主義的改革や制度変更が加速度的に進行しているのであり、学校教育はまさに、その渦中に“放り込まれている”と言っても言い過ぎではないだろう。

 では、子どもを通わせている保護者たちは、学校教育に競争原理を導入することそのものを支持しているのだろうか(1)。競争原理の導入、市場原理の導入、地方分権化、といった今日の改革の特徴でもあり、論争点ともなっている――あるいはもっと議論せねばならないこと――これらのことがらは、教育改革や制度変更を設計していくときの基本的な枠組みを条件付ける重要な要素でもある。本章で用いる調査でも、「教育をめぐる意見」として複数項目への賛否をたずねている。個別の、例えば、学校選択制や小学校での英語教育の実施などの改革や制度変更のメニューへの賛否意識とは別に、学校教育の社会的編成にとって基本的かつ重要な要素となる原理への賛否意識である。競争原理の導入には賛成でも、個別の、競争的と認識できる改革メニューには反対の場合もあるかもしれない。あるいは、競争原理の導入そのものには反対であっても、自分の子どもの成績向上につながるならば、提示された個別の改革メニューには賛成しているかもしれない。制度設計の編成原理へ向ける認識と個別の制度の内容そのものについていだく認識とはどのような関係にあるのか。

 以上の問題関心をふまえて、以下では、「教育をめぐる意見」としてたずねた項目の中で、「A:学校が競争すれば、学校の中に活気が生まれて教育は良くなる」と「B:学校が競争すると、成果を上げるために無理をして教育は悪くなる」に対する支持・不支持の回答状況、教育改革や制度変更への賛否意識、そして、回答者の個人属性(学歴、経済的なゆとり、子どもへの進学期待など)との関係を検討していく。


(1)新自由主義と教育改革について理論的な分析を行った児美川(2000 : 82)は、「多くの人々が抱くそうした新自由主義的な意識のありようは、当然そのまますっぽりと人々の子育てや教育に関する意識の持ち方にも『投影』されてくるということです。そして、そうした子育てや教育の意識は、先に見たような学校の現状に対する不満や不信とも重なることで、新自由主義的な教育改革の動向を許容し支持する社会的な「共鳴板」としても機能する可能性がある」と指摘している。この意味でも、保護者の学校教育に対する意識について実証的に明らかにしていくことは、社会的にも政策的にも重要な課題である。

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