東京大学共同研究「学校教育に対する保護者の意識調査2008」
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 ◆分析編◆

 第7章 保護者が抱く不安のゆくえ
      不安による離脱か、不安ゆえの協力あるいは監視か?

山田 哲也(大阪大学)



 本章では、教育状況について保護者が抱く不安が学校に与える影響について検討した。分析の結果、教育状況に強い不安を抱く人々の過半数は、学校に満足し積極的に学校に関わる、あるいは学校を信任する人々だということが明らかになった。他方でデータからは都市部の保護者で強い不安を抱く者の多くが中学校段階で地域の公立学校から離脱する可能性が示唆された。また、学校に不満を抱きつつ学校教育・学校外教育双方に目配りをする「監視・干渉タイプ」の保護者ほど、学歴階層と専業主婦率が高い傾向がみられた。教育に専念できる環境の整った恵まれた層は、地域の公立学校を利用できるうちは積極的に学校に関わり、他の選択肢が得られる時点で離脱する二段構えの教育戦略を採用している可能性がある。学校へ保護者の不信や不安が寄せられる場合には、「声の大きな」人々に対処するだけでなく、普段は表明される機会の少ない他の様々な声に耳を傾ける必要があるだろう。


 1.はじめに

 義務教育段階でも高まりつつある私立学校受験熱や、学校や教師に対する様々なクレームの増加に象徴されるように、学校教育制度に対する信頼の揺らぎが指摘されている。

 しかしながら、今なお多くの人々が学校教育を信頼し、期待を寄せていることも事実である。図表は省略するが、前回の調査(2004年実施)と比較すると、学校に対する保護者の信頼度・満足度が前回よりも高まり、これまでは学校に対して厳しい姿勢を取りがちな都市部在住者、中学生の保護者、高学歴層にこうした傾向が認められる。

 ただし、当然ながらそれらの「信頼」や「期待」が、学校に対する無条件の信任を表しているとは限らない。学校に信頼を寄せる保護者の姿勢は、子どもの教育環境の整備に腐心する「教育する家族」(広田1999)が様々な教育機関を利用するなかで、たまたま比較的良好な関係を学校と取り結ぶ間のみ示されるものなのかもしれない。もしそうだとすれば、回復したかにみえる信頼は、教育行政の基本方針や個別学校の教育活動の内容次第で変動する不安定なものに過ぎないことになる。

 学校教育の信頼回復について、別な文脈を想定することもできる。本田(2008)が明らかにしたように、教育に対して多くの資源を割くことが可能な階層に属する母親でさえも、理想論的な「家庭教育」像の桎梏しっこくのもとで全方位的な子育てを強いられ、様々な藤を抱えつつ子育てを行っている。こうした状況で教育機関に寄せられる信頼や期待は、自らの子育ての「失敗」に対する不安の裏返しである可能性がある。あるいは逆に、資源が不足している家族は、生活上の不安や困難に直面し選択肢を欠いた状況で、子どもの未来を切り開く手段として学校教育に一縷の望みを託しているのかもしれない。その場合、かれらが学校に抱く「信頼」は、教育の内容を吟味する余裕を欠いた依存・追認や盲信に近い性格を帯びてしまいがちになる。学校がかれらの要求に充分に応答できずに、保護者が不満や不信を抱く場合でも、その背後には、学校教育制度に依存せざるを得ない状況があるように思われる(久冨編1993;Lareau 2003など)。

 ここで確認したいのは、保護者が学校に寄せる信頼や期待の背後には、それらを生み出す複数の論理が存在する可能性があり、同様のことは不安や不信の広がりについても言えるということである。学校教育の信頼低下やその回復に一喜一憂するのではなく、教育を取り巻く状況について人々が抱く信頼や不信の背後にある複数の論理を丁寧に読み解く作業が求められているのではないか。

 本章では上記の問題意識のもとで、教育をめぐる状況について人々が抱く不安の諸相に焦点を当て、保護者の不安が学校教育に与える影響を検討する。具体的には、(1)誰の不安が高いのか、(2)不安意識はいかなる行動や意識と結びついているのか、(3)不安意識が高い人々は学校教育にどのように関与するのか、の3点について検討を行う。

 学校と地域社会で生じるリスクに対する保護者の認識はどのようなものなのか。その認識は、公教育に対する批判やそこからの離脱を誘発するものなのか、あるいは逆に新たな共同性・公共性を生み出す契機となるのか。データの特性を丹念にみてゆく作業を通じて、これらの問いについて考察を加えたい。

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