学校外教育活動に関する調査

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解説・提言2 担い手からみるスポーツ・芸術活動の分断と格差

5.提言〜これからのスポーツ・芸術活動の担い手のあり方

本章では、子どものスポーツ・芸術活動の担い手について、学校段階別の分断と、家庭環境や地域特性の違いによる格差について考察してきた。以上の考察をふまえて、これからのスポーツ・芸術活動の担い手のあり方について、短期的・長期的な課題を提案して、本稿のまとめとしたい。

(1)短期的な課題〜格差の解消

短期的な課題としては、格差の解消が求められる。スポーツ・芸術活動の役割について、個人レベルで考えてみると、次の2点が挙げられる。

第一に、保護者が子どもにスポーツ・芸術活動を経験させることが大切だと考えているのは、スポーツや芸術が豊かな心を育てると考えられているからだろう。豊かな心とは、感受する心と表現する心ではないだろうか。私たちは、スポーツや芸術を通して、相手の感情を受けとめたり自分の気持ちを伝えたりしている。だから子どもの頃からスポーツや芸術に触れて自分の心を開く経験を積んでいくことは大切なことなのだ。

第二に、子どもが将来、学校を卒業して職業に就き、社会的地位を得ていくにあたっては、一般的には学業成績が重要な要素となっている。だからこそ学習の機会をめぐる格差が社会問題となっているのだ。しかしながら、かつてフランスの社会学者ブルデューが、親の社会的地位が子どもに引き継がれるのは、経済的な裕福さよりも文化的な経験やそれを通して身につける振る舞い方や習慣によるとする文化的再生産という考え方をデータに基づいて論じた4)。子どもの頃のスポーツ・芸術活動の経験の多寡が、将来の職業選択や社会的地位の獲得に影響しているというのである。

人間形成のうえでこのような役割をもつスポーツ・芸術活動の機会に、家庭環境や地域特性の違いによって格差があることは望ましくない。家庭環境や地域特性の違いによってスポーツ・芸術活動の機会に差が生じないように、担い手の環境整備を進めることが求められる。

(2)長期的な課題〜分断の解消

長期的な課題としては、分断の解消が求められる。スポーツ・芸術活動の役割について社会レベルで考えてみると、スポーツ・芸術活動は人々のまとまりの核になっていると考えられる。

私たちは、いつの時代でも、どんな国や地域などの社会でも、人々のまとまりをつくって生活してきた。そのまとまりの核となるような場は、日本の場合、明治以前なら神社や寺だったし、20世紀の大半の時期には学校だった。しかし、21世紀になった近年では、学校の統廃合が進められたり学校選択制が導入されたりして、以前ほど学校は人々のまとまりの核としての役割を果たせなくなってきている。

このような社会状況にあって、今後、たとえば30年先の日本社会を見据えたときに、学校のかわりとしての役割を期待できるのが、スポーツ・芸術活動の場ではないだろうか。そもそも、神社や寺も学校も、人々が集まる「居場所」であり、神様に祈りを捧げたり勉強したり「する」場でもあったが、同時に、お祭りをしたり運動会や学芸会をしたりと、スポーツ的な活動や芸術的な活動を「する」場でもあった。

神社や寺のような血縁や地縁、学校や終身雇用制の会社のような社縁の拘束力が弱くなり、個人が自分の居場所や仲間を選択できるようになってきた社会にあっては、スポーツ・芸術活動それ自体が「居場所」となって人々のまとまりの核としての役割を果たすことが期待されるのではないだろうか5)。そこで、スポーツ・芸術活動の場が学校段階ごとに分断されないように、担い手の環境整備を進めることが求められる。

<参考文献>
4) 文化的再生産の考え方については下記に詳しい。
ピエール・ブルデュー 1990 『ディスタンクシオンT・U』石井洋二郎訳、藤原書店。
ピエール・ブルデュー、ジャン=クロード・パスロン 1991 『再生産』宮島喬訳、藤原書店。
5) 藤田英典が、下記文献において、従来の血縁、地縁、社縁に基づくコミュニティのあり方に対して、これからのコミュニティのあり方として趣味縁という考え方を提出している。
藤田英典 1991 『子ども・学校・社会』東京大学出版会。

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