ベネッセ教育総合研究所
特集 教師の「授業力」向上のために
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教師が教えたいことを教えたのでは授業にならない
秋田 カリキュラムの系統性がわかっていれば、本質的なところに切り込んでいける。ポイントをはずさないで全体を効率的に学ぶことができるということですね。ところが、教科書にそってすべての内容をこなすことにこだわってしまう先生も少なくないようです。
今泉 常に「この教科では何を学ぶのか」という教科の本質論が問われていると思います。私は、教科書から始めることはほとんどしません。漢字一つ教えるのでも、説明文を読む場合でも、教科書は開かず推理と想像から入ります。例えば説明文の場合、タイトルの「アリの行列」という言葉だけで、内容のかなり重要な部分が想像できる。そうすると、さらに深い読みができるんです。私は、10年ほど前から、「教師が教えたいことを教えたのでは、授業にならない」と思うようになりました。山登りに例えれば、山頂までロープウェーで子どもたちを連れていったのでは、子どもたちの足腰は鍛えられません。自分の足で登って、途中道に迷い、そのつど後戻りしながら、ようやくたどり着いてこそ、脚力や判断力もついてくる。学習も同じで、そのプロセスを省いてしまうと、豊かな学びにはならないと思うんです。
秋田 そういう授業は、積み上げ型ではなく、昔ながらの「ねり上げ型」ですね。でも、クラスにはいろいろな子がいます。その一人ひとりにそのプロセスを踏ませるというのは、ハードルの高いことだと思います。
今泉 私は共同の学びが大切だと思っているので、グループで論議をさせています。先ほどの一本の線を描くことから始める社会科の授業でも、グループに分けて論議させていくと、いろんな問いや意見が出てくる。普段発言しない子も、グループでなら発言しやすい。あまり「できない」と思っていた子が、本質的な疑問や予想を超えた考えを口にする。そういう対話と討論のなかで、問いがみんなのものとなり、多様な考え方が生まれる。そこが大切なのです。もちろん、子どもたちから出されなくても、これだけは絶対に必要だと思う問いは、教師から発問します。でも、それが答えだけを求める単純な問いに終わってしまっては、学びにはつながりません。子どもたちのなかに対話や討論が生まれるようにしていくことが必要だと感じています。子どものちょっとしたつぶやきを取り上げたりすることで、学習はグーンと豊かになっていきます。そのような努力によって、授業力はアップしていくのだと思います。
秋田 ところで、指導案はどうされていますか? 授業には綿密に指導案をつくって臨むべきだ、という考え方が根強くあるように思います。
今泉 指導案が綿密すぎると、かえってマイナスに作用してしまいがちです。せっかくいい発言が出てきても、想定していた指導案に合わないからといって、「そんな意見もあるね」と、さっと流してしまう研究授業なども見られます。
 指導案は、教材そのものの解釈、なぜそれを学習するのか、自分はどう考えるのかさえしっかり書いておけば、あとはごく簡単でいい。もちろん、頭のなかでは、いくつかの授業展開を描いておきます。それでも実際には、予想外の方向に流れていくことがありますが、かえって最初に描いていたものより面白い学びができる場合が少なくありません。予想しない発言が出たら、どう解決すればいいのかを教師も子どもと一緒に考えればいい。教師は一瞬一瞬を生きる仕事です。その力がついてきたら、授業が本当に面白くなってくると思います。
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