教育フォーカス

【特集12】ICTメディアで変わる中高生の生活世界

[第2回] 二つの時間を過ごし分ける――少年少女の「社会」変容 [4/4]

6.ネット社会でのお喋りはストレスのもと?

私的領域での利用に、いわば特化したネット社会での行動を最も鮮明に映すのは、言うまでもなくLINEであり、LINEを用いての友だちづきあいである。LINEを利用することで友だちづきあいがどう変化したかは、いま関心を集めている主題だが、ここでもリアル社会とネット社会という二つの社会を想定する方法論上の仮定に立って検討しよう。LINEによるコミュニケーションがリアル社会の人間関係を濃密にする、ストレスを増大させる…といったとらえ方では、リアル社会の友だちづきあいが「至高の現実」(paramount reality)として前提されており、ネット社会でのつきあい方に特有の関係様式をそれとしてつかまえる視点が薄くなる。リアル社会に産まれ、そこで日々つくられる友人関係と、同じメンバーからなっていても、ネット社会での友だちづきあいは、リアル社会の単なる延長ではなく、関係の仕方も内実もちがうかもしれない。また、ネット社会に特有と感じられるつきあい方が、実は、リアル社会での友人関係が変容していることと関係しているかもしれない。この場合、ネット社会だからそうだと感じる関係は、逆に、リアル社会の延長線上に位置することになる。二つの社会の、そうした動的な関係を見出すことが重要ではないか。

LINEの特徴は、たがいにお喋りをしているかのようにつながれる点にあると考えられている。たくさんのやりとりが続き、読まずに溜まるのを避けようとすると、それだけ時間が取られ、スマホをいじる時間が増える。長い利用時間の背景にそうした事情があることはよく肯ける。ただし、リアル社会でのお喋り時間が流れてゆくのに対し、「溜まる」現象は、LINEコミュニケーションに「せき止め」(離脱)効果があることを示唆する。「読まずにいる」ことが生じさせる効果で、リアル社会のお喋りにおける、「その場にいない」か、「いても話に加わらない」のと同じ意味作用を持つ。多数派の中高生が、「メールが来たらすぐに返事を出す」と回答している(「とても+まあそう」中学生63.3%、高校生59.8%(ネット利用者)。)のは、その意味では当然だろう。

メールの返事をせき立てられる感覚も、「やりとりが嫌になる時がある」(「とても+まあそう」高校生51%)も、ネット社会でのコミュニケーションの濃密さとして理解されることが多い。LINEやツイッターでのやりとりにともなう配慮、スキルが必要と感じられていることはたしかで、グループの組み方やアカウントの使い分けなど、ケータイ、スマホでのつきあいのため編み出された技があることも事実だ。ただ、それら全部がネット社会のコミュニケーション特有の濃密さと考えてよいかどうか、一考を要する。「せき止め」効果がある、とは、リアル社会で一緒にいて話しかけられた時とはちがう「すき間」があるということ。「すき間」がいかに狭く、密度の濃いコミュニケーションになっているかだけを見ると、見落としてしまうことがあるのではないか。「メールが来たらすぐ返事」という感覚にしても、だから返事がすぐに来ないとイライラするかというと、必ずしもそうではない。(「メールが来たらすぐ返事」の「とてもそう思う」層でも、「メールをしたのに返事がないといらいらする」に「とてもそう思う」と答えた高校生は11.5%に過ぎない。)なるべく、早めに返そうとは思うが、返事がすぐに来なくても、それはそれで許容度がある。タイムラグを認めているということだ。リアル社会でお喋りしている時、リアクションがないこととはちがう。ネット社会でのコミュニケーションが持つせき止め効果は、「どう返すか考えた上で返事できる」余白の存在を示唆している。LINEがせわしない、口の挿みどころが難しいという感覚(LINEの方がリアル社会のお喋りに近いだけ面倒で、ツイッターの方が楽)はもちろんあるだろうが、それはリアル社会でのお喋りと同様であって、ネット社会のコミュニケーション特性を考える上では、むしろ、「間のおき方」がどんなかたちで存在しているかみてゆくことも重要だと感じる。

7.リアル社会の友人関係は?

このように考えると、リアル社会でのコミュニケーションがどう変容しているか、そちらの方が気になってくる。お喋りの場での「余白」の有無、扱われ方、かたちはどうか、友だちグループのつくられ方はどうか…といった点を固定的にとらえ、「生身のコミュニケーション」をステロタイプ化してはいないか。ICT利用の実態を見ることは、逆に、リアル社会でのコミュニケーション変容をとらえる手がかりとなるのではないか。LINEに代表されるネット社会でのお喋り型コミュニケーションの煩わしさ、ストレス――それぞれ割合はちがうが、「すぐ返事する」(「とても+まあそう」高校生(ネット利用者)59.8%)「終えるタイミングが難しい」(同40.4%)、「やりとりが嫌になることがある」(同51.6%)といった回答から示唆される――は、むしろ、リアル社会でのお喋り(友だちづきあいのコミュニケーション)が抱えている困難の「転移」であるのかもしれない。ここから先はICT調査の範囲外になるが、リアル社会でのお喋り型コミュニケーションとその基盤となっている友だちづきあいに、ネット社会でのお喋り型コミュニケーションの煩わしさにつながる特有の難しさ(この点の指摘は土井隆義氏等、多くある)が想定できそうだ。

また、リアル社会の友人関係では、ひょっとすると、お喋り型コミュニケーションの場自体を限定しておく「工夫」がなされているかもしれない。ネット社会で連絡を取り合う友だちグループが、クラス、部活といった大ざっぱな区切りだけでなく、各人のメンテナンス方略(友人関係を問題の生じないよう調整・編成して、自分のポジションがあるシャカイ圏をつくる心理的・実践的方策)にそって多様に編成されていることは、リアル社会での友人関係が、何らかの「指針」にしたがって組み立てられていることに関係しているかもしれない。人と話したり会うことが面倒だと感じる高校生(「よくある」+「時々ある」)でも半数以上(61.9%)は、友だちと出かけることが、「よくある」ないし「時々ある」。面倒だから話さない、会わないというわけにはゆかない関係で、つきあい方が工夫されるのは当然だろう。単純に機能別の「つきあい分け」ではないにせよ、葛藤やトラブルを避けるやり方が育つと考えるのは自然である。

8.二つの世界を棲み分ける共通感覚

ネットやメールの賢い使い方として、普通、イメージされていることがらは何か。

ICT利用が避けられない以上、ネット社会で生じるトラブル、危険を避ける知識を持ち、行動して欲しいという点が一つ。長時間のスマホ使用など、ネット社会に浸りすぎ、リアル社会での生活に影響が出ぬよう、節度を持った利用の仕方をして欲しいということがもう一つだろう。後者について、「節度を持った利用」とは、ネット時間、リアル時間をよく意識して、「現実の生活」に支障がないよう、ICT利用を自分でコントロールできることだ。勉強時間中のネット利用をみると、総じて、そうした節度ある利用になっていると言える。音楽を聴きながら勉強する中高校生にとって、スマホから流れるBGMは現実の勉強時間を効果的にする手段で、そういうICT利用を依存とは考えないはずだ。言い方を換えれば、何が利用で何が依存かを見極めるのはそう簡単ではないとも言える。

「節度を持つ」ことが、ICT利用の時間、リアル社会で振る舞う時間それぞれを区分し、両者の関係を調整する、より高度な意識(メタ自己)をはたらかせることのように考えるのは、少しちがうのではないかと感じる。このモデルでは、リアル社会の優越が初期設定に組みこまれた「高度な意識」(メタ自己)が想定され、そのはたらきが期待されている。今何が大切か、何が必要かを、リアル社会の一元的な秩序にもとづいて判断し、ネット社会での振る舞いも、それにもとづいて調整するというモデルである。「好きな人に告白する」のに「直接話す」高校生がざっと3分の2(65.8%)で、「それはまあそうだろう」と感じる。ただし、ふだんのメール(SNS含む)の利用に対して「直接話すよりもメールの方が気持ちをつたえやすい」とは、「あまり+まったく」感じない高校生でも1割以上(12.2%)が、告白にはメールを使うと答えている(「とても+まあつたえやすい」層では28%)。この場合、リアル社会の優越が初期設定に組みこまれているメタ自己のような次元は想像しにくい。告白手段の選択で「メール」が「直接話す」の4分の1(16.9%)に達する結果からは、メールもまた感情をこめてつたえるコミュニケーションの有力な手段であることがわかる。ネット社会という想定をおくと、その社会にふさわしい「体験」とこれを感受する仕方があるのではないかとの推測が成り立つ。

ネット社会でのリアリティ認知とリアル社会でのリアリティ認知それぞれの次元/領域があるとすれば、それらを折り合わせる調節器のようなはたらきをどうとらえるかという問いが生じる。リアル社会、ネット社会という二つの社会・時間を過ごし分け、それぞれのオン/オフをコントロールする調節器である。仮に調節器と呼んだが、二つの社会を経験的に感知するセンサーを備えていなければならないという点では、身体化された共通感覚(コモン・センス)のようなはたらきであり、技法として編み出され、変化するはたらきである。リアル社会を固定的にとらえ、ICT利用の利と害を論じるのではなく、二つの社会、二つの時間を過ごし分ける少年少女のそうした共通感覚を探ることでICT利用の位置をとらえることが必要ではないだろうか。

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