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対談:安西祐一郎氏に聞く「日本の教育課題と展望2013」全3回連載

【第3回】ICTによる学びの変革とグローバル社会に必要な教育 [4/4]

新井  文科省の学びのイノベーション事業は、新しい学びの可能性を検証しているのだと思いますが、実験校数としてはごく僅かです。これらのモデルをどうやって普及レベルまで広げていくかという戦略が無いままだと、結局モデルを作った歴史しか残らない気がします。ICT化の普及戦略についてはどのようにお考えでしょうか。

安西  理念的にはボトムアップで広がるべき話なのに、それが広がらないところが問題ですね。広がらない理由の一つは、学生、生徒、児童が自分で主体的に教材やデータを探して取り組むという学習方法が普及していないことにあるように思います。

例えば、「日本から海外への留学生数が激減していると言われているが、それは正しいか」という問題を与えられた学生はどのように取り組めばよいでしょうか。

海外留学者数の推移

図2 海外留学者数の推移

ここ10年の日本から海外への留学生データを調べてみると、アメリカとイギリスへの留学生を除くと、その他の国への留学生はごく少数の国を除いて実は増えています。たとえばドイツ、フランス、中国、韓国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどへの日本からの留学生は増えているのです。そういう事実があるにもかかわらず、全体の数だけを見て、海外留学が減ったと言います。あるいは、他人が海外留学者数激減と言っているのをそのまま鵜呑みにして、若い世代は元気がないと決めつけてしまうことも多いのではないでしょうか。留学者数が全体として減っていることは事実なのですが、全体数が減っているほぼ唯一の要因は、米英への留学者が減っていることで、したがってなぜ米英だけが減っているのかを問題にしなければならないのです。

どのデータからどういう結論を合理的に導き得るのか、データをどのように探すのか、また、そのデータが信頼できるかどうかをどのようにして知るのか、そういうことについて勉強すべきですね。海外留学者数激減の真相は一つの例ですが、いくつかの例題を使って学習すれば、調べ方、分析の方法が分かります。しかし、そういう教育の仕方は今までほとんど取られていません。だから、多くの人がデータに基づいた合理的な思考方法を身につけていない。大人の人たちも、多くはほとんどそういう思考方法のトレーニングをしたことがないと言ってよいではないでしょうか。

ようやくモデル校の先進事例が全国で広がらないのか、ということに話が繋がりました。つまり、どうして広がらないのかというと、学校現場の教育が閉じていて、指導要領や教科書に書いてあることだけを昔ながらの教育方法で教えればいいという状況になっていることが多いからではないでしょうか。

新井  学習指導要領と教科書のパッケージができすぎているのでしょうか。

安西  それもあるでしょうが、社会の現状や人間活動のありかたを合理的な思考によって理解する学習方法を、もっと積極的に授業や課外活動に取り入れるべきだと思います。いずれにせよ、初等中等教育を通して、未来ある子どもたちが自分で達成感を感じ取り、社会のことを知り、主体的に考え、活動し、チャレンジしていけるような場をつくっていく必要があります。そして、大学に行きたい学生のためには、志願者ひとり一人が自分で培ってきた力や経験を活かして自分に合った大学を目指すことのできる、いろいろなルート(大学側から言えば選抜方法)を用意しておいてあげることがとても大事ですね。教育界全体として、すでに実践の段階に来ていると思います。

安西先生&新井

■ 編集後記 ■

分単位でスケジュールが埋まっている安西先生。対談場所に来られて早々の簡単な打ち合わせでお伝えできたのは、論点と全体の流れのみ。それにもかかわらず、安西先生は「日本の教育課題と展望」という極めて大きいテーマについて何のメモも見ず静かに、しかしまったく言い淀むことなく私たちに語り始めた。

全3回の連載でお伝えしたように、日本学術振興会のトップらしい幅広い見識をお聞きすることができた。ご自身が前慶應義塾長でもいらしたためか高等教育の現状には厳しい評価をされる半面、改革のための実践や提言には当事者としての責任感が伝わってきた。初等中等教育に関しては、経済格差への配慮やICT化・グローバル化の目的の明確化が重要であることを再認識させられた。

また、安西先生は人の心と社会の在り方についても研究されてきた。どんな場面でも相手の気持ちを理解することをとても大切にされているのが印象的だった。国を代表して国際会議を本当に仕切ることが出来る、つまり、人格的にも実績的にもリスペクトされている日本人は様々な分野でまだ多いとは言えない。だからこそ、国際経験も豊富な安西先生が語られる日本社会や教育の良い点も改善すべき点も、英語力の意味もリアルで説得力があった。日本の教育をより良くするためにできることは何か。それはやはり、私たちの社会が持っている強みを磨き、課題解決に結びつけることではないか。明治維新や戦後復興など幾多の試練を乗り越えて、国を作ってこられたのは間違いなく日本の教育の成果だったのだから。

石坂貴明
ベネッセ教育総合研究所 ウェブサイト・BERD編集長  石坂 貴明

デベロッパーにおいて主に北米でリッツカールトンやフォーシーズンズとのホテル開発に従事。ベネッセコーポレーション移籍後は新規事業に多く関わる。ベネッセ初のIRT(項目応答理論)を使った語学検定試験である中国語コミュニケーション能力検定(TECC)開発責任者、社会人向け通信教育事業責任者等を経て、2008年から(財)地域活性化センターへ出向し移住・交流推進機構(JOIN)事務局および総務省「地域おこし協力隊」制度の立ち上げに参画。2013年より現職。グローバル人材のローカルな活躍、学びのデザインに関心。
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