教育フォーサイト

対談:為末大氏に聞く「スポーツと教育の未来」全2回連載

いま日本が目指す教育とは何か
急速にグローバル化が進む社会で求められる人材像とは
子どもの学びはどのように変わっていくのか、教師はどうあるべきか
これからの教育を各界の第一人者に聞く「教育フォーサイト」。

第二弾は「男子400メートルハードル」種目で、世界陸上の2大会において銅メダルを獲得する偉業を達成した為末大氏がゲスト。為末氏は現在、コメンテーターとしてテレビに出演する一方、指導者としても全国各地で陸上イベントを企画するなど、陸上競技の普及に取り組んでいる。
聞き手 : ベネッセ教育総合研究所理事長・新井健一

【前編】トップアスリートの条件 [1/4]

 パフォーマンスを左右するメンタルコントロール

新井 世界陸上やオリンピックを見ていてまず思うことは、あのような大きなレースを走る直前の心理状態はどのようになっているのかということなのですが、とても想像がつきません。為末さんは、どのように感じていましたか。

為末 緊張を凌駕する、とんでもない世界を感じました。でもそれは、子どものとき人前でしゃべる時や運動会の時に感じたドキドキしたという緊張の延長線上であるのは間違いないです。急に違う世界がやってくるわけではないです。ただ、重圧の量とか、そのレースに至るまでにかけている時間と努力は、運動会に比べるとはるかに大きいですから、不安も大きいですね。オリンピックの場合、アスリートはおよそ十数年間の努力があって、それでいよいよ「これが夢の舞台だ!」というわけですから。不安には「長い期間厳しい練習をやってきたのに、ここで失敗したら水の泡だ」という過去から現在までのものと、「ここで失敗したらこれから何を言われるかわからない」「今後その失敗を言われ続ける」という、未来にかけてのものがあります。さらに「ここで失敗したら自分で自分を許せそうにない」という、自身の評価に対する不安もあり、それらが渦巻くのです。

いい心理状態のときは、緊張状態から徐々に「今の自分にできることしかできない」という、ある種の開き直りみたいなものが出てきます。それで、しだいに想像力が外に向かなくなり「今」に集中できます。そういうときは、パフォーマンスが高いですね。さらにそれがうまくハマってくると、ある種没頭したような状態に入って、「気がついたらレースが終わっていた」というときもあります。

新井 為末さんは数々の大レースを経験されているわけですが、それでもうまくコントロールできないことはあるのですか?

為末 そうですね。選手はレースの日程に対しては受け身ですから、エンジンがかかっていないのに出発しなければならない日とか、心の準備ができていないのに出なければならないときはあります。「この日にスタートするよ」と決められると、その日に向けて自分を調整していきますが、イケイケ状態のときよりも、どこかに不安があるときの方が多いです。その不安とうまく折り合えずにスタートしてしまうこともあります。ただし、そうしたレース前までの不安はまだいいのですが、走っている最中の不安・迷いというのはよくないですね。

新井 走っている最中にも不安があるのですか?

為末 あります。走っている最中の不安・迷いはパフォーマンスを凄く下げます。

為末 大氏

為末 大

ためすえ だい ●2001年エドモントン世界選手権において、400メートルハードル種目で日本人初のメダリストとなる。また、2005年ヘルシンキ世界選手権でも銅メダルを獲得。引退後は、2010年、アスリートの社会的自立を支援する「一般社団法人アスリート・ソサエティ」を設立、代表理事を務める。さらに、2011年、地元広島でランニングクラブ「CHASKI(チャスキ)」を立ち上げ、子どもたちに運動と学習能力をアップする陸上教室を開催。また、東日本大震災発生直後、自身の公式サイトを通じて「TEAM JAPAN」を立ち上げ、競技の枠を超えた多くのアスリートに参加を呼びかけるなど、幅広く活動している。著書に「日本人の足を速くする」(新潮社) 、「走る哲学」 (扶桑社新書) 、「走りながら考える」 (ダイヤモンド社)、 「負けを生かす技術」(朝日新聞出版)、「諦める力」 (プレジデント社) ほか多数。

新井 例えば400mハードルだと、タイムは40~50秒ですよね。その短時間に不安になることがあるのですか?

為末 あります。例えば「あれ、こんなペースでよかったっけ?」という、迷いにも近い不安が1回でも出ると、そのレースはだいたいダメですね。レベルがあまり高くないレースであれば何とか勝てますが、世界レベルまでいくと心に乱れが出ている時点で結果は厳しいです。

新井 トップアスリートに求められる資質・能力の中で、不安をコントロールする力はかなり重要だということですね?

為末 そうです。「生まれつき勝負強い」という人もいると思いますが、後天的に学習する面もあり、自分の性格のくせをつかんで自分らしい戦い方に持っていくのが一番いいと思います。中には、日常の練習では人並みでも、本番に強いというタイプの人がいます。逆に、いざというときに力が出せないタイプの人間もいます。そういう人は、勝負弱さがコンプレックスになるので、「僕も勝負強くなりたいから、あの人の真似をしよう」と他人の真似をするのですが、人間の根幹の性質は変わらないので、どこかチグハグになります。

ページのTOPに戻る