教育フォーサイト

いま日本が目指す教育とは何か
これからの教育を各界の第一人者に聞く「教育フォーサイト」。

今回はMistletoeファウンダーの孫泰蔵氏に話を聞いた。


千葉県柏市柏の葉に、子どもたちが創ってみたいモノ、挑戦してみたいコトに自由に取り組めるクリエイティブフィールド「VIVISTOP柏の葉」があります。パソコンやタブレットはもちろん、ノコギリやミシンなどの身近な道具から、3Dプリンターやレーザーカッターといった最新機器までがそろい、木材やダンボールなどの材料も多種多様に用意。ロボットやアプリケーション、アニメーション、絵本、洋服など、子どもが自分のアイデアを自分の力でカタチにしていく場所です。

孫泰蔵氏講演資料より

2017年3月にこの施設を立ち上げたのが、イノベーションを興す起業家を国内外問わずに支援している孫泰蔵氏です。現在、世界15か国、約170社のスタートアップにかかわる一方、「VIVISTOP」のほかに、世界中のサイエンス好き高校生が集まる研究所「Manai」、遊びながら英語を楽しく学べる「ファンファンラーニング」など、様々なカタチの教育活動を支援しています。

豊かな社会創造につながる活動を精力的に展開している孫氏が、なぜ教育に大きな関心を寄せているのか、今どのような教育が必要だと考えているのか、お話をうかがいました。

 子どもが遊びを通じてイノベーションを学べる場を


 ―「VIVISTOP」は、どのような目的でつくられたのでしょうか。

孫泰蔵氏

孫 泰蔵

Mistletoeファウンダー。日本の連続起業家、ベンチャー投資家。大学在学中から一貫してインターネットビジネスに従事。その後2009年に「2030年までにアジア版シリコンバレーのスタートアップ生態系をつくる」として、スタートアップのシードアクセラレーターMOVIDA JAPANを創業。そして2013年、単なる出資に留まらない総合的なスタートアップ支援に加え、未来に直面する世界の大きな課題を解決するためMistletoeを設立。その課題解決に寄与するスタートアップを育てることをミッションとしている。

 「VIVISTOP」のコンセプトは、「ノーカリキュラム、ノーティーチャー」です。子どもたちが自分たちの手でつくり、楽しかっただけで終わらせずに、社会に働きかけて、その結果、何かが変わったと実感できる、遊びを通じてイノベーションについて学べる環境を目指しています。主役は子どもです。大人は、「教える」のではなく、子どもの挑戦をサポートします。

いつまでにつくるといった制限もなく、子どもたちがつくる楽しさをとことん追求することを大事にしています。それが、自分にもできるという自信や、アイデアの実現に向けてどこまでも努力できるという起業家精神につながるからです。小学生以上の子どもを対象としていて、会員登録をすれば無料で利用できます。現在、会員は700人余りです。


 ―無料とはすいぶん思い切ったことをされました。

 どんな子どもにもチャレンジしてほしいと思い、無料としました。また、お金を取ると、子どもも保護者も「お客さん」として受け身になりがちです。意欲こそ、人を動かす原動力です。それを大事にして、自分のやりたいことを真剣に追求してほしいという思いがあります。

サポーター役には、コンセプトに賛同してくれた様々な分野のプロフェッショナルや地域の人たち、大学生のインターンが参加しています。


孫泰蔵氏講演資料より

 ―「VIVISTOP」は学校や塾とは全く違う学びの場ですが、そもそもなぜ教育に関心を持たれたのでしょうか。

 これまで数え切れないくらい、実に様々なタイプの起業家と会ってきました。その中で一つ気づいたのは、インドやアメリカなどでは壮大なビジョンを描く人によく出会うのですが、日本や韓国、シンガポールなどではほとんど出会わないということです。その理由を考えると、階級社会のインドや移民の多いアメリカでは、問題がプリミティブで、かつスケールが大きく、それを解決しようとする人には大局的な視点が自然と身につくのではないかと行き当たりました。経済的に恵まれ、洗練された社会であるのはよいことですが、現状に満足し過ぎる傾向もあるのではないかと考えるようになりました。

孫氏も5歳児のお父さん。お子さんが生まれたことも
教育について深く考えるきっかけとなった。

東日本大震災も、教育に目を向ける大きな契機となりました。現地で支援活動をして気づいたのは、企業ではそれぞれに活躍しているはずの人たちが、災害時にあまりにも無力で、生きていく力の弱さが露呈していたことです。自分でつくるよりも、スーパーやコンビニ、量販店などで購入した方が早くてよいものが入手できるようになり、その結果、商品を選択するだけの消費者となってしまったからでしょう。

自給自足のスキルがない。それは漠然とした不安を生み、社会にしがみつくことしか選択肢がないと思い込み、自尊感情を失わせていきます。そこに、これからどんどん進化するAI(人工知能)が入り込み、すべてを自動的にしてくれて、何も考えなくてよくなってしまったら、人間はいったいどうなってしまうのかという疑問が膨らんでいったのです。


 AI進化の「罪」を決して見逃してはいけない


 ―科学技術の進化は、社会をよりよくする肯定的な面だけではないということですね。

 科学技術の進化は、日常の光景を一変させてしまうほど大きな力があります。私がよく例にするのが、自動車の登場です。1908年、アメリカで自動車が大量生産されるようになり、一気に車社会となりました。1900年のニューヨーク5番街の写真を見ると、自動車は1台しかなく、あとはすべて馬車なのですが、1913年に同じ場所で撮影された写真には、逆に馬車が1台しかなく、道路は自動車であふれています。この光景を成立させるためには、単に自動車が売れたというだけでなく、交通に関する法整備、信号の設置、ガソリンスタンドの普及と、社会が一気に動かなければなりません。

それと同じように、今後、AIとロボットの進化によって、日常の光景が大きく変わっていきます。AIを搭載した電化製品は既に実用化されていますし、来年、自動運転車がアメリカ・サンフランシスコ市内で商用化サービスされる予定です。

AIの進化はあまりにも早く、日々最先端技術に触れている私でも驚くほどです。しかし、社会のあり方や私たちのマインドセットは、急激には変われません。技術の進化に追いつかず、ひずみを起こすのではないかと危惧しています。


 ―具体的にはどういった懸念でしょうか。

 私が最も懸念していることの一つは、ITによってイノベーションが加速し、グローバル化が進み、経済の格差がさらに拡大することです。

思想家のバックミンスター・フラーは、著書『宇宙船地球号操縦マニュアル』で、地球を宇宙船になぞらえて、「同じ船に乗っている住民なのだから、一つしかない地球を壊してはいけない」と警鐘を鳴らしました。それをきっかけに、地球規模での環境問題が語られるようになりました。ディズニーランドのアトラクション「It's a small world」は、ウォルト・ディズニーがフラーの考えに共鳴してつくられたと言われています。

「世界は一つ」の考えは、経済にも浸透していきます。特に90年代以降、世界レベルで経済の流動性を高めようと、アメリカが中心となって規制緩和が進められていき、世界が一つのマーケットとして形づくられるようになりました。そこに、ITの進化を背景に、アマゾンやグーグルなどの巨大な多国籍企業が生まれ、過度な資本主義が進んでいます。

「世界は一つ」となることで、地球環境を守ろうという「功」がある一方、巨大な多国籍企業が日常生活の隅々まで入り込んだ結果、地域に根差した産業が廃業に追い込まれ、地域経済が衰退するといった「罪」が起こるのです。


 ―外国から安い家具が輸入され、日本の木材が売れずに、森が荒れ放題という話も聞きます。

 「功」があるから、「罪」が許されるのではなく、しっかり向き合う必要があります。私が「罪」を防ぐためのヒントになると考えているのは、生物学者であり哲学者でもあったヤーコプ・フォン・ユクスキュルが提唱した「環世界」の考え方です。ユクスキュルは、物理学的には一つの事象であっても、それに対する知覚的な捉え方は、馬や犬、人間など、種によって全く違うものであり、種固有の世界の捉え方があるのだと考え、それを「環世界」と名づけました。

この「環世界」を踏まえて、私が考えたのは、それぞれ地域の価値観を持ち、地域の原理で、地域を動かしていく。その地域が無数に集まって、大きな一つの世界となる。つまり、"Small Worlds"と"The Big World"という捉え方です。"The Big World"で動かした方がよいこともあるでしょう。ただ、日常的なものは、"Small Worlds"で動かせるようにし、両方が調和した世界をつくりたいと考えています。

科学技術は、"The Big World"をつくるためだけのものではなく、個人の力を高めることにも利用できます。例えば、3Dプリンターを使えば、大資本の工場でしかつくれなかった製品を自分の家でつくれるようになりますし、AI搭載の家庭用ミシンができて、データを入れると立体的に洋服をつくることもできます。衣食住を自分たちでつくる方向に技術が進化しているとも言えるわけで、私はそうしたスタートアップ企業を数多く支援しています。


 子どもの意欲を引き出す経験主義の教育が必要


 ―そのような社会では、どういった力が必要になるのでしょう。

 社会の変化とともに、人々が身につけるべき力は変わります。19世紀は読み・書き・そろばん、20世紀は多様で正確な知識が、社会を生きていくために必要でした。それが、AI が席巻する21世紀にはどのような力が必要になるのか。

私は、「自ら未来を切り拓く力」だと考えています。具体的には、クリエイティビティ(創造力)、クリティカル・シンキング(問う力)、コミュニケーション(対話力)、コラボレーション(協調力)の「4つのC」です。また、「VIVISTOP」の設立時には、「VIVITA スキル」として、「0から1をつくる力」「グリット」など8つの力を育てたい力に挙げました。


孫泰蔵氏講演資料より

ただ、それらの力は、最初から育成するのを目指すのではなく、何かに取り組んだ結果、身についているものだと捉えています。ほとんどの教育では、○○力を育成するためとして論理的にカリキュラムを作成しています。しかし、そのプロセス自体がクリエイティブとは言えません。自分が楽しいと思うことに取り組み、夢中になって学び、その結果、身につくのが、○○力なのです。

最も重要なのは、楽しさです。楽しさこそが人のモチベーションをドライブするからです。


 ―今の子どもたちには主体性や意欲が低いと言われていますが……。

 私の実感としても、小学生にはやりたいことがあって、モチベーションも高いのですが、中学生、高校生と進むにつれ、「何をすればよいのか分からない」という子どもが増えています。クリエイティブ・フリーダム(創造的自由)は、小学校では高いのですが、中学校、高校と進むにつれて下がっていくと思います。残念ながら、これまでの教育システムのあり方が、主体性の芽をつんでいる可能性が高いと言わざるを得ません。

今の学校は、教育内容を段階的に追って系統的に指導する「系統主義」に則っています。そうすると、クリエイティブ・フリーダムがほとんどありません。本来、子どもの発想を生かした体験を個々に積みながら、必要に応じて知見を獲得する「経験主義」も必要だと思います。そうした現状を変えたいと考え、「VIVISTOP」をつくりました。


孫泰蔵氏講演資料より

 ―モチベーションは、幼少期から育てていかなければ身につかないという考えもありますが、小学生や中学生からでも獲得できるものでしょうか。

 「VIVISTOP」のオープン前に、ものづくりに関する系統的な内容の基礎講座や好奇心を刺激するプログラムを入れるかどうか、スタッフで議論しました。結果的に入れずにスタートさせましたが、つくりたいものに困っている子は一人もいません。参加が自由なので、ぱたっと来なくなる子もいますが、やりたいことができればまたやってきます。子どもたちは、やりたいことと意欲に満ちあふれていて、ものづくりを通してどんどん成長していっています。


 ―そうすると、系統的な学習は必要ないとお考えですか。

 経験主義だけでは、うまく進まない場合もあるでしょう。例えば、「VIVISTOP」の前にある広場に「ジェットコースターをつくりたい」と子どもたちがプレゼンテーションしてきたことがありました。「危ないから無理だよ」と私が言うと、子どもたちからは「なんで? いつもなんでもできるって言うのに」と言われてしまい、でも、やはりケガの危険性があるので、リスクマネジメントの考え方を教えました。すると、自分たちで調べて、リスクファクターを65項目挙げ、そのソリューションを提示してきました。それが実によくできていて、即、ゴーサインを出しました。


 ―経験主義と系統主義のバランスが重要ということですね。

 自分で何かをつくる、自分たちで生きていく力を身につけることは、単にものづくりの知識・技能を持つだけでなく、自己肯定感、自尊感情にもつながります。そうした成功体験の積み重ねが、「自分の力で何かを変えられる」という思いに結びつくのです。

そうした教育が必要だと感じているのは日本だけではないようで、「VIVISTOP」は、エストニア、シンガポールで展開しており、そのほか複数の国々でも計画をしています。


 大人もいつでも学べる社会システムに


 ―今後、教育分野に関してどのような展開をお考えでしょうか。

 シンガポールに小学校をつくろうと計画中です。まだ構想段階ですが、「学校」が社会から求められている機能は、三つあるのではないかと考えています。一つめは、学びに必要な情報やモノにアクセスしやすい環境であること。これは、「VIVISTOP」でも実現させていることです。二つめは、子どもを預かること。働いている保護者にとって、日中、子どもの居場所が必要ですから。

そして、三つめは、その人の資質・能力を保証する、サーティフィケーションの機能です。日々の学習でどのような経験をし、どういった成果を得られたのか、また失敗をしたのか、学習履歴をデジタル化しておくのです。今は、学歴がサーティフィケーションに相当するのかもしれませんが、学校名だけではこれからは不十分だと思います。学習履歴を精緻に可視化しておき、採用側のほしい人材像とマッチングすることで、その人が活躍できる場を多く提供できるのではと考えています。


孫泰蔵氏講演資料より

「学校」についてもう一つ考えたのが、学ぶ時期です。というのも、日本人の平均寿命は急激に延びていて、1900年には44歳だったのが、2015年には84歳になっています。1世紀余りの間に2倍近くに延びたのです。

高齢社会が問題だと言われていますが、私は決してそう思いません。長く人生を楽しめることのどこが悪いのでしょうか。高齢社会は「事実」であって、その事実が以前とは違うのに、社会のあり方や私たちのマインドセットが変化していないことが問題なのです。

多くの人は、高校・大学までは勉強だけして、社会人になったら今度は休む間もなくずっと働き、60歳で仕事をやめて、あとは余生を過ごすとなっています。しかしそれは、平均寿命が今よりも短かった時代の生き方であり、70歳や80歳でも元気に働ける人はいます。ライフステージという固定概念が、今の「事実」に合っていないのです。大人になっても勉強をしたくなったら学び、学びを生かして仕事をするというように、勉強や仕事、そして余暇をいつでも好きな時にできる社会にしたいと考えています。

今は、「ライフロング・ラーニング」の時代です。大人が学べる環境をつくることが、結果的に開かれた学校をつくることになるのではないでしょうか。子どもたちと一緒に大人も学べる小学校があったら、とてもワクワクすると思いませんか。

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