シリーズ 未来の学校

石巻市雄勝町のムーブメント、 地域住民と支援者がつくるホンモノの自然学校

【後編】 雄勝の自然学校の先生は、地元の人々 [3/6]

 あのとき、佐藤さんは漁をしていた

佐藤一(さとうはじめ)さんは、地元の高校を卒業後、雄勝で漁師になって30年。2011年3月11日の大震災のときは海へ漁に出ていたという。 その時の様子を次のように語った。

「船のエンジン音よりも大きい、『ゴー』という地鳴りが聞こえてきました。そのうち水面がちゃぷちゃぷと波だってきたのです。ほどなくして港のスピーカーから3メートルの津波警報が流れてきました。それが間もなく6メートルの警報に変わり、すぐに避難しました」

警報を聞いた佐藤さんは、小学生の息子さんが学校で遊んでいると聞いて、急いで迎えにいく。その後、自宅にいるはずの奥さんと娘さんを迎えにいこうとするが、その目論みは脆くも崩れる。車で自宅に戻る途中、サイドウインドウの向こうに、防波堤から何かが超えてくるのが見えた。直後、前から波が来るのが見える。佐藤さんは、慌ててUターンをして高い所へ逃げた。

佐藤さんは次のように話す。
 「津波警報が流れたら、すぐに高い所へ逃げるべきでした。まだ大丈夫かな、なんて逡巡していると逃げ切れない。判断が甘かったです」

高い所に逃げた佐藤さんは、信じられない光景を目の当たりにしたという。
 「町がつぶれていく様子が見えました。1回目の波が引くと、次の波はもっと大きくなりました。3回目の波は2回目の波よりもさらに大きく、その波に古い家から動かされ、最終的にはほとんどの家が潰されていきました」
 自然の脅威の前ではどうすることもできない、人間の無力さを痛感したという。

 妻と娘の安否が4日間わからず

津波から4日目。工事の作業車が道のがれきを除けて、車が通れるようになった。佐藤さんは安否のわからない奥さんと娘さんを探すために自宅へ向かう途中、ふたりは無事だと近所の人に伝えられた。

奥さんと娘さんは津波のときに家の中にいて、10メートルある屋上を超える高さまで津波がきたので、家はあっというまに水没してしまった。奥さんは、もうダメだと思ったという。ところがなんと、コンクリートの家の2階の天井までの15センチぐらいは水が入らず空気が残り、ふたりはそこに顔だけ出していたのだ。

その後、第一波が静かに引いた時、山に避難していた佐藤さんの父親が水たまりの中にいるふたりを見つけて救助したという。

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